2016/03/29

幸福



もう十年以上前に別れた男の、消息を知る機会があった。

 当時は独身だったその男も結婚して、子供も生まれて、いわゆる世間一般でいう幸せな家庭を築いているようで、私はそれを聞いたとき、なんというか心の底から一点の曇りもなく、「よかった」と思って嬉しくなった。


 余計なお世話かもしれないが、彼も、その奥さんも、今もこれからも幸せでいてほしいと思った。
 本当に余計なお世話かもしれないが、女に依存的に執着するあの男の浮気性が影を潜めているか、もしくは奥さんがそれを許容してくれていることを切に願った。
ていうかどちらにしても穏やかに不幸がなく暮らしてくれてるなら嬉しかった。


そんな風に、昔の男の幸せを喜んだ瞬間、当時死ぬほど好きだったその男に対する興味が、一切、自分の中から消えていることに気がついた。


 心の底から男の幸せを喜びながら、心の全部で「どーでもいい」と思っていた。



・・・そうか。
 私が好きな男の幸せを願えるのは、その男に興味がなくなった時なんだな。
と、なんだか漠然と思ってしまった。

 

*****

たまに、何人もM女を抱えるSMのS男や婚外恋愛を推奨する男がよく使う言葉に、「相手の幸せを喜ぶ」というようなものがある。
どちらも複数の女性と関係することを良しとする立場の男性が、自分と関係する女性が他の男と付き合いだしたり結婚したりした時に、反対したり嫉妬したりせずにその女性の門出を祝福してあげる、というようなニュアンスでそのような言葉を使う。
 

正直、私はその言葉の意味が、実感としてはさっぱりわからない。
 

実感としてはわからないが、もちろん男という生物の生理ということで考えれば、理解はできる。
複数の女性と関係することをオスの基本だとする男にしてみれば、いちいち関係した全ての女を独占したところで面倒なだけだし、その男たちが築こうとするある意味での秩序が成り立たなくなるし、関係するすべての女達の希望に応えられるわけではないから、そういう意味では女たちの幸せも奪いかねない。
だから、その「相手の幸せを喜ぶ」というスタンスは、そういう男たちの女と関わる上での策というか美徳のようなものではないかと想像する。


ていうか、実際私がこの言葉を聞いたのは主に男性からだけだったのだが、女性でも同じようなスタンスで男と関わる人っているんだろうか?
まあ勿論、世の中にはそんなお人もいるんだろうが、そんな女性がいるとしたら、私と彼女はもう同じ女とはいえ身体の組成からして違うような気がしてしまう。

それくらい、その言葉は私にとって意味を成さないもんなんだ。
 

勿論、私だって人の幸せは願う。
 

大事な友達や家族は近くにいてもいなくても、健やかに笑っていて欲しいと切に思う。
 周りが幸せでいてくれないと自分が幸せでいられないことは身に染みてわかっているので、できることなら自分に関わる全ての人に不幸が無いよう願っているし、特に二年前に生まれた甥っ子とその家族に関しては、自分を含め他の誰が不幸になってもいいからその子だけは絶対に幸せに生きてほしいとその2歳児の笑顔を見るたびにエゴイスティックに願ってしまう。



だけど、好きな男は別なんだよね。
 
私は、好きで好きで仕方がないくらい好きな男の幸せを願ったことは、
ただの一度も無い。


ちょっと好きな男や、仲のいい男友達の幸せならいくらでも願える。
 彼らがもし求めてくれるなら、私にできることならしてあげたいと思う。まあ、とは言っても大体いつもお世話になるのは私の方で、私が彼らにしてあげられることなんて多くはないのだけれど、なんというか、そんな風に建設的に幸せというものを考えられる。



だけど、本当に好きな男に関しては、無理なんだよな。
 
私は、恋愛感情というものは独占欲と同義だと思っている。
 独占欲に、性欲が絡んだものが恋愛だと思っている。

もしかしたら、そうではないもっと高尚な恋愛というものが世の中にはあるのかもしれないが、私には経験が無いのでわからない。
 

自分が、暫定的にであれ他のどの男よりかっこいいと思った男が、同じように女である自分を選んでくれたなら、それほどの快感なんて他のどこを探しても無いわけで、そんな「あなたが一番、だから私も一番にして」という自己肯定欲求と所有欲が性欲と合わさったらもうなんつーか、セックスが楽しくて仕方ないわけである。
 
「一番」てゆーか、「一番であり、唯一」かな。
おそらく私は、そんな独占欲でもってセックスを楽しんでいる。
その感覚がないと、セックスはつまらない。
まあ、無くてもできるんだけどなんとなく物足りない。
もしかしたらそこらへんの感覚は男女や個人で差があるのかもしれないけどね。


だけど、当たり前のことだけど、現実に人生を生きていると、お互いだけで必要な人間関係の全ては賄えない。
 
男はたまには他の女を欲しがるし、
 家族愛と性的な欲望は両立しないし、
 愛している男の世界は、私を含めた私以外のあらゆるもので成り立っている。
 私に与えられないものは、他の人間に求めるしかないこともある。
それは私も同じことで、「この人だけ」ですべて賄えることはあり得ない。


だから、生きているかぎりは、私の独占欲は永遠に満たされることはない。

 満たされたような錯覚を得るために、例えばセックスしたり結婚したりするのかもしれないが、結局人がひとりで生きていけないのと同じように、二人きりでだって生きてはいけない。

 独占欲が極まると、早く相手が死ねばいいのにと思ってしまう。
 

今もこれからも自分以外の人間と幸せでいるという想像に耐えられない。
不倫関係のモツレで女が相手の男や家族を殺してしまう事件や、殺してしまった後に男の局部を切り取って持ち歩く女の物語があったりするけれど、私にはその女たちの気持ちがよくわかる。

女である私は自分の身体を切り売りできない。
たまにあちこちから男の身体を頂くことはあるかもしれないが、自分の身体を与える先はひとつである。
たったひとつの与え先である男に対する執着が、どれほどのもんかと思うのである。


もちろん私も良識のある大人なので、今まで男を独占するために殺したり大きなトラブルを起こしたことはないし、私が本当に好きになる男は大抵、完全なる平和主義者で父性的な一面で私の退廃的な欲求を受け止めつつも律してくれるので、「死ねばいいのに」という欲求は今のところ幸いにも現実になったことはない。
まあ、そういうのを律してくれる男を好きになるあたりが、基本的には私もバランスの取れた平和主義者なんだと思っている。



だけど、
好きでいるかぎり、いつも相手の人生が、自分と一緒にいるうちに終わって欲しいと思ってしまう。
本当に相手を独占できるときがあるとしたら、それは相手が私以外の世界と切り離されるときなのだと想像する。
それは、まぎれもなく彼にとっての不幸なのだと知ってはいても。

 

「相手の幸せ」


そんなこと、貴方が死んだあとにいくらでも願ってあげよう、と私は思う。
 
幸せを願えないセックスは楽しい。
この退廃的な独占欲が、女に生まれてきた醍醐味のような気さえする。
私にとっての男に対する愛っていうのは、呪いのようなものなのかもしれないな、と思ったりもするけれど。



 独占したいと思える男に出会えることがわたしにとっての幸運で、
 独占しあうためのセックスは快感。
そんな男と互いに独占していると錯覚しあえることが私の幸福。

 
相手の幸せを願えずに
私は結局なにも手に入れられないまま死ぬのかもしれないが、


それは到底 不幸と呼ぶには値しないと、私は体の全てで納得している。








2016/03/09



「以前から不思議だったんだけど、Sの女とMの男のカップルって、いったいどうやってセックスするの?」

そんな素朴な疑問を、SMの調教師の加賀さんにきいてみた。

いや、昔から疑問だったんですよ。
だって、一般的にセックスって男が攻め手で女が受け手でしょ。
精神的にってゆーか、生理的にそうでしょ。

S女とM男ってゆー、攻受にこだわりつつも、その攻受が逆転した関係性で、どうやって最終的にセックスできるのかっていう。

いやもちろん、世の中のSMを楽しむカップルの中にはガチで仕事もプライベートも日常も非日常もSMでしかない人もいますけど、大方のSM愛好者たちは別にいつも縄で縛られたり鞭打ったりしてるわけじゃなくてフツーのセックスもするし、職業女王様はだいたいプライベートではMだって聞くし、そんな日々の一部でだけでSだのMだのを楽しむ人が多数だっていうのはわかってるんです。
わかってるんですよ。


 私が聞きたいのは、そういう場合に応じてある程度自分のS性やM性を加減できるSM愛好者の話じゃなくて、真性の根っからのS女とM男の話なんです。

まあ、そんなM男に関するお話を、こんな揺るぎなく確固たる真性S男の加賀さんに聞くこと自体がお門違いかもしれないんですけどね。
だってS男とM男って、基本的にはなかなか解りあえない感じもするから、交流もなさそうだし。

 
「いや、俺は昔、出版社でSM雑誌を作ってたろう、その時には女王様と一緒にM男も相手にしてたからな、M男とも交流はかなりあったんだよ。」

ああ、そうか。
 
「なに、じゃあ、Sの女王様とM男のセックスって、最終的にはどうやってするの。
ずっと騎乗位なの?それくらいしか、私には思いつかないんだけど。」

 
「なんだおまえ、今度はM男相手になんかやろうっていうのか。」
 
「はは!いや、ちがうって。以前からの、素朴な疑問なんだけど。」

私は基本的にはM男には興味はないんだよね。
もう何年も前に、付き合ってた男がお尻の穴を弄って欲しいとか仰向けに寝た自分の下半身を私の足で踏みつけてイカせてほしいとか言い出したことがあって、その時は興味もあってちょっとワクワクしたんだけど、結局、興味だけで終わってしまった。

その時に、思ったんだよね。

「お尻掘ったり踏みつけたりしてあなたが気持ちよくなるのはいいんだけどさ、最終的に私はどうやって、気持ちよくなればいいわけ?」って。

加賀さんは、吸っていたまだ半分くらい残っている煙草を灰皿に押し付けた。
最近は煙草の量を減らしているようだけど、やっぱりお酒を飲むと吸いたくなるもんなのかな。
煙草が吸いたくなる感じって、どんな感じなの、イライラするの、と聞いたら、加賀さんは少し考えて、「口寂しいっていうか、キスしたくなる感じとちょっと似てるよなあ。」と言ったので、じゃあ、キスしてあげようか?と私が言ったら、加賀さんは猫みたいに人懐っこくて綺麗な眼を細めて笑って、わかったわかった、後でな、と言った。



「結論からいうと、S女とM男の間では、挿入行為としてのセックスは、成り立たないんだよ。」

え、そうなの。
 
「だってほら、考えてもみろ。男にとっては、セックスの挿入っていうのは攻撃行為なんだよ。どうやって、自分が額づいてる女王様相手に攻撃行為ができるっていうんだ。」
 
「ああ、そうか。なるほど」
 
「大体、M男はな、肉体的な痛みとか、羞恥心や屈辱感を女王様に誘導されることで興奮するわけだから、自分のペニスを女王様のあそこにいれて犯すっていう、考え自体がもともと無いんだ。そういう頭の回路自体が無いから、もし、実際、挿入とかそういう状況になると、大体は、硬くなってたモンも萎えるんだよ。使いモンにならなくなるんだ。
 思考のどこかで、攻撃行為であるところの挿入行為を拒否してるんだろうな。
S女だって同じ事だよ。
 支配欲に酔ってるところに挿入されたら優位性もなにもないだろう。
 女は女で、気持ち良くなればなるほど精神的にも肉体的にも弛緩してM的になっていくように体ができてるわけだけど、女王様がプレイ中に気持ちよくなってあんあんいうわけにもいかないからな。
まあそれは、Sの男性の場合でも同じことだけどな。
だから、つまるところ基本的にはM男とS女は挿入行為としてのセックスはできないんだよ。」


・・・ああ、なんかそれはわかるわ。
攻める方が喘いじゃったら、もうアウトなんだよね。
私、ヤッてる最中に男が喘ぐと一気に気持ちが冷めるんだけど、それも攻受の関係性がその時に揺らぐからなんだよね。


「あ、でもさ、M男の方は挿入は無いにしてもイクことはできるよね。女王様に下半身を踏みつけられてイカされるのもアリなわけでしょ。だけどもしM男がそれでよくても、女の方は、それだけじゃ満足できないよね。」
 
「ああ、だから、本当のS女は不感症の女が多いよ。そうじゃなきゃ、M男の相手なんか、できないよな。」
 
「不感症って、感じないってこと?」
 
「いや、感じるんだけど、イケないってこと。実際、女王様でそういう女は、結構いるんだ。そういう女とヤッてるとな、あんあんずっと言ってるくせにイケなくて、こっちも手を尽くして色々やってやるんだけどな、しまいには「私のことはもういいので、先にイッてください」とか言われたりするんだからなんだかなあって気分になったよなあ。昔の話だけどな。」

「その場合の不感症っていうのは、セックスの経験が少なかったり、たまたま下手な男にしかあたってこなかった女の子が、イッたことない、っていうのとはまた違う話なんだよね。」
 
「もちろん違う。それは、いわゆる病気じゃないからな。不感症の原因は大体は精神的なものだけど、レイプとかDVの経験があったり、結局は男との信頼関係が築けてないってことだよな。あとは父親の寵愛が過ぎたりとか、セックスに対する罪悪感が植え付けられてる場合とかかな。
まあ、レイプとかDVの経験があっても、不感症になるやつもいれば、Mになるやつもいるからな、それは心の問題だから一概には言えないんだ。
誰しもが、お前みたいにヤルたびに10回も20回もイケるわけじゃないんだよ、まあ、お前の場合は、どこからどこまでが本気で演技なのか、わかんないけどな。」


加賀さんが吐いた煙草の煙が大きく広がって私の顔を包んだ。
不意に息を吸ったら、喉がキリリと傷んで咳きこんでしまった。
もともと喉は弱いのだけど、最近は他人の吸う煙草の煙でもむせるようになっちゃったんだよなあ。
もともと私の身体は、刺激物に対して強くはないんだ。
そのおかげもあって、いままで体を酷使せず生きてこられたのかもしれないけれど。

「まあ、S女がみんな不感症ってわけじゃないから、中にはどうしても体で快感を得たいS女はM男の立ったペニスの根っこをリングで締めて、立たせた状態にしたままで挿入したりもするよな。無理矢理リングで締めて立たせるわけだから、それだとM男もそのペニスは自分の性器ではなくて、女王様が遊ぶための道具だと思えるんだよ。だから、それならオッケーってことで、お互い納得できるんだろうな。」


・・・なんか、こう言うのもあれだけど、色々ややこしくて大変だね。
もうなんでもいいじゃない、入れて擦ればきもちいいんだからさ、ってゆーことには納まらないあたりが人間らしいってことなのかなあ。



「あのな、これはSの男も同じなんだけどな、射精の快感なんて、たかが知れてるんだよ。
大したこと無いんだ、出すことの、肉体の快感なんて。
だからこそ、MもSも、色々妄想して、想像して興奮して、時にはそれを現実にして、実際の肉体以上の快感を得るんだ。

肉体じゃなくてアタマで、快感を得てるんだよ。
そういうやつらにとっては、もうただ入れて擦るだけの快感なんて、快感とは感じないんだよな。」

そう言って加賀さんはその日会ってから7本目の煙草を揉み消した。
そういえば今年齢67を数える加賀さんは、健康状態のこともあり減酒も試みていたようだけど、結局酒を減らしたことで不眠が悪化して、お酒の量はまたもとに戻ってしまった。
身体が依存してるものから自由になるっていうのは、なかなか難しいもんなんだろうな。

そんなことを考えていたら、そんなお酒や煙草の煙のように、今までの年月で加賀さんの身体に蓄積されてきた女やセックスの記憶のようなものを不意に思った。
それは業のように加賀さんの身体に染みついていて、不幸にか幸福にか、別ち難く加賀さんの肉体や存在をかたち作り、ほんの少しのある部分では蝕んでいるようにも思えた。


「加賀さんはさ、そんなにM男の気持ちもわかってるんだから、たまにはMもやってみようかなあなんて思わないの。ずっと本気でS一本でやってたSMの調教師とか緊縛師の男の人が歳取ったらMに寝返るパターンって多いんでしょ。加賀さんは、そういうの興味ないの。」

「ないね。まったく、無い。」

「ふーん、まあ、そう言うとは思ったけど。楽しそうだなあとか思わないの。」

「いや、もっと若い時だけどな、やってみたことはあるんだよ。」

「あ、そうなの。」

「ああ、当時知り合いの、結構有名な、って言ってもSMってものが流行り出したくらいの時のことだから今考えればまあ綺麗ではあったけど大した女王様じゃないんだけどな、まあ当時は有名なその女王様ふたりにな、「加賀さん、Mやったことないの?一度くらいやってみればいいのに~!楽しいわよ~!」って持ち上げられてな、まあ、酒が入ってたってこともあって、縛られたり吊るされたりMの真似事をさせられたわけだけど・・・・別に全然、楽しくなかった。」


そ、そうか・・。


机に置かれた灰皿に、加賀さんは8本目の煙草を押し付けた。
四角い陶器の灰皿に、8本の煙草は律儀にも同じ向きで、だけど自然に並べられていた。

「SMは、特に男のS性と女のM性は、普遍的な、人間の生理だからな。」

と加賀さんは言い切ったが、
それは私にも、なんとなく、わかる気がした。