2012/12/27

美魔女


鬱陶しいから早く去れ、
と思っていた美魔女ブームがなかなか消えないので折角だから書いちゃおうかな。


「美魔女」がキライ、という言葉を最近たまに聞く。

それが主に男の人の口から出てきたりするから、おもしろい。

「あんなに若作りしたってさ、どうせ若いのなら本当に若い女にいくね、俺なら。」

というのが、彼らの言い分らしい。
彼らっつったって、まあ私の周りの3人だけだけど。

たしかに美魔女コンテストって言ったって審査基準が円熟した女の渋みとかではなく
単に「若くみえるコンテスト」って感じだしね・・。
なにも40代になってまでそんなに若さを全面に出して頑張らなくても。
大体、若さ、を売りにしてる時点で若者に負けてるじゃん。
いや、別に勝ち負けの問題じゃないけどさ。

一体、彼女たちは何を目指しているんだろうね?
余計なお世話だけどさ・・。

「キレイでいるのは旦那のため、とか言ってるけど、結局は周りや世間から「◯◯ちゃんのおかあさんはお若いですね〜」とか「とても◯歳には見えませんね」とか言われたいだけでしょ。」

ああ、あと「男にキレイって言われたい!」とか?
それならなんか健全な感じがしなくもないけれど。
だったら美魔女の旦那さんは結構、幸せかもね?
奥さんがキレイだったらセックスもやる気になるだろうし。



「え?セックスなんかしてるわけないじゃん。
 旦那がちゃんとかまってやってたら、女はあんなに頑張らないよ。
 ウチでかまってもらえないから、その分、外で認めてもらいたいんでしょ。」


・・・!!

そうか。

・・・そうかもね。

・・・いや 知らないけどさ。

たしかに、奥さんにあれだけやらせてあげられるってことは
旦那も経済力がある男だろうし、
そんな男なら他に彼女のひとりくらいはいるかもしれないしね・・・。

そうか。美魔女のキレイさを欲求不満の産物と考えると、
なんか納得できるから不思議である。

重ね重ね、余計なお世話だが・・・。

「基本的にね、美魔女と熟女は違うんだよ。
 熟女は歳を取っても女として見られ続けている女だからね。
 目指すなら、美魔女じゃなくて、熟女を目指さないと。」

た、たしかに・・・


「美魔女じゃなくて、熟女になれ」(友人、三神談。)


たしかに、美魔女に賛同してるのは男ではなく主に女のような感じもしなくない。

あ! わかった!

美魔女ブームって、美容業界が仕掛けた陰謀でしょ?
外見の若さが衰え始めた30代から40代の女の焦燥感と一時の不安感をターゲットに、
まーたそこから金を絞り取ろうという・・・。

若さはお金じゃ買えないから、価値があるんだと思うんだけどね。

まあ、たとえ外見だけの話だとしてもキレイじゃないよりはキレイな方がいいけどさ。

でも結局「キレイ」だなんだって言ったって、
その人間の精神性が外見に浮き彫りになるわけだから、
若さを失い始めた頃からは
その女が何をもって美しいとしてるか、その精神性が、
その女の顔や身体を作っていくと思うんだけどね。

そして何をもって美しいとするか、その精神は人によって違うから、
目指すところも人によって違うと思うんだよ。
なにもちまちま肌の手入れしたり、見栄えのする筋肉つけるためにヨガするばかりが、
美しさってことじゃないだろう。

「美魔女」なんていうチープな言葉でくくられることが馬鹿馬鹿しくなるほどに

美しさっていうのは、もっと多様でダイナミックで
自由なもんだと思うんだけどな。






2012/12/23


友人たちに会いに京都に行ってきました。
半日、一人の時間があったので今まで行った事のなかった伏見稲荷へ。

以前から鳥居が並ぶ様を
「なんだか不気味で怖そうなところだなあ」と思ってはいたのですが



・・・別に、怖くはなかった。
しかしなんだか異空間的な・・・。



なんだかジェームズタレルの作品みたいだなあと思って
「伏見稲荷の風景が現代アートっぽい。」と翌日、深い意味は無く友人に話したら、
「現代アートってさ、他人のオナニーを見てるような気分になってあんまり好きじゃないんだよね。」
とその友人は言っていた。
相変わらず、おもしろいヤツである。
ああ、そうなんですか、気持ちいいんですか、よかったね・・・みたいな感じかね?


この鳥居がどこまで続くかもわからず
ひたすら登り続けていたのだが、さすがに小一時間昇登り続けたら革靴を履いた足が痛くなってきた。
視界が開けたところにたどりついた時に、まあ、もういいかなと思ったので
そこで引き返すことにした。



冬の京都は寒かったけど
陽がでるとぽかぽかして散策する分には気持ちがよかったよ。

お寺や神社には興味が無いけれど、
京都はちょっとした山や自然が満喫できるから気持ちがいいね。





2012/12/16

言葉


「僕のこと、愛してる?」


・・・・。


ウソでもいいから愛してるって言えばその場はまるく収まるのだけれど
私は自分の気持ちにしっくりこない言葉は口から出せないので
昔から男とのこういうやり取りはとても困る。

私は「言葉」というものをとても大事にしているので
自分の気持ちと、それにきっちりはまる言葉をいつも自分の中で探している。
「愛してる」じゃなくて「ヤリたい」とか「すごく好き」とか
「好きだけど嫌い」のほうがしっくりくるんだけどな。
だけど私にとって最高級の愛情表現の「ヤリたい」って言葉を使うと、大体の男は引くしね。
「俺の身体が目当てなの?」なんて言われちゃったりして、
本当に言葉のやり取りって難しいとおもうよ。

私は自分に違和感のある言葉は使いたく無いので
大体の場合、男に愛してるとは言えないんだよな。

「ほら、御主人様、って言ってみろ。」

と、この間SMのプレイの中で言われたけども
私の辞書の中に男に対するそんな語彙はないもんだから
やっぱりそれも言えないんだよね。

だってさ、そんな言葉、普段は使わないじゃん、
そんな言葉はしっくりこないと私を調教中の加賀さんに悪態ついたら
彼はこんなふうに言っていた。

「SMは言ってみれば空想の世界なんだから、それでいいんだ。
 今はしっくりこなくても、言ってるうちにしっくりくるようになるんだよ。」

御主人様、と繰り返し言葉にしていれば、
そのうち相手の男を自分を支配する主人だと自然に思うようになる。
愛してる、と例えウソでも繰り返していれば、
その言葉が身体に染み付いて、愛のようなものを形づくるのかもしれない。

言葉は人を支配する。

私は、それが好きじゃない。

他人の言葉に支配されるのが、イヤなんだよな。

私は自分の心が選んだ言葉で自分を満たしていたいのに。

言葉は自分が作り、紡ぎ出すようでいて、
実は自分が言葉に支配されていたりもする。

人は言葉に何かを託し、放ち、そして自らがまたそれを受け取る。

例えば、住んでいる土地を一時的に離れどこかを訪れることを
ある人は精神性を込めて「旅」と表現し、
ある人は出発から帰着までの行程として「旅行」と表現するように
多分ひとそれぞれに、なんとなくではあっても
大事にしている言葉の使い方のようなものがあるんじゃないのかな。

その大事にしているものは、
多分日常に自分が使う言葉に託されて、そして自分に戻ってくる。

戻ってきたときにそのまま抱きしめられるような言葉を、
ちゃんと私は使えているだろうか?

私の中にある男に対する強い愛情を、
私はずっと「すごく好きだけど、すごく嫌い」という言葉に置き換えてきた。
使い回された「愛してる」という既存の言葉では
自分の思いがどれだけ正確に託せているのか、わからなかったから。

最近はその言葉の意味をそのままに、
そんな「愛している」という言葉に換えてもいいような、
そんな気持ちになってきている。

自分のものでは無かった言葉に、自分が近づいてきたってことなのかもしれない。

自分が変わると、言葉も変わる。

そしてその言葉が滋養になって、自分が形づくられる。

自分を支配する言葉は、自分が決める。

だからウソは、言えないんだよね。