2012/12/27

美魔女


鬱陶しいから早く去れ、
と思っていた美魔女ブームがなかなか消えないので折角だから書いちゃおうかな。


「美魔女」がキライ、という言葉を最近たまに聞く。

それが主に男の人の口から出てきたりするから、おもしろい。

「あんなに若作りしたってさ、どうせ若いのなら本当に若い女にいくね、俺なら。」

というのが、彼らの言い分らしい。
彼らっつったって、まあ私の周りの3人だけだけど。

たしかに美魔女コンテストって言ったって審査基準が円熟した女の渋みとかではなく
単に「若くみえるコンテスト」って感じだしね・・。
なにも40代になってまでそんなに若さを全面に出して頑張らなくても。
大体、若さ、を売りにしてる時点で若者に負けてるじゃん。
いや、別に勝ち負けの問題じゃないけどさ。

一体、彼女たちは何を目指しているんだろうね?
余計なお世話だけどさ・・。

「キレイでいるのは旦那のため、とか言ってるけど、結局は周りや世間から「◯◯ちゃんのおかあさんはお若いですね〜」とか「とても◯歳には見えませんね」とか言われたいだけでしょ。」

ああ、あと「男にキレイって言われたい!」とか?
それならなんか健全な感じがしなくもないけれど。
だったら美魔女の旦那さんは結構、幸せかもね?
奥さんがキレイだったらセックスもやる気になるだろうし。



「え?セックスなんかしてるわけないじゃん。
 旦那がちゃんとかまってやってたら、女はあんなに頑張らないよ。
 ウチでかまってもらえないから、その分、外で認めてもらいたいんでしょ。」


・・・!!

そうか。

・・・そうかもね。

・・・いや 知らないけどさ。

たしかに、奥さんにあれだけやらせてあげられるってことは
旦那も経済力がある男だろうし、
そんな男なら他に彼女のひとりくらいはいるかもしれないしね・・・。

そうか。美魔女のキレイさを欲求不満の産物と考えると、
なんか納得できるから不思議である。

重ね重ね、余計なお世話だが・・・。

「基本的にね、美魔女と熟女は違うんだよ。
 熟女は歳を取っても女として見られ続けている女だからね。
 目指すなら、美魔女じゃなくて、熟女を目指さないと。」

た、たしかに・・・


「美魔女じゃなくて、熟女になれ」(友人、三神談。)


たしかに、美魔女に賛同してるのは男ではなく主に女のような感じもしなくない。

あ! わかった!

美魔女ブームって、美容業界が仕掛けた陰謀でしょ?
外見の若さが衰え始めた30代から40代の女の焦燥感と一時の不安感をターゲットに、
まーたそこから金を絞り取ろうという・・・。

若さはお金じゃ買えないから、価値があるんだと思うんだけどね。

まあ、たとえ外見だけの話だとしてもキレイじゃないよりはキレイな方がいいけどさ。

でも結局「キレイ」だなんだって言ったって、
その人間の精神性が外見に浮き彫りになるわけだから、
若さを失い始めた頃からは
その女が何をもって美しいとしてるか、その精神性が、
その女の顔や身体を作っていくと思うんだけどね。

そして何をもって美しいとするか、その精神は人によって違うから、
目指すところも人によって違うと思うんだよ。
なにもちまちま肌の手入れしたり、見栄えのする筋肉つけるためにヨガするばかりが、
美しさってことじゃないだろう。

「美魔女」なんていうチープな言葉でくくられることが馬鹿馬鹿しくなるほどに

美しさっていうのは、もっと多様でダイナミックで
自由なもんだと思うんだけどな。






2012/12/23


友人たちに会いに京都に行ってきました。
半日、一人の時間があったので今まで行った事のなかった伏見稲荷へ。

以前から鳥居が並ぶ様を
「なんだか不気味で怖そうなところだなあ」と思ってはいたのですが



・・・別に、怖くはなかった。
しかしなんだか異空間的な・・・。



なんだかジェームズタレルの作品みたいだなあと思って
「伏見稲荷の風景が現代アートっぽい。」と翌日、深い意味は無く友人に話したら、
「現代アートってさ、他人のオナニーを見てるような気分になってあんまり好きじゃないんだよね。」
とその友人は言っていた。
相変わらず、おもしろいヤツである。
ああ、そうなんですか、気持ちいいんですか、よかったね・・・みたいな感じかね?


この鳥居がどこまで続くかもわからず
ひたすら登り続けていたのだが、さすがに小一時間昇登り続けたら革靴を履いた足が痛くなってきた。
視界が開けたところにたどりついた時に、まあ、もういいかなと思ったので
そこで引き返すことにした。



冬の京都は寒かったけど
陽がでるとぽかぽかして散策する分には気持ちがよかったよ。

お寺や神社には興味が無いけれど、
京都はちょっとした山や自然が満喫できるから気持ちがいいね。





2012/12/16

言葉


「僕のこと、愛してる?」


・・・・。


ウソでもいいから愛してるって言えばその場はまるく収まるのだけれど
私は自分の気持ちにしっくりこない言葉は口から出せないので
昔から男とのこういうやり取りはとても困る。

私は「言葉」というものをとても大事にしているので
自分の気持ちと、それにきっちりはまる言葉をいつも自分の中で探している。
「愛してる」じゃなくて「ヤリたい」とか「すごく好き」とか
「好きだけど嫌い」のほうがしっくりくるんだけどな。
だけど私にとって最高級の愛情表現の「ヤリたい」って言葉を使うと、大体の男は引くしね。
「俺の身体が目当てなの?」なんて言われちゃったりして、
本当に言葉のやり取りって難しいとおもうよ。

私は自分に違和感のある言葉は使いたく無いので
大体の場合、男に愛してるとは言えないんだよな。

「ほら、御主人様、って言ってみろ。」

と、この間SMのプレイの中で言われたけども
私の辞書の中に男に対するそんな語彙はないもんだから
やっぱりそれも言えないんだよね。

だってさ、そんな言葉、普段は使わないじゃん、
そんな言葉はしっくりこないと私を調教中の加賀さんに悪態ついたら
彼はこんなふうに言っていた。

「SMは言ってみれば空想の世界なんだから、それでいいんだ。
 今はしっくりこなくても、言ってるうちにしっくりくるようになるんだよ。」

御主人様、と繰り返し言葉にしていれば、
そのうち相手の男を自分を支配する主人だと自然に思うようになる。
愛してる、と例えウソでも繰り返していれば、
その言葉が身体に染み付いて、愛のようなものを形づくるのかもしれない。

言葉は人を支配する。

私は、それが好きじゃない。

他人の言葉に支配されるのが、イヤなんだよな。

私は自分の心が選んだ言葉で自分を満たしていたいのに。

言葉は自分が作り、紡ぎ出すようでいて、
実は自分が言葉に支配されていたりもする。

人は言葉に何かを託し、放ち、そして自らがまたそれを受け取る。

例えば、住んでいる土地を一時的に離れどこかを訪れることを
ある人は精神性を込めて「旅」と表現し、
ある人は出発から帰着までの行程として「旅行」と表現するように
多分ひとそれぞれに、なんとなくではあっても
大事にしている言葉の使い方のようなものがあるんじゃないのかな。

その大事にしているものは、
多分日常に自分が使う言葉に託されて、そして自分に戻ってくる。

戻ってきたときにそのまま抱きしめられるような言葉を、
ちゃんと私は使えているだろうか?

私の中にある男に対する強い愛情を、
私はずっと「すごく好きだけど、すごく嫌い」という言葉に置き換えてきた。
使い回された「愛してる」という既存の言葉では
自分の思いがどれだけ正確に託せているのか、わからなかったから。

最近はその言葉の意味をそのままに、
そんな「愛している」という言葉に換えてもいいような、
そんな気持ちになってきている。

自分のものでは無かった言葉に、自分が近づいてきたってことなのかもしれない。

自分が変わると、言葉も変わる。

そしてその言葉が滋養になって、自分が形づくられる。

自分を支配する言葉は、自分が決める。

だからウソは、言えないんだよね。






2012/12/06

寒々


「イヌイットが狩ったアザラシの肝臓を食べてみたいというマエダさんの話を
 ウチの旦那にしたら、『マエダさんって本当に肉食なんだね』と言っていました。」

と、気のきいたジョークを言われ今日は一日ご機嫌でした。

それどころかわたし、
本当にカナダだかグリーンランドだかに行ってアザラシの肝臓を食うしかないと
今日は腹を括りました。

だって10ヶ月ぶりに作ったビジョンマップでこんなのができちゃったんだもん。

ビジョンマップっていうのは潜在意識下の欲求を視覚化するという
超楽しい大人の遊びですが、私はこの遊びが大得意で、
潜在意識下の欲求を視覚化した上に10ヶ月以内に現実化させる名人です。

心理学的というよりもちょっと精神世界よりの要素も入ってくるので
言葉で説明すると胡散臭いっつーか収まり悪くなってくるので
いちいち説明はしませんが、まあ、潜在意識下の自分にアクセスする訳だから
私はこのビジョンマップを作るとき、軽い瞑想状態で作ります。
なんかしらないけど、私ビジョンマップの時だけは超簡単に瞑想状態になれるんだよね。

今回はみんなとの会話が楽しすぎて、
途切れ途切れになってちょっともたもたしたけど。

そんな楽しい仲間たちの作品はこちら!
他人の作品を見るのも、また楽しい。


なんか、モノがいっぱいで「抜け」が無い・・・楽しそう!
いつもいっぱい楽しい事を抱えて生きているひとなんだろうか。
そしてモノのひとつひとつが何だかこじんまりしていて可愛いの。
可愛くて、エネルギッシュ。


そしてこちらは逆に抜けててスッキリシンプル。
真ん中に自分がいて、四方もしっかり詰めていて、ものすごい安定感。
チラチラ貼られてる小物たちすらもバランスよく統一感があるように見える。
「持ち家が欲しいから、家の絵も貼りました」と本人は言っていたのだが、
どうせ家が欲しいならもっと立派な家の写真を貼ればいいのに。
と、個人的には思いました。笑


ああ、それにしても私のビジョンマップは寒々しい。

でもそんな寒々しさのど真ん中
人肌のぬくもりを讃えるように組んだ手が、
実は今回一番の私のおきにいりです。
















2012/12/04

いいものだから



「本当にいいものだから、勧めたいだけなんだよね。」

と、ネットワークビジネスに参加している友人にビジネスへの参加を勧められてから
正体不明のモヤモヤした嫌な気持ちがずっと胸に残っていた。

その商品は私も使った事があったので質の良さは実感として知っていたし
この友人自体も価値観の許容範囲が広く良い事も悪い事もなんでも話せる女なので
人間的にとても好きだ。

でも このモヤモヤがなかなか消えない。

商品に対しての不信感でもなく、友人に対しての嫌悪感でもなく、
なんと言うか私の知る範囲での話になるけども、
ネットワークビジネスというものの仕組みのどこかに気持ちの悪さを感じるのですよ。

「本当にいいものだから、勧めたいだけなんだよね。
 で、それでもし後からちょっとでもお金が入ってくるならラッキーでしょ?」

たしかに。

それはそうなんだけど。

なんか気持ちが悪いんだよね。
だったらむしろ「売れればコミッションが入るんだよ。だから良かったら買ってくれない?」
と言われてセールスされた方がよっぽど気分がいい気が・・・。
ビジネスとして話を振られた方が、こちらも個人的な感情抜きでお金の話として対応できるからね。

友人関係にある知人が「これ、いいんだよ!」と勧めてくれたものを
「いらない」って言いにくいじゃない。
だって、まるで友人の好みや人間性まで否定するようにも取れるしさ。
もし仕事で勧めてんなら、「ごめん、お金無い。」もしくは「払う価値を感じない。」
で終われるのに。

「仕事」だから勧めているのか。
「友人」だから勧めているのか。

仕事で勧めてたっていいじゃない、と思われる方もいるとは思うが
だったら「本当にいいものだから勧めている」なんて言わずに
「仕事だから金を稼ぐために勧めている」と言われた方が幾分気持ちがいいんである。

私は金を稼ぐ仕事で人と接する時には、代金分の責任を全うしようと考える。

そして友人と一緒に居る時には、義務もなければ責任なんてどーでもよく、
ただその友人たちとその場に湧き出る心地よさを良いも悪いも無くただ共有したいと思っている。

この二つの関係性は、あいまいにしながら両立するのは難しいと思う。
ネットワークビジネスでトラブルが起こりやすいのは、
手始めに身近な友人たち相手にネットワークを広げていく場合じゃないだろうか。
あと、「ただ商品の良さを広めたい」というように、
お金を付加価値というかおまけのように扱うのもどうかと思う。
お金は「おまけ」になれるほど、謙虚でも惰弱でもない。

そこを曖昧にすることが不信感の苗床になったりもする。


「お金のためなの?私のためなの?」というある意味幼稚な問いに
ある人々がこだわるのは、お金は人が作りだしたものでありながら、
人を支配する力を持っていると実は皆が知っているからだ。


「本当にいいものだから、勧めたいだけなんだよね。
 で、それでもし後からちょっとでもお金が入ってくるならラッキーでしょ?」

で、結局この言葉に関して言えば、
友人関係という気安い心地よさに、責任の無い小銭が無害なフリして絡む感じが、
なんかセコくてイヤなんだよな。
そこらへんが、私的になんか割り切れなくて気持ちが悪かったのだ。

月々入ってくる小銭と、友人関係の気安い心地よさは私の中で価値として折り合わない。
まあ、もっとおおきいお金だったらまた別の話になるだろうけどね。

今回このビジネスを勧めてくれた友人は、
自分は参加していながらも私には誕生日にプレゼントとしてこの商品をタダでくれ、
参加しているくせに自分は一切セールスはせずに自分で商品を買っているだけ、
というそんな人間ではあるのだけれど。

「まあ私は売りはしないけど、そういうビジネスもさ、有りかなとは思って。
 だってさ、精神の健康も肉体の健康も大事だけど、
 経済的な健康も、無かったら不幸でしょ?」

最近またそのネットワークで購入したという健康ミネラルウォーターを飲みながら、
その友人は言ったのでした。






2012/11/26

錯覚

Santorini


テレビでイヌイットの狩りを見てから、

彼らが食べていたアザラシの内臓を私も食べてみたくて仕方が無い。

白い氷の大地の上で、
イヌイットの男性が自ら撃ってしとめた直後のアザラシの白い腹をナイフで縦に裂き
「ここが一番美味しいんだ」
と小さな赤い内臓のかけらを指で摘み出し、そのまま口に放り込んでいた。

まだ温かい血の味が、
テレビの前の私の口の中にも広がるような、そんな錯覚があった。

「アザラシはともかくさ、イードっていうイスラムのお祭りの時に
 パキスタン人のとこにいくと日本でもヤギとか屠ってるから、
 解体後の肉をその場で食べられるよ。」

そう言う彼女は名古屋の友人、ケーコさん。

えっ そうなんですか?

日本では解体業者以外は屠殺NGだと思ってました。
狩ったアザラシと家畜のヤギだとちょっと感じは違いますけど、
それはそれで興味はあるなあ。

「そのヤギって、ナマ食OK?」

「パキスタンで見た時は、切り出された肉や内臓を女性たちがその場で切り分けながら
 時々ナマのままでつまみ食いしてたから、ナマでも別にいいんじゃない?
 日本では、さすがに一家に一頭、ってわけにはいかないけど
 たいてい地域のパキスタン人が集まって屠ってるよ。」


し、知らなかった・・・。


なんだかとりあえずカナダとかグリーンランドとかにイヌイット目がけて飛ぶ前に
日本でイスラム文化を堪能するのも悪く無いような気がしてきた。
とりあえず解体直後の生肉にもお目にかかれるようだし。

しかし 友よ・・・

アナタは確かご主人がインドだかパキスタンの方だから
そのような方々が周りにいらっしゃるのだと思うのだが、
私のような一般の日本人にはなかなかパキスタンの方との交流はないのですよ。
まずはどこでパキスタン人と巡り会えるのかというのが最初の課題ですね。

「東京ジャーミィとかで訊いたら、わかるかもね。」

・・・東京ジャーミィ?

インターネットで検索したら「トルコ文化センター」のHPが出てきました。
あ、代々木上原にあるんだ。
てゆーか、名古屋在住のあなたがなぜそこまで知っている?

「あ、それとね、牛やヤギは最初に首を切るんだけど、
 家の男がやってくれることもあれば屠殺専門の人を呼ぶ事もあるんだよね。」

へ、へえ〜〜。
それはパキスタンの話ですか?
実はこの会話、ツイッター上でしていたものなので
詳細はところどころ不明瞭であり不明です。

「でさ、私は屠殺専門の人が回ってくるのを見た事があるけど、
 何軒も回ってくるのでその専門の人の服は血まみれだし、
 首に刃を入れる前に二つのでかい曲刃みたいなのをショインショインと
 ハイスピードで擦り合せたりしてて、
 なんか北斗の拳に出てきた拳王親衛隊を思い起こさせたよ。」


・・・



・・・ショインショイン。


なんだか最初の、
アザラシの内臓からしたたる血の味への欲求はもとより
今はこの聴いた事も無いショインショイン・・の音も妙に私の脳みそに残る。

食べた事の無いアザラシの血の味の錯覚と、
聴いた事も無い屠殺業者の曲刃の音。

実際には知らない、 錯覚したものを求めるっていうのも、へんな話だよな。

アザラシの血が本当はどんな味がするかなんて、

わからないのにね。




2012/11/19

夢の中


怖い夢をみた。


他人の夢の話ほど聞いていて退屈なものは無いと知りつつ、
なんとなく人に聞いて欲しくて
男友達のケイちゃんに私が見たその怖い夢の話をした。

「簡単に言えばさ、単に妹が自殺する夢なんだよ。
 だけど夢の中の妹は現実の妹とは違う感じだったから、
 多分妹という設定の別の人間なんだと思うんだけど。
 その妹がさ、マンションの十階くらいの高さから飛び降りるんだよね。
 飛び降りて、地面に叩き付けられて手脚や背骨は有り得ない方向に折れ曲がってるし
 頭はひしゃげてるしで血だらけの瀕死の状態なわけだけど。
 そんな瀕死の状態にも関わらず彼女は血だらけで近くの電車の線路まで
 肘をつかって這っていって、線路のうえにごろんと仰向けで寝っころがるんだよ。
 飛び降りて自殺を図った上に、仕上げに電車にまで跳ねられようって感じよ。
 電車が近づいてきてあと数秒で電車に敷かれてバラバラになっちゃうぞって時に、
 彼女は携帯電話で自分の母親に電話をかけるの。
 「今から、電車に敷かれて死にますから。」って。」

夢の中で、私はその状況をを遠くから眺めているわけなのだけど
電話を受けて駆けつけた母親が電車に敷かれてバラバラになった娘の身体と対面する様を
「あ〜あ・・・。可哀想になあ」とやけに俯瞰して見ていた。

夢は精神の健康状態を表すと常々思っているので
強烈な印象を残す夢を見た時は一応気にかけているのだけれど

今回の夢は本当に、いやーな感じだったなあ。

「妹っていうか、その自殺したのは間違いなくナツコだろ。
 もうひとりのおまえってゆうか、
 おまえが普段意識してない自分の願望を夢の中で妹っていう存在に託してるんだよ。」


うん。いやそれはなんとなくわかってはいるけどね・・・。


いやな夢っていうのは何かこう自分を振り返らなきゃいけないような
変な課題を提示されてるような気分になっちゃって、嫌なもんだね。

私は人が死ぬ夢をよく見る。

だけど自分が死ぬ夢は多分もっとたくさん見ている。

だけど自分が死ぬ夢ってゆーのは
自分が生まれ変わりたいという願望の現れというから
むしろそんな夢をみても嫌な気分になることはあまり無いのだけれど
今回の夢はちょっとイヤだ。

多分、悪意のようなものが含まれているからだと思う。

自分が死にたくて死ぬのは別にいいんだ。
だけど、それを事前に母親に伝えるという悪意が私の気分を悪くする。

夢の中の自殺した彼女は、明らかに悪意を持って母親に自殺を告げていた。
電車にひき殺されてバラバラになった自分を見せてやりたいという、悪意。

自分が死にたい理由も原因も、あるとしたら自分の中にしか、無い。
だけど死ぬ直前に母親に自殺予告をするという行為は、
その理由や原因に母親を巻き込む行為だ。
それを母親や他人のせいにするのは愚かな意味での甘えだと思う。
死ぬなら一人で自分を敷く電車を待てばいい。
呪いをかけるように、母に自殺予告なんかせずに。

他人に呪いをかける弱さが自分にあることを知る。
潜在意識が支配する夢の領域だからこそ、普段は知らない自分の一面を見る。

夢というのはとても個人的な感覚で形づくられているから
他人と夢の話を共有するのは難しい。
それにも関わらず私の楽しくも無い夢の話をちゃんと聞いてくれる、
ケイちゃんの存在が有り難かった。

まあ、他人の楽しい夢の話の方が、怖い夢の話よりもつまんないししらけるんだけどね。
夢の話っていうのはそんなもんなんだよな。

「ちなみに私の今朝の夢なんだけど。」

気分を変えるために、私が今朝みた楽しい夢の話をすることにした。

「朝日が差し込む明るい部屋のベッドの上で
 誰かわかんないけど男とふたりで裸でゴロ寝してんの。
 で、私は男の足側に顔をむけて寝っころがりながら、男の足の親指を食べてんだよね。
 歯で肉を齧りながら食べてるの。
 爪の部分は硬くて食べられないんだけど、肉の部分はむしゃむしゃ食べてた。
 味はよくわかんないんだけど。
 「痛くない?」ってまだ夢うつつの寝てる男に訊いたら、
 男は軽い感じで「ん?べつに〜。」って答えてた。
 なかなか悪く無い夢だったよ。」

ケイちゃんは、間髪入れずに私の顔を見て言った。

「おまえそれ、フェラチオの夢だろ。」




・・・・



・・・う〜〜ん。


まあ、そうともいうかもね。

私が男の指を好きなのは、多分そういう意味なんだろう。

夢なんて、所詮そんなもんなんだよな。



 


2012/11/13

Istanbul

子供の頃の夢は叶うか」

というテーマで小学生が大人にインタビューをしてまわるという
とてもおもしろい番組がやっていた。
インタビュアーもコメンテーターも全て小学生、という子供だらけの番組だった。

子供の頃は宇宙飛行士が夢でしたが今は食品加工会社でサラリーマンをやってます、
というオジサンや船乗りになりたいと思っていたけど実家の老舗の豆腐屋を継ぎました、というお爺さん、サッカー選手になるのが夢だったけど今は美容師です、みたいな人まで
様々な大人が子供の頃の夢と今の職業をインタビュアーの小学生に対して語っていた。

何人かの大人に対してこの質問をし、
実際に子供の頃の夢を実現できたひとの割合を求めたところ、
ほぼ100%の割合で大人は子供の頃の夢を実現していない、という結果が出た。



なんつーか・・・


こういうテーマで子供に番組をやらせるってことが、すごいおもしろいよね。
これは「夢は叶わない」という番組ではなくて、
「夢とはなにか?」という問いや、
「夢(やりたいこと)」と自分との距離感を考える番組なんじゃないだろうか。

あ、でもそれって大人の私だからそう感じるのかな。

わかんないけどね。

ちなみに私は小学生の時は将来の夢、なんて考えたこともなかったけど
それから少し後の、中学生の頃に私がなりたかった職業は
一番は「刑務所で働く人(刑務官?)」で、二番目は「ホステス」でした。

今思えば変な中学生だよなあ。

刑務所で働く人、は多分公務員だと思うのですが、
それゆえ自分の学力の無さを痛感した時にこの夢は自然に諦めてしまいました。
この簡単に諦めちゃう感じがなんか「子供の頃の夢」っぽい。

刑務所、ではなく少年院でもいいなと思っていたのですが
どっちにしても「夢」として語るにはちょっとアレですけどねえ・・・
社会的な規範に適応できない人間に、中学生なりに通じるものがあったというか
興味が湧いていた時期だったんでしょうね。
それは今でもあまり変わっていないですけど。

刑務所がダメならホステス、と思っていたのも同じく中学生の時期でしたが
これもいつだったか自然に諦めてしまいました。

ベテランホステスの知人が一度
「マエダちゃんも一緒にやろうよ。絶対向いてるよ。」
と誘ってくれたことがあったのですが、私が酒が全く飲めない旨を伝えると
それじゃあちょっとムリかなあ・・・と渋られ、私自身も妙に納得して、
それでなんとなく諦めちゃったんだよなあ。

まあ、その「ホステスになりたい夢」に関してはその後、
酒をマッサージに変えて自分なりに実現したと思ってはいるのですが。

子供だろうと大人だろうと、
本当にやりたいことならば例えできなくても成れなくても、
求め続けてやりつづけるんだろうな。

それを夢と呼ぶかどうかは、わからないけどね。






2012/11/04

大きさ

Thai

なんでも大きけりゃいいってもんじゃ無いと思うんですよね。

目的や用途に応じて、
そのものの一番適切な大きさのバランスや形が自ずと導き出されるんだと思うんですよ。


目的に合った大きさや形が利便性や合理性を産み、
そのモノの存在意義をより強く形づくるんだと思うんです。

重要なのは単に大きさではなくて、
そのモノに期待されている任務をどれだけ期待通りに、
もしくは期待以上に遂行できるかということではないかと。

先日、国分寺駅北口にある鉄鍋餃子の店「虎萬元」に初めてお昼ゴハンを食べに行きました。
私は餃子が大好きなので「虎萬元」はずっと気になっていた店ではあったのですが
なんとなく、行きそびれていたんですよね。

店に入り、その後に控えている仕事のことなどおかまい無しに餃子の定食を注文。
ニンニクの匂いとか、実はあまり気にしたことがありません。
その店独特のものが食べたかったので「大餃子」の定食にしました。
鉄鍋餃子って手もあったんだけどなんか脂っこそうだし。
わたし胃弱だし。

大餃子っていっても、まあ普通の餃子の倍くらいの大きさであろうと、
大餃子6個ならせいぜい普通の餃子12個分程度の量であろうと、
その時は高をくくっていたのですが。

焼き時間に10分近く待たされた時点で気がつくべきでした。

「大餃子定食です。」と目の前に置かれた皿の上には
ゴロンと横たわる6個の・・・なんだろう?

・・・なんて言っていいかわかんないんですけど

イヤこの餃子を形容する言葉をいろいろ考えてはみたんですけど

とりあえず、「ゴロン」って感じなんだよね・・・。

よくでっかくてあまり機敏に動かないようなものが横たわっている様を形容する時に、
「ゴロン」って言葉を使うじゃないですか。

お腹いっぱいになって「あー眠い」とか言って「ゴロン」と横になるとか
もしくは解体前の冷凍マグロが「ゴロン」と存在する様とか
まあ、そんな感じで。

大きさ的には普通の餃子の3倍くらいじゃないかと思うのですが

そこには決して普通の餃子に見られるような
軽やかに焼き上がった皮の香ばしさとかは無く・・・

なんだか怠惰ささえも感じさせる「ゴロン」なんだよね・・。

食べてみたら別に普通に美味しいんですけど、
たしかに小麦粉の皮でみじん切りにした肉と野菜を包むという点において言えば
これは餃子に間違いないのですが

普通にいつも餃子を食べる時のように
まずは醤油と多めの酢に浸してその大餃子を食べてみても

なぜか餃子を食べている、という感じが全くしない。

大餃子に対して小さすぎやしないだろうかと思われる醤油小皿の上で
箸で二つに割られた大餃子の皮がぐんぐん酢醤油を吸い込んでゆく。

味は餃子なのに餃子を食べている気がしないなんて
いったい私は今まで何をもってして「餃子」を食べている感を感じてきたのだろうか?

たかがランチでそんな面倒なこと考えさせやがって・・・

と悪態付きながらもとりあえず大餃子6個を完食しました。
ゴハンとスープは食べきれず残しましたが。

しかしこれだけ餃子で満腹になったというのに
大好きな「餃子」を食べたという満足感が全く無いとはこれいかに・・・。

そしてその数日後に今度は吉祥寺の「一圓」でも同じような目にあったのですが
おそらくそれは私自身の「餃子」と言う言葉を聞いた時に感じる無邪気なわくわく感のせいなんでしょう。
食に対する喜びというのは、いくつになっても純粋なもんです。

「餃子」って言われるとなんでもいいから食べたくなっちゃうんですよ。
一圓の餃子はでかいって知ってたのに、ジャンボ餃子を頼んじゃったんです。
食べた後にやっぱり普通の餃子にしとけば良かったって思ったんですけど。

餃子を食べた満足感を残さない餃子は餃子としてのプライドを放棄していると思わざるをえませんね。

餃子は餃子としての役目を果たしてこそ餃子なのです。

なんでもでかい方がいいなんて、だから男の妄信なんだってば。








2012/10/17

愛の証


最近はレーザーとかワックスとかいろいろあるみたいですね。

脱毛の話ですけど。

実は私、あまり脱毛にはそれほどの興味はなくて。
というのも勿論自分で脱毛はしてるんですけど、
サロンやクリニックにお世話になろうとするほど自分の無駄毛について
どうにかしようと感じた事があまり無いんですよね。

「私の男友達に毛深い女の人が好きっていう男がいるんだけど、
 その人は脇とか下の毛とかが多い女性に興奮するっていうんだよね。
 もし永久脱毛なんてしちゃったらさ、
 例えばそういう男の人と出会った時に、
 あ〜〜!永久脱毛なんてしなきゃよかった!なんて後悔するかもしれないじゃん。」

半分冗談、半分本気で私もそんなことを言っていたんですけどね。

まさか自分が脱毛しない状況になるとは正直思っていなかったですよ。

今年の初め、最近よく遊びに行かせていただいているSMサロンで
主催者で緊縛師の加賀さんに言われたんです。

「ナツコ、おまえ、脇は永久脱毛してないんだろ?
 だったら脇毛はやせばいいじゃないか。俺は女の脇毛が好きなんだよ。」



・・・!!


そんなことをいう男の人はいるだろうなあと思ってはいたものの、
実際にいままで出会った事がなかったのでちょっとした衝撃でした。

大体さ、なんで下の毛はそのままでも良いのに、脇の毛はあっちゃダメなの?
実は昔から不思議だったんだよね。
多分日本においては、昔から下の毛はエロティックなものとして捉えられているわけでしょ。
脇の毛も服を着た時の見栄えとかそういうのを抜きで考えたら、
結構エロティックじゃないかと思うんですけど。

「昔は日本では女だって普通にみんな脇毛を生やしてたんだよ。
 今みたいに脇の毛は手入れするもの、みたいな風潮が定着したのはいつだったか、
 アメリカが日本を市場に脱毛製品を売り出し始めた時からだよな。
 宣伝媒体としての女性誌でも「脇毛はお手入れするもの」みたいなことを言って、
 商品を売るためにそういう風潮を作り出したんだよ。
 それまではみんな普通に脇毛はやしてたのに。」

憎々しげに脇毛好きの加賀さんは言います。

別に私はそこまで脇毛に対して思い入れはないですけど
昔付き合った男の人の中に「女の人の剃った脇毛が少し生えてきてチクチクしているのをみると興奮する。」という人がいて、そんなちょっと変わった彼の趣味に妙に「そんなもんだよなあ」と納得したことがあったんですよね。

いくら人形のような洗練されたツルツルの綺麗さを求めたって、
どんなに高尚に愛について考えたって、
所詮はこういうおバカなものに興奮しちゃうんだよ、人間っていうのは。

まあ そんなかんじで今年始めから肩周りを露出し始める夏先まで
密かに育ててはみたんですけどね。
なにせここ十五年余り剃毛脱毛で虐げられ続けた私の脇の下ですから
なかなか思うように生き生きと繁茂してはくれませんでした。
まあ約3ヶ月かけてそれなりにこんなもんかな、って程度にはなったんですけどね。
生やすなら生やすで、これが私のポリシーですって主張できるくらいにはなって欲しかったなあ。

ちなみに一緒にこの話をしていたSMの友、ゆうきちゃんいわく。

「私の彼は無毛派だから、上も下も全部脱毛してるよ。」

「なにで?レーザーとか??それとも自分で??」

「最近は、脱毛サロンでブラジリアンワックス。」

へえ〜〜。

最近よく聞くなあ、ブラジリアンワックス。

てゆーか、サロンでアンダーヘアの脱毛なんて私、恥ずかしくて絶対できないよ!
よく同性の女相手に脚広げてそんな部分を見られて恥ずかしく無いよね?

「ええ!? てゆーか男に見られる方がイヤじゃん!
 だったら、なっちゃんは男に下の毛の脱毛される方がいいわけ?」

うん。

「だって私、今までアンダーヘアを抜いたり剃ったり整えたり、
 よく彼氏にやってもらってたし。」

意外と「やって」っていうと男の人って喜んでやってくれるよ。
やってもらってる時の尽くされてる感もなんかいいんだよねえ。

女の身体を愛でるなら、そこまで愛して貰ってなんぼだと思うんですけど。

愛の証、ですよね?