2017/03/14

沈黙

 
 
今回は全然、美しくない話をします。
 
 
「ウチのサロンに変態の男がきてさ」
 
 
マッサージ師のフジ子ちゃんが言った。
 
以下は素朴系美人マッサージ師(やらしくないやつ)のフジ子ちゃんと私マエダ、友人の恵さんとのある日の会話である。
 
 
「ウチ、デコルテ込みのヘッドマッサージメニューがあってさ、それは、男性客も施術可にしてるのね。で、そのメニューで予約してきた新規のカンノって男がいてね、まあフツーに予約してきて、店に来るじゃん?で、デコルテマッサージだからさ、通常は上半身だけ脱いでもらえればいいわけなんだけど、部屋に通した途端、あれよあれよという間に服脱ぎ出して、あっという間にちっちゃなフンドシ一枚になってさ...」
 
 
「え、なぜフンドシ...?」
 
「...パンツじゃなくてフンドシか...」
 
 
「え?...あ、そうそう、なんかね、すごいちっちゃなフンドシ一枚になってさ......いえ!デコルテだけなので脱がなくていいです...!って言おうとしたんだけど、言い終わらないうちにすでに全部脱いでいた。」
 
「...既に脱いでいた!有無を言わせない脱ぎっぷり。脱ぐの早いのね。」
 
「でさ、店には私ひとりだし、そこで揉めるのも怖いじゃん?だから、まあ白かクロかっつったら明らかにクロの変態男なんだけど、とりあえずフンドシはつけてるし、もうこんな面倒な客さっさと終わらせちゃおうと思ってマッサージ始めたんだけどね。」
 
 
「そういう変態男ってさ、施術中ってティンコ立ってんの?」
 
「途中で半立ちになってた。てゆーか、フンドシがちっちゃ過ぎて微妙に見えちゃったんだけどさ、......その男のティンコが、すごい小さかったんだよね。...マイクロペニスっていうの?親指の先くらいしかなくてさ...」
 
「え、てゆーか、眠ってるティンコってなかなかにマイクロじゃない?あ、起きてる時で親指の先くらいだったの?」
 
「半立ちくらいの時だよ、三センチくらいしかなかった。」
 
「...それはなかなかにミクロね...」
 
「だからさ、...勿論、そういう変態はムカつくし許せないんだけど、マイクロな彼なりにフツーのセックスじゃない部分で性的な部分を満たそうとしているのだろうか...とか、あとで色々考えちゃったよ...」
 
 
「つーかさ、おっきいとか小さいとかよくいうけどさ、アレッて結局なにを基準に言ってんだろうね?長さの平均が14センチとかって何かで見たけど、結局は身体の大きさとの兼ね合いっていうか、小柄な男にはちっちゃめのがついてて然るべきだし、体が大きい男には大きめのがついてるっていうのが、まあ違和感ないっていうかね。体との比率の問題だと思うんだけど。まあ、実用的ってより視覚的な話だけどね、それは。つーか、大きさが実用的でない場合はもうカッコいいとか悪いとかいう問題じゃないからな。身長が大きいと小さいとかよりも実用の目的の幅が狭くて明確なわけだから。」
 
「そのフンドシ男は、背は160センチくらいで小柄ではあったけどね。っていうかさ、そのくらいちっちゃいティンコ、見たことある...?」
 
「そこまでミクロなのは、ないわ。だけど、ちっちゃいっつーか、細いのはある。昔付き合ってた男で、肩も背筋も腰もスッゴい筋肉が付いてるガッチリした体つきの男でさ、しかもイケメンだっただけに、予想外に細かった時はなんか悲しかったけどな。なんか、いかにも男性ホルモン多そうっていうか、そういう男だったからさ…だから、なんつーか私としては、外見とのギャップがないティンコがいいと思うわけですよ......もっと外見が細くてナヨっとしてる男のが、細くてもまあなんとも思わないっていうか......体が小さい人にでっかいのがついてても不恰好で気持ち悪いし、それと同じ理由で大きい体の人にちっちゃなのが付いててもカッコ悪いし、結局顔のパーツのバランスと一緒だよね。視覚的にベストな比率ってゆーのかあると思うんだよ、私も今まで付き合った男の人に限っての話だけど、パッとみて体との比率的に大きいか小さいかはわかるんだけどね。具体的にその比率を数字にしてみたことはないけど、多分できると思うよ。やってみようか。」
 
 
「...ティンコの数値化か...」
 
「ほら、基準が曖昧だからこそ悩んじゃうってのもあるかもしれないじゃん?女性の顔とか外見に対する評価と一緒でさ、個性がどうのとか言って主観的にしか評価できないってのも面倒な場合があるんじゃないの。」
 
 
「なんか男の人って、強迫観念的に大きいとか小さいとか気にするよね。ていうか、大きいとか小さいとかいう以前に、大きかろうが小さかろうが好きな男以外のティンコは想像するのも嫌だし、気持ち悪いだけなんだけどね。そこらへん、わかってんのかね。」
 
「どうなんだろね、たしかに男の人って、女の私には理解できないほどに、ティンコにプライオリティを置くよね。つーか、問題はティンコの大きさなのだろうか。」
 
「つーか、彼らにはティンコ以外に問題がないとでも思っているのだろうか。」
 
「…まあ、それはお互い様の話だけどな。色んな意味で。」
 
「よくいうけどさ、大きければいいってものでもないけどね。小さすぎるのも気持ちよくないから嫌だけど、大きいことを誇ってる男のほうが、私は嫌いだけど。あれはもうバカバカしくて引くよね。」
 
「だからさ、小さくてもいいってもんでもないじゃん?だから、大きいとか小さいとかの問題じゃなくて、なんでそういうことに変なプライドもってるわけ?......っていう。こちとら総じてそのプライドを傷つけないように気を使い続けてるわけでさ......「別に大きさとか関係ないよ!」っていうのは勿論真実でもあるんだけど、女の思いやりっていうか、気づかいって面も少しはあると思うんだよね。デリケートな男に対してのさ。ホラ、デキた男の人がさ、30半ばも過ぎた私のような女に「綺麗」とか言ってくれるような、そういう思いやりと同じようなもんだと思うわけよ。まあ、だけど、それはそれとして基本的に男のティンコに関してはなにも言わぬ語らぬの姿勢を取らなければならないので、面倒くさいなっていうか......まあ、その昔のティンコ細かった彼は、たまに酔っ払った時とかにいじけて、どうせ俺なんてアソコも小さいしさ...とか言っちゃうような可愛い男だったから、アハハ!そうだねー!とか言い合えて楽しかったけどね。」
 
 
「あ、でね、一応さ、その変態男の情報だけは共有しとこうと思ってね。これが、その変態の予約時のメールアドレスと電話番号。」
 
「あ、その電話番号、今、電話番号の検索サイトで検索してみたら結構検索されてるから常習かもね。」
 
「え、なにそれ。そんな検索数がグラフででるサイトとかあるの!」
 
「それくらいの情報があれば、ネットオークションの取引先とかもわかるよ。ホラ。出品物からして、エロ系のオタクじゃない?あ、ブログも見つけた。コスプレグッズとか車バイク関連のパーツとか、ヤフオクでの落札記録と一致してるから、やっぱりこいつだと思うわ。大阪在住だね。」
 
「...そうか、やっぱりそうやって、女性が一人で施術してるサロンとか巡ってるのかな...。死ねばいいのに。」
 
「もし、こいつが今度はうちに予約してくるようなことがあったらさ、予約の電話段階でちゃんと言っておいてあげるよ。『あなたは前回、某マッサージサロンで陰茎および陰嚢つまりティンコアンドキンタマを露出させた疑いがあるがそれは事実か?執拗に性的サービスを要求することやセクハラ的発言、行為で施術者を侮辱、嫌がらせをするような行為があった場合には抗議や慰謝料、損害賠償の対象であり、法的対応も検討している。事実関係を確認したいが、陰茎および陰嚢、つまりティンコアンドキンタマを露出させたのか?』と、ミニマムティンコを、ビビッてもっとミニマムに縮こまるほどに威圧的にずっと執拗に喋り続けてやるよ。」
 
 
「ティンコで思い出したけど」
 
「...今日はティンコの話ばかりか。」
 
「前にさ、もんのすごく暗がりから「ほら、チンチン」って言われたけど、人が立ってるのかすらわからないくらいの暗がりで何も見えなかったのでとりあえずガラケーで写メろうと思って声がした方によってって、カシャッ!ってしたらすげー勢いで人が逃げていったんだよ。ガラケーだったこともあり、写真は真っ暗で何も写ってなかったけど。」
 
「露出狂か。そんなに見せたいんなら、堂々と写真に撮られなさいよ!...って思うよね。つーか、なんなの?見せたいけど、写真はNGなの?」
 
 
「つーか、あれよね。ある意味ティンコを男のプライドのようなものとしてこだわってるのに、評価されるのは怖いのよね。体との比率的に平均値よりやや短めくらいですね!だけどフツーにセックスするなら気にならないくらいかな!?とかハッキリ言われたら萎えちゃうんだろうね。けなしてるわけじゃないのにね。きっと例え妄想であっても女に対するティンコの優位性を信じたいんだろうね。そうじゃないと、女に立ち向かえないんだろうね。まあだからさ、たとえ好きな男が小さいことでいじけてても、「小さくたっていいじゃない!たとえティンコが小さくたってあなたは素敵。」とか言っても、男は頑張れないんだろうね。なんかよくわかんないけど、やっぱりこういう話は、その変態男みたいのは別として、好きな男に対しては、良かれと思ってもアレコレ言わない方がいいんだろうね。愛情による沈黙っつーか、まあ思うところは色々あるけどさ、ほら、あれだよね。立たせたかったら黙ってろ、みたいな。」
 
 
なんつって、もう書いちゃったけどな。









2017/03/07

剥き殻




「発生学的には胎児の時に女から男がつくられるわけだけど、人間の性欲の発達としてはその逆なんだよ、っていう話をこの間、本で読んでね。」

その日は好きに喋りたい気分だった。
倉庫みたいなコンクリート張りの床のアトリエは大きなストーブをつけてるせいで冬でも妙に暖かくて、私は裸のまま薄い毛布にくるまりソファに寝ころんでいた。


横ではユキヒトがナイフで柿の皮を向いている。

「ほら、生まれる前にお腹の中で、7週目までは胎児は最初はみんな女だっていうでしょ。そこから胎児の大陰唇が綴じてクリトリスが肥大して男の子ができるわけ。言ってみれば、男は女から作られるわけだよね。だけどね、この間読んだ本でおもしろかったのは、人間の性欲の発達の仕方っていうのはその逆なんだって。産まれてきた子供は男の子も女の子もどちらも初めは男の子としての性欲を持っていて、つまり、どちらも男性器を女性器に入れたいという能動的な性欲を持っているんだけど、途中で女の子は性欲の在り方を逆転させるんだって。入れたいという能動的な性欲から、入れられたいという受動的な性欲に。」

「まあ、それは、女の子にはぺニスがないからね。」

「そうそう、勿論、無意識下の話だけどね。フロイトの、幼児性欲ってあるでしょ。人間は赤ちゃんの時から性欲があって、それが口唇期、肛門期、男根期...その後はなんだっけ?まあ、そんな感じで形を変えながらセックスへの欲求へと発達していくってやつ。その男根期のあたりの話かなと思うんだけど、大体4,5歳くらいのことだよね?女の子はその時期に、自分にはぺニスが無いってことを発見して、性欲の在り方を変えるんだって。ぺニスを膣に入れたいという能動的性欲から、膣にぺニスを入れられたいという受動的な性欲に。」


ユキヒトの手の中で、柿はくるくる優雅に弄ばれて皮を剥がれていく。
器用な男の手がナイフで果物を剥く様はとてもセクシーだなと思いながら、私は喋り続ける。



「・・・てことはさ、男の子は自然と男の子になれるけど、女の子は、男の子になるつもりだったのに無理だとわかって女の子になることにした、ってことでしょ。私、その感覚ってすごくよくわかるんだよね。別に、私は本当は男の子になりたかったのに、て話じゃないよ。私はある日突然、女の子だってことに気付いて、そこから自分の色々なものを方向転換させてきた、って話。だけど、私に限っては、それはいわゆるジェンダーのような「女はこうあるべき」という社会規範や概念のこととは全く無縁の話でね。たとえば親に「あなたは女の子なんだから」とか言われて、気付かされたわけじゃないのよ、ある日突然、自分にはぺニスがないんだ、って気付いただけなの。それは初潮がくる何年も前の話だから、私がそういう風に自分を女の子だって自覚したのは生理の有無じゃなくて、ぺニスが無いってことだったって、そういう話なんだけどね。」


ユキヒトの手の中で柿が素直にふたつに割れた。
いる?と差し出されたけど、私は基本的には柿が嫌いだ。
柿、好きなの?と私が聞いたら、うん、子供の頃に庭になっててね、ノスタルジーみたいなもんかもね、と、言ってユキヒトは笑った。


柿を剥く指とその暖かい石油ストーブの匂いのするアトリエの空気が心地よくて、私はこれからは柿が好きになるだろうと思った。私の好き嫌いなんて、その程度のもんなんだ。



「でね、結構はっきりと覚えているんだけど、私は精神的には、5、6才の時に女の子になるってことを始めて、12才の時に完全に女の子になったの。私の初潮は10才だから、それもやっぱり肉体的な生理とはまた別の話。私は12才の時にはもう大体、異性としての男っていう生き物の生理がわかっていたし、男の性的な欲求にどう対処すればいいのかはわかっていたわけ、それは多分その女の子になる過程で、たくさんの変質者とか幼児性愛者にモテてたせいもあると思うんだけど、そう、それはそれはよくモテてね、一度、誘拐されかけたこともあるし、下校中に後をつけられたり、電話をかけてきて卑猥な話を永遠と聞かされたり、建物の影につれてかれて裸にされたこともある。一度、私を羽交い締めにして物陰で服を脱がそうとした男と同じ顔の男が、ある日テレビに出ててびっくりしたことがあってね。そのテレビに出ててた男は隣街で幼女の誘拐殺人事件の犯人として捕まってて、何年かあとに死刑になったけどね、まあとにかくそういう変な男にすごく好かれてたわけだよ。そういう目に何度もあってるとね、どういう時に男が興奮するのか、自分のなにが男の興味をそそるのか、子供ながらにわかってくるものなんだよ。それは結果的にその後も自分を性的な被害から身を守る術になったし、幸い私はとても自己肯定感の強い子供だったから、その経験がトラウマになるってことは、なかったんだけどね。だから別にこれは、私の不幸な幼少時代の話では全くないのだけど、むしろ、それは私の人生に置いてとても良い経験だったわけなんだけど、それは、わかってもらえる?」


わかるよ、という目でユキヒトが私を見た。


「まあそんなわけで、結局私は自分が最初から女の子だったわけじゃなくて、まるで段々に女の子になっていった過程を結構明瞭に覚えているわけ。で、もしそんな風に全ての女の子が、最初から女の子だったわけじゃなく、女の子になっていく、のだとしたら、女の子の性欲の形成の仕方はとても複雑なものになるわけで、だって、もともと男根を膣に入れるという能動的な性欲を受動的な性欲に逆転させるわけでしょ、しかもその逆転は男になれなかった挫折感、劣等感、方向転換せざるを得なかった屈辱感が多かれ少なかれ伴うから多くの場合は順調にはいかないんだよ、まあ、その順調にいく程度というか、うまくいかない程度にも個人差があるわけだし、さらに、そこにはその時の時代や文化の影響も受けるわけだよね。だから、結果的に女の子の性欲っていうのは多様で複雑ですごく個人差が大きいわけ。よく女の性欲が無いと言われたり複雑だとかよくわからないとか言われるのは、もしかしたらそのせいじゃないかとも、思うんだよね。」

「うん」

「私が12才の時にはっきりと思ったのは、女の子としての私は、男の性欲というものの攻撃性や支配欲の対象であること、虐げられたり侮辱の対象であること。もちろん、それは男の人の人柄とか精神性の話じゃなくてね、男の性欲の基盤がそういうものだってことでね。ほら、よく言うでしょ。男の人には根本的に根深い女性恐怖がある、って。それが、男の支配欲と根本で結びついてるって。」

「ああ、それ、なんか覚えてるな。それたしか前に俺があなたに貸した本だよね?うん、なんか覚えてるよ。その、男の女性恐怖っていうのはさ、乳児期っていう自分が徹底的に弱い赤ちゃんの時に、異性である母親に育てられていたってことから発している、ってことだよね。男が女を支配したがるのは、その母親の支配からの脱却のための過程、っていうか、そういうことだよね。」

「そうそう、男の子の中では、自分が庇護されてる時の母親は全知全能の神のような存在なわけだし、そして庇護されてる時の自分自身はまだ赤ん坊で全くの不能だし、女を支配しないことには、男の人は自分の不能状態から抜けられないんだって。勿論それは、無意識下の話なんだけど。そういう話聞いてさ、男の人って、ああもしかしたらそうかもなあ、とか思ったりするの?」

私が聞いたら、ユキヒトは少し笑って、わからない、と答えた。

「まあ、そうだよね。誰も、乳児期の記憶なんてないしね。だけど、そう考えると、いままで不思議だったことが、よくわかるような気がするんだよ。なんで、女の身体が商品になるのと同じように、男の身体は商品になりにくいのか、とか、なんで男の身体や性器は視覚的に女を興奮させにくいのか、私は初めて男と寝るまでは性的な妄想の対象が女性のヌードだったんだけど、それはなんでなのかとか、ね。」

「ああ、女体が女の性的対象になるっていうのはさ、結局は女の子の能動的性欲から受動的性欲への逆転が、かならずしも完遂されないってことだよな。女の中にも、きっと代わり切れなかった能動的性欲が残るんだろうな。だから、女の性欲は男ほど単純じゃないんだろう。曖昧ていうか、複雑なんだよ。それは同性愛とはまた違うと思うけどね。」
  
「・・・そう、で、話が戻るけどね、私はさ、その12歳の時にはね、男の性欲の基盤には攻撃性や支配欲があって、だけどそれを受け入れない女に、男は欲情しないってことも同時にわかってたの。つまり、男の攻撃性に対して怖がったり逃げたりしない女を、逆に男は嫌がるし興味を無くすし、ある時は恐がるのよ、それがわかってから、私は全く男が怖くなくなったの。不思議なんだけど、それと同時に、そういう性的な被害に合うことも全くと言っていいほど無くなったんだけどね。」



ユキヒトは黙ったまま、私が寝転んでる黒いソファに腰を掛けた。
その黒い革張りのソファはいつも私たちのベッド代わりにされてるせいで、もうスプリングも壊れて革も破れてクタクタになってしまっていた。


それでも妙に寝心地がよくて、愛着が湧き、結局 別れるまでの数年間はボロボロのまま使い続けていたが、そのボロボロのソファはユキヒトのその質実なアトリエによく似合っていて、そのとき彼が手にしていたナイフや柿や指と同じように、心地よく美しかった。


「だから、私は基本的に12才の時から男の性欲の在り方を否定してるし、支配欲と攻撃性に裏打ちされたすべての男の性的な妄想に付き合う気は全くないの。だって、それは多かれ少なかれ自分に屈辱感を与えるからね、私の自尊心と男の性欲はどうやったって両立しないのよ。だけど、すべての男のそれを否定してたら恋愛もセックスもできないわけで、どうしようもないでしょ。だから、私は自分が好きになった男の性欲だけは、受け入れてあげようと思ってるの。だから私は自分の自尊心をすり減らしながら、好きな男を愛していて、自分を消費しながら、好きな男とセックスをしてるの。それはもちろん、その男のためじゃなくて、私自身のためなんだけどね。」


コンクリートの床には、切れ目なく渦巻き状に剥かれた柿の皮が落ちている。

器用な男の指で、綺麗に剥かれた果物の皮は無理が無く美しくて、
羨ましくなるくらいに、幸せそうだと思った。










2017/02/15

できない

 
 
なんつーか、シビアな話だよなと思う。
 

「できないんだよね」
 

友人の寧々ちゃんが無表情でそう言った。
この女が無表情になる時っていうのは怒ってるかイラついてるかもしくは悲しいか、とりあえずは昂ぶっている感情を見せまいとしているときである。
 

「なにが」
 

「子どもが。もう二年も、子作りしてるんだけどね。」
 

「・・・ああ、それは、また、いや~~な話だね。その、子どもができないっていう不妊の話はさ、女がする話の中で、たぶん一番シビアで重~いウェーブを発する話だと思うよ。」
 

そのとおり、重い話だけど聞くかと言われたので、私は喜んでウンと言った。
聞くだけなら、私はどんな話だって楽しい。
 

「たしかにさ、時代にもよるのだろうけど、ちょうど今の、寧々ちゃんとか私たちぐらいの年代になるとよく聞く話だよね。私の友達でもさ、旦那さんとのセックスレスで子どもができないとか、してるけどできなくてもう何年も不妊治療してて辛いって子とか、あとはめずらしいとこだと彼氏が昔にパイプカットしていて、パイプの復旧手術も今はできるからすれば子作りもできるんだけど彼氏がしてくれなくて、彼氏は結婚したがってるんだけど彼女は子作りができないなら結婚にはウンとは言えないって言いながらも、もう7年も付き合ってるカップルとかね。まあ、いろいろあるさね。」
 

寧々ちゃんは数年前に、当時妻子持ちだった50代の男と結婚した。
相手の男は離婚に際して徹底的に身ぐるみ剥がされ、現在は経済的には誉められた様子ではないようだが、寧々ちゃんはそこらへんはあまり気にはならないらしい。女の経済的な自立と自由恋愛っていうのは、やはりセットなのだなと実感する。
 

「子どもができないってさ、ホントにつらいよ。安易に子作りを始めた自分を呪うくらいには、つらい。」
 

「うん、知ってるよ。私も、昔だけど、そういうことあったから。あれってさ、女の排卵が一ヵ月に一度っていうこと自体が、つらさを助長させてる気がしない?」
 

「ああ、当てなきゃいけないってこと?」
 

「いや、っていうよりさ、どんなに頑張っても、基本は一ヵ月に一回、できるかできないかのサイクルじゃん?今月ダメだったら、また来月まで待たなきゃならない。来月ダメだったら、また再来月。どんなにがんばっても、ひと月一回。ひと月単位で何かを成し遂げようと思ったら、常に月に一回ずつの排卵と生理を気にしながらの毎日なわけで、すぐに一年くらい経っちゃうんだよ。一年分の疲労感付きでさ。しかも、その一年のうちのほとんどの時間が待ちの時間なわけだから。待ちの時間って、つらいじゃん。その間は頑張りたくても何もできないわけだし。その待ちの時間の、その疲労感たるやなんつーかもう思い出すだけで吐き気がするね。」
 

「わたし、ちょうど子づくりはじめて二年になるんだけどさ、最初の半年くらいはさ、結構冷静に前向きにいられたんだけどさ、一年過ぎたぐらいの時からかな、段々、鬱っぽくなってきた自分に気が付いてね。ちょっとこれはまずいなと思って。落ち込む期間が毎月毎月、長くなってくるんだよね。たぶんPMSとかホルモンのせいもあるのかもしれないけど、たぶん相互作用なんだろうね。先月ついに落ち込みが一番ひどいときにベッドから起き上がれなくなってね。なんか、自分に対しての後ろ向きな思考で頭がいっぱいになっちゃって、もう、何もしたくないって、頭が、っていうか身体がもう活動拒否状態っていうか、そんな感じで。一日だけだけど、とうとう仕事や休んじゃったんだよね。こんな理由で寝込んで仕事休むとか、自分でもびっくりしたよ。」
 

「ああ、わかるわかる。あれはさ、「子どもができない」って思考から始まるマイナス思考の無限ループなんだよ。それで鬱になるっていうのはすごくよくわかるよ。人にもよると思うんだけどさ、大体、「こどもができない」ってことから始まって、何の根拠もないんだけど「そんな自分には価値がない」ってとこまで思考が段階的に行く気がするんだよね。その人の社会的な立場にもよるだろうけど、結婚しててまわりから子供を望まれてたりとか、そういう対外的なプレッシャーは女性の生き方が多様化した分、昔よりも今は少ないと思うんだけど、自分が、自分に与えるプレッシャーっていうのは変わらずあるからね。で、例えば「こどもができない」から始まって、「なぜできないのか」ってとこから無闇に原因探しに走ってループを深める場合もあるし、ありもしない原因を探り続けるのも悲劇だけど、その原因がはっきりしている場合も大変じゃないかと思うんだよね。まだまだ、頑張れちゃうっていうか、頑張りようがあるわけだから。まあ、私の場合はそこまで頑張ったことないから、っていうか、そこまでは頑張らないって決めてたから、結果的に頑張ってなくてわかんないんだけどさ。」
 

「ああ、多分、セックスレス以外のできない原因なんか、知らないほうがいいと思うよ。できないならできないで、今は女の人だって色んな生き方ができるわけだから、それでいいじゃんって。・・・・・・って、理屈ではわかろうとするんだけどね。無理なんだよ。」
 

「そうだね。無理だね。」
 

「・・・・なんか、変な言い方だけど、神様に見放されてるような、そんな気がしてくるんだよね。わたし、無神論者なのに。」
 

「・・・授かりもん、とか、運とか、そういう言われ方をするからね。じゃあ、できなかった人には、そういう神様からの何かがなかったかのように感じれなくもないからね。まあ、運みたいなものを、偶然と捉えるか、必然と信じているかにもよるんだとは、思うけどね。」
 

「できない、って、完全にわかっちゃえばもう少し楽かもしれないと思うんだよね。それはそれでつらいよと言われるかもしれないけど、もしかしたらできるかも、と思ってるほうが、思ってる限りはつらいのが続くよね。毎月の、淡い期待と断崖の深淵みたいな落胆の高低差つきでさ。」
 

「ああ、そうそう、その高低差がね、つらいんだよね。ていうか、だったらむしろさ、一度、病院で検査してもらったらいいんじゃないの。ダメな理由がわかれば割り切れるだろうし、可能なら治療もできるだろうし。それに今はさ、人工的な妊娠っていうのももう珍しくないじゃん?命の発生は神の領域だとかいってそういう人工的な妊娠をいやがる人もいるけどさ、人間なんてもう明らかに本能は壊れてるし、壊れた本能を支えてるのはもう文化とか文明でしかないと思うんだよね。それに昔だったら神様の仕業みたいなことでも、科学が進歩した今なら普通のこともあるし、ていうか、昔は人間に不可能なことは神の仕業だったわけでしょ、今はまだめずらしい人工的な妊娠だって20年先にはもうスタンダードになってるかもしれないでしょ。え、まだあなたのとこ、セックスしてるの?みたいな。もう今はさ、生殖行為自体、もう本能じゃなくて趣味なんだよ。だからゴルフとか俳句みたいにそういうのか好きな人たち同士がやればいいだけの話でさ、だから人工的な妊娠がやっと自由診療ではあれ誰でもできるようになってきたってことはすごくまっとうでありがたいことなんじゃないの。まあ、だけど、病院で検査とかそういうのは、彼が、嫌がるかもしれないけどね。」
 

「いや、彼はね、検査してみてもいいって言ってくれてるのだけど、私がいやなんだよね。それは、子作りする前に自分で決めたの。私は、他のこともそうなんだけど、できるときは自分が望まなくてもできるし、できないときはどうやったって、できないって、思ってるから。実際、私一回、前の男との間に妊娠してるし、まあその時は私の都合で堕ろしたんだけど、できるとかできないって、そういうもんだって思ってるから。そういう、自分の欲求を超えた力っていうか、運とか、自然の摂理、みたいなものとか、まあ、もしかしたら誰かはそれを神様とかいうのかもしれないけど、そういうものに対しては謙虚でいたいっていうのが私にはあるから、だから、ホントは今回のこともできないならしょうがないって、受け入れたいんだけど、なんか、まだ気持ちが追い付かないんだよね。なんか、思ってたより、納得するのに、時間がかかりそうで。」
 

「女の人って、頭で考えてるっていうよりかは、いろんなことを、生理的に、身体で考えたり決めたりしているようなところがあるからね。何かのきっかけで身体が「産みたい」ってモードに入っちゃうと、なかなか切り替えるのも難しいんだろうね。理屈で納得、なんて浅はかさとは無縁な分、こういう時はつらいよね。あとは、不妊期間が長いほど精神的に産むことへの執着も強まるだろうしね。執着は「すき」と違って全然楽しくないからね。むしろ、「欲しい!」っていうキラキラした希望が「できないんなら死にたい」っていうくらいの呪いになり得なくもないっていうか。」
 

「別に、子どもとか、好きじゃないんだけどね。」
 

「それとこれとは別問題なんだよ。」
 

「私の彼氏さ、一度離婚してるから、前の女との間にふたり、子どもがいるんだよね。中学生と小学生の男の子がふたりなんだけど、その子供のことは今でも、凄く可愛がってるの。その子どもが大事っていうのは、もちろんよくわかるんだけど。」
 

「うん。」
 

「わかるんだけど、私は、前の女との間にできた子どもなんて全然好きじゃないし、ちゃんとした人間は自分の好きな人の大切なものは自分も大切に思えるのかもしれないけど、だけど私はそんなの絶対無理だし、だって、自分以外に自分以上に大切なものがあるなんて嫌じゃない。せめて、自分と同じくらい大切なものが、自分と、彼との娘だったら、いいのにって。」
 

「あ、娘、って、女の子限定なんだ。」
 

「うん、わたし、もし生まれるとしたら、絶対女の子がいいの。っていうか、もし、生まれるんなら女の子、って信じてるの。っていうと思い込みが酷くてやばいと思われるかもしれないけど、ホントに、もし男の子だったら、子どもなんていらないんだよね。」
 

「それは、すでにいる子供たちが、男の子だから?」
 

「たぶん、・・・・それもあると思う」
 

そこまで聞いて、私にはなんとなく、寧々ちゃんが考えてることが解ってしまった。
 

寧々ちゃんは、多分、その生まれるべき自分の娘に、自分自身を投影しているのだ。
 

「彼と、自分の間にできた娘を、彼が溺愛しているって想像すると、なんだか、気が済むんだよね。彼のことを、本当に、手に入れられたような、そんな気がして。実際にそんなことになったとしたって、自分がどう思うかなんて、本当には、わからないのにね。」
 

寧々ちゃんはきっと、女として充分に愛されるけでなく、彼の子供に対する愛情まで、独り占めしたいのだ。
 

思い込み云々というより、私は寧々ちゃんを、欲の深い女だな、と思った。
満足とか幸せがどうとかいうより、多分この女は、愛した男ひとりを食いつくさない限り、きっと気がすまないのだろう。
大体この女は一人の男を離婚させて結婚して、それだけでもすごいパワーというか、執着だなと思う。でもそれでもまだ、気が済まないんだろうな。
 

まあ、欲を満たすために欲を作り出すのが人間だとしたら、きっと寧々ちゃんはとても健康的なのだ。
女が全てそうだとは全く思わないが、たぶん、中にはこんな女もきっといるんだろうな、と思った。
 
 
 
「変な話だけどさ、最近彼とセックスしてる時にね、自分が、彼と自分との間にできた娘になって、その娘が彼とヤッってるって、そう想像しながら彼とするとね、すごく親密な気持ちになって幸せなんだよね。そんなの、現実でしたら父と娘だし近親相姦だし、やばいだけなんだけど、なんなんだろね。わたし、ファザコンの気とかもないはずなんだけど。で、たまに冗談でさ、彼に『もし娘ができたら、娘と私と、みんなで3pしようね』っていうと、彼はまあ冗談だと思って笑うんだけど、ていうか、普通の男なら笑いもしないと思うんだけどね、彼氏は結構そういう方面には寛容なひとだから、まあ、軽くいなすんだけど、私はね、万が一自分に娘ができるとしたら、それはある意味では、彼と私の間で消費されるものだと思っているの。
まあとはいってもそれはもちろん妄想だから、実際にできてもそんな風にはしないと思うよ。だけど、そういう妄想は何かの原動力として確かに私の中にあって、私が子どもが欲しいと思う理由は、それなわけだから、だから、そういう意味ではそれもひとつの真実ではあるのだけど」
 

「圧倒的な自家消費だね。父親が娘を消費したら、後には何が残るのかね。」
 

まあ、妄想だからね。
と寧々ちゃんは笑って言った。
 

「こんなこと考えてるから、できないのかな。」
 

そう寧々ちゃんはわざと自嘲気味に言ったが、それが彼女の運命的に可なのか不可なのか、きっと寧々ちゃんは自分でも他人でもない何かに、決めることを託していて、それ以外の何者にも決めさせまいと、きっと彼女は固く決めているのだろうと思った。
 

「友達にさ、今度、顕微受精するかもっていう子がいて。」
 

「ああ、男の人の方の、精子の活動が弱いのかな。直接卵子に精子を、こうチクッと注入するやつだよね。」
 

「そうそう。でね、私は、そういう人工的にでも子どもを作ろうとする人ってさ、なんか、自分の限界を認められないわけで、潔くない往生際の悪さとか、自分の力でなんとかしてやりたいという傲慢さとかを感じたりもするんだけど、だけど、結局はさ、じゃあ、病気で苦しんでる人に、もうそれはあなたの限界なんだから、潔く苦しみなさい、死になさい、って言ってるのと同じようなことだとも思うんだよね。別に、不妊の人が不治の病の人と同じくらい苦しんでるとか、つらさの程度のことを言ってるんじゃないよ、自分の現状に対する不満と、そこから脱却したいという欲求は、すごく自然な、欲じゃないかって話。それに、その限界の概念もあたりまえだけど時代によって変わっていて、その過渡期には勿論悩む人も多いわけだけど、だけど現実に不満を解消する選択肢は無数にある場合もあるわけだよね。不満の、どの地点を基準にして決断するかは、時代とか文化とか個人によるけど。その欲求がどれだけ大きくなるかは、それが可能になる手段が可能な形で目の前にあるかどうかってことにもよるしね。」
 
 
 
 
何か私の言葉が不服だったのか、
 
そうだねえ、とか、当たり障りのない返事を嫌う寧々ちゃんは、何も返事をせず、黙ってまた端正な顔を無表情に戻した。
 
少しだけ沈黙で私を威圧して、そしてまた口を開く。
 
 
「だけど、やっぱり私は、いやなんだよね、だって、どこかで、自分がやるべきこととそうでないことに線を引かなきゃ、結局はどこかで自分が、苦しむわけでしょう。欲求なんて、形を変えてどこまででも、続いていくんだから。その基準は、人によるのかもしれないし、たまたま、私の基準がそこだったていう、そういうことだと思うよ。」
 
 
そう、寧々ちゃんは何かを割り切るように言葉を紡いだが、
そんなふうに、いつも割り切れない何かを内包する寧々ちゃんの顔は、今日もとても綺麗だ。