2011/12/10

寂しい




彼氏が欲しい・・・。」と友人の菜々ちゃんが言うので、

「なんで?」と 訊いてみたら、

「なんかさー、たまに夜ひとりで過ごしてたりすると、無性に寂しくなるんですよね・・。
 ア〜〜・・・こんなに頑張ってるのに、やっぱり私って一人なんだ・・って思って、
 この間も寂しくてひとりで泣いちゃったんですよ。」


ああ

なるほどね・・・。

「寂しい」のか・・・。


でも この今年25歳のエステティシャンの菜々ちゃん、
結構モテるので別に男の人に困ってるようにも見えないのですが。


「でも菜々ちゃん、彼氏かなんだか知らないけど、いつも男の人なら近くにいるじゃん。」


「はい、いや勿論 今もいるんですけどね、なんかいつもダメなのばっかなんですよ。
 妻子持ちとか、鬱持ちとか、金が無いヤツとか。
 今、付き合ってる男は未だに前の女と切れてなくて、
 アイツは俺がいないとどうなっちゃうかわかんないから、みたいなこと言って。
 あ、その前の女って鬱で何度も自殺未遂してるらしいんですけど。
 てゆーかそんな女を切れない男もホントにバカだと思うんですけどね、でも
 私もその男と別れられないんですよねえ・・・。」


「うん、知ってる。だけどさ、菜々ちゃんはそういう男が好きなのかと思ってたよ。
 菜々ちゃん、男の面倒見るの好きじゃん、世話してやってると自分の『必要とされたい』
 っていう欲求が満足するわけでしょ。それこそ必要とされている時は寂しくないわけでしょ、
 需要と供給がほどよくマッチしてダメな男が菜々ちゃん目がけて寄ってくるんだよ、よかったじゃん。」


「・・・そりゃたしかにそうなんですが、だったらなぜ私はシアワセになれないのでしょうか?」



アハハ!!

たしかにそうだね?

なんでだろう?


私が勝手に思うに、なんかこの「寂しい」って言葉が、ちょっと気になりませんか?


「寂しい」って、何なんでしょうね。


たぶん、この菜々ちゃんの場合の「寂しい」っていうのは、
たとえば「大好きな彼氏にいま会えなくて寂しい!!」みたいな誰か特定の対象物に対しての寂しさでは、
おそらく無いですよね。

たぶん、なんかわかんないけど、ただ漠然と寂しいんですよね。

漠然としたその寂しさを埋めてくれる誰かが、きっと欲しいわけですよね?

「寂しさ」っていうのは、結局「欠落」に対するマイナスの感情だと思うのですが、
その漠然とした寂しさを感じる人の場合、
その欠落が結局その人の内側にある気がするんですよ。


自分自身に自信が無い、
自分が嫌い、
自分の事を誰かに認めて欲しい、


そういう自分自身の「欠落」を誰か他人に埋めてもらいたいという欲求が満たされない、
そんな哀しさを、ある人たちは「寂しい」と表現するのではなかろうか?と。

ただ、この「寂しさ」がちょっと厄介だなーと思うのは、

その自分自身の欠落を「他人」に埋めてもらおうとしているとこなんですよ。

「誰かに私という人間をまるごと受け入れて欲しい、そうすれば私、自分に自信が持てるのに。」

って 感じですかね?


これって、けっこう厄介だと思う。


周りに被害はそんなにないんだけど、
自分自身が結構キツいんじゃないかなーと思ったりします。

というのも、なんとなく、こういう風に「寂しい」と言う人たちは、
自分自身の「欠落」というものに対して眼を向けない人が多い気がするから。

大もとの根っ子の問題を見ずに、どれだけ枝葉を伸ばせるかと、あがいてもねえ。


キツいですよねえ。


たったの一度でも、自分のその欠落と向き合ってみれば、
そこから一気に何かが変わると思うんですけどね。

「自分の欠落を埋めてくれる誰か」を求めるんじゃなくて、
「自分の欠落を自分自身で埋めて行くために、必要な誰か」を求めるようになるわけだから。

でも そういうのって、他人がどう説教したところで、ムリなんですよね。
自分自身から眼をそらしてる時って、周りの事ばっかり気になっちゃうし、
勝手にテンパっちゃうし、
自分自身と向き合うのって、結構覚悟決めないとできないことだったりするから。


「まあ、菜々ちゃんがこの先、
 例えばそのダメ男との攻防の末に行き着くとこまで行き着いちゃったとしても、
 それはそれで菜々ちゃん自身のかけがえの無い人生だからさ、
 私はそれはそれでいいんじゃないかと思うんだけどね。」


菜々ちゃんの話がなんだか彼氏の愚痴を含めた堂々めぐりになって来たので、
とりあえずそんな感じで話を切ってみました。


だって、自分の人生を作る権利も責任も、結局は自分にしかないわけだから。


たとえどんな人生でも、自分の人生を心底、愛せるのは、自分でしかないと思うよ。


自分を全て抱えて受け入れて、生かしてくれる他人なんて、絶対に存在しない。


だけどさ、自分らしく生きていこうとする自分を支えてくれる人は、
すぐそばに、たくさん、いるんだよ。



そう感じる事ができるだけで、


たぶん菜々ちゃんは、「寂しい」って言葉を
もっと自分の愛する人のために使えるようになるんじゃないかと、
そう思うんだけどな。













2011/11/30

三神さん


私の友人の中で、一番、私が色んな事をしゃべり尽くしている人。


78歳のおじいちゃん、三神さん・・・。


コレだけ歳は離れてるんだけど、妙に気が合うんですよね。
仲良くなるのに、年ってホントに関係ないんだよなあ。


意外とお喋りしても毎回、話題は尽きないんですよ。




「三神さんってさ、すっごい『カン』がいいよね、宝くじとか買わないの?」


この日はいきなり『カン』の話になりました。
話題を振ったとたん、ぴしりと即答の三神さん。




「買わない。他のギャンブルに比べて、どう考えても割が悪いんですよ、宝くじは。
 第一にね、ギャンブルっていうのは運もあるけど、集中してやらなきゃだめなんです。
 惰性でやったら絶対負ける。競馬でも麻雀でもカジノでも、自分が集中できる時間を
 決めて、その時間は集中して、やる。そうすれば、結構いいとこまで行くんです。
 私の場合、例えばカジノであれば、集中できるのは30分が限度。勝ってても負けても、
 集中できる30分の中で、集中して、遊ぶんです。」




へええ〜〜。


よくわからないけど、勉強になります。


なぜ私がこの三神さんに『カン』の話を振ったのかといいますとね、
この三神さん、自他共に認める、類い稀なる第六感と勝負強さの持ち主だからなんですよ。


何十年前の話でしょうか、
バブル経済の崩壊を予見し、当時でっかく商っていた商売を持ち前の潔さで一気にたたんだことで
一財産を築き、現在まで悠々自適な生活をおくるこの三神さん。


カンの良さはこの一見にとどまらず、
まあ、ちっちゃな話ですが、私が「今日はケーキが食べたいな〜〜。」とか思うと
ケーキ片手に遊びに来てくれたりとか、そんな感じでいつも絶妙に空気を読んでくれる人なんです。


すごいでしょ?


最近思うんですけど、
そういう『カン』っていうのは、自分の進むべき道を覚悟を持って見据えた人にだけ、
与えられるものじゃないかと思うんですよ。


『カン』を授かるのにはまず、周りをただ見渡す前に、自分が進むべき道は何なのか、
まず自分自身を見つめる作業が必要なのではないか と。


まあ、ケーキとかそれくらいのもんならもっと何気ないものだと思うんですけどね。


まあ 場合と程度によりけりってことで。




「宝くじの話が出たから折角ですけど、マエダさん。」


「はい?」


急に改まる三神さん。


「実はこの間ふと思ったんだけどね、宝くじ、あなたのお母さんが買ったら当たる気がするんですよ。」




・・・・




ジャケットの内ポケットから黒い皮の財布を取り出し、
おもむろに一万円札を取り出す 三神さん。




「コレで、あなたのお母さんに、宝くじ、買わせてみて。」




・・・




一万円札を受け取る、マエダ。
ちなみに、三神さんと私の母は実際に会った事は無いんです。
ただ、私がよく母の話をするので、三神さん自身は妙に母のキャラクターに好感を持っているようなないような・・・。




「私が買っちゃ、ダメですか?」


「ダメ。」


「じゃあ、宝くじ売り場、ドコがいいか私が調べてみよっかな〜。」


「ア〜〜ダメダメ!!あなたがやっちゃだめです。お母さんの好きなとこで買わせなきゃ。」


「ってゆーか、私も母も、産まれてこのかた宝くじって買った事無いんですけど・・。」


「売り場でね、連番10枚とバラ20枚って言って買って。そしたら大体そのくらいの金額でしょ。」




なにを企んでいるのか、なにやら楽しそうな三神さん・・・・。




「な? なんだか たのしくなってきただろ?」




むむ たしかに・・・。


いやなんだかわかりませんが、私もこの段階で無性に楽しくなってきてしまいました。
人に、宝くじを買わせてみるという、この不思議な感じ。
「この人に任せてみたら、どうなるんだろう?」っていう、
「この人」を信用する感じとでもいいましょうか。
「この人が当たったら、いいよなあ。」っていう感じも勿論ありますよね。
この一万円という金額に対しての重さは勿論人それぞれ、
三神さんにとっては小さいものかもしれませんが、
いかんせん この三神さん、気にいったものに対してはものすごく気前がいいけど、
出したくないものに関しては一銭だって身銭を切らない、結構ケチっちゃケチですよ。
そんなお人ですから、なにかしら楽しいことを予感してのことなんでしょう。




「じゃあ、母に買わせてみますけど、もし当たったら、どうするんですか?」


「うん、ホント〜〜に、でっかく当たった時にだけ、教えてくれればいいよ。」


 ハイ、 わかりました・・・。






さて、 どうなるか。
なんか、ここに書いちゃった手前、
曲がりなりにもおもしろい結果であって欲しいと、
変なプレッシャーを感じるマエダです。




































































2011/11/27

飛ぶ鳥


飛んでる鳥を写真に撮りたくて、


がんばって狙ってみても、なかなか撮れないんですよ。


なぜって、鳥が飛ぶのが速すぎるから!


あっという間に視界から消えてる。


視界に鳥が飛び込んで来たら、構図とか考えずにとにかくシャッターを連打!!


たまに、コレくらいのが撮れたり撮れなかったり。


鳥が飛んでる姿は、綺麗で、気持ちがいい。


狙ってもなかなか撮れないあたりが、なんか、いいんだよなあ。



































2011/11/13

腸詰め


「なっちゃん、今日は何か池袋に用事でもあったの?」


緊縛の友、M女のユウキちゃんと池袋の中華食堂でご飯を食べた先日のこと。


「ん〜? ああ、そう、ちょっと東急ハンズで買いたいものがあってね・・。」


あさり出汁の中華麺に小龍包、豚バラの葱塩煮込み、餃子をつつきながら、
ユウキちゃんとマエダのひと月ぶりの、会食。


席に着くなり、「お尻が痛い」と言い出すユウキちゃん。


「お尻が痛いって・・・。ああ、そういえばユウキちゃん、先週、久しぶりに彼に会って来たんだっけ?」


「うん、そう、逢瀬の傷跡がね・・・なかなか痛むんだよ。」


「逢瀬の傷跡ねえ・・。お尻、ムチで打たれたの?」


「いや、噛まれたの。噛んだあとをさ、ムチで打たれたから、結構キツくってさ。」


「ええ!? それはちょっとキツくないかい?大丈夫なの?」


「うん、痛いけど、大丈夫。
 てゆーか、痛いのが嬉しいから。
 彼に『なにして欲しい?』って訊かれたから、『残る傷が欲しい』って頼んだの。
 傷が残ってるとさ、それを見れば、またその時のことを思い出して、その記憶に浸れて、嬉しいでしょ。」


・・・


そうかあ。


このM女のユウキちゃんとその彼は、
遠距離ということもあってそんなに頻繁には会えないんですよね。
だから、一回の逢瀬が永遠に匹敵するくらい大切なのではないかと、マエダは推測するわけです。
なんだか不覚にもユウキちゃんの健気さにじーんと来てしまいました。


「いやー。そんないい話のあとでアレだけどさ。」


「ああ、なっちゃんは東急ハンズで何を買ってたの?」


はい、


実はですね、


私はこの日、東急ハンズで「ソーセージ作りキット」を購入したんですよ。


私、数年前から「ソーセージ作り」が趣味なんですが、
それを友人に言ったところ、「ええ!?ソーセージ!?私も作ってみたい!」と言われたので、
新たに道具を新調して、今度友人たちで集まって作ることになったんです。


「いやー、実はさ、今まで私が持ってたのは「フランクフルト用」の道具だったからさ、
 初めて作るんならちょっと細めの中太ソーセージくらいがやりやすいかなと思って、
 新たに道具を買いにきたんだよ。」


ソーセージを作るのって、結構、力仕事なんですよ。


油が溶けないように低温に維持した固めの肉を、練ったり絞ったりするわけですから。


フランクフルトの太さより、ちょっと細めの方がやりやすいのではないかと、
そう思ったんですね。


とりあえず、先程購入した中太ソーセージ用の搾り器をテーブルの上に出してみました。
このソーセージ絞り器、形的にはホイップクリームを絞るヤツと同じような感じです。
ただ、肉用なので、素材は布だし、絞り口の金具もかなり大振りではありますが。


「へえ〜〜〜。てゆうかさ・・・私、なっちゃんとはもうかれこれ十年ちょっとの付き合いだけど。」


「うん?」


「なっちゃんが、ソーセージ作りが趣味って、初めて知ったよ。」


「ええ?そうだっけ?」


「うん、学生時代に『肉まん作り』がなっちゃんの趣味だったのは知ってるけど。」


「ああ〜〜、うん。肉まんも作る。
 だけどさ、今は餃子も皮から作るし、中華麺も打てるし、ジャージャー麺とか麺から作ったりできるよ。
ここ半年はパン作りも熱心にやってたけどね。」


ちょっと、呆れ顔のユウキちゃん。


「あのさ、もっと 普通の料理、やんなよ。」


「うん、そうなんだけどね・・・。」


うん、そうなんですけどね。


なんか、私の場合、「美味しいっ!!」って褒められるよりも、
「すごいっ!!」ってびっくりされたい、という欲求の方が強くて、
どうしてもそういう男の料理系にいっちゃうんですよ・・・。


私が手にしているソーセージ絞り器をしげしげ眺めながら、ユウキちゃんが一言。


「あのさ、なっちゃんがそのソーセージ絞り器を持ってるとこ、写真に撮っていい?」


「へえ? 別にいいけど・・・。」


「なんか、ソーセージ作りってのが・・・イヤラシいんだよね・・。」


「ハハハ! まあ、確かに肉詰めされた豚の腸を手に持つと、なかなか猥褻ではあるけどね!」


「いや、そうじゃなくてさ・・・。」


なぜか、妙に感慨深げに、そしてかすかに嬉しそうな、ユウキちゃん。


「あのさ、そのソーセージ絞り器を持ってる様が、「お浣腸」っぽく見えるんだよね・・。」




・・・




・・・ああ〜〜〜




なんか私、まだまだ修行が足りませんわ。




そこに存在するただひとつの物体を、
どのように心に投影するかはその人の感受性次第ってことで、


言わずもがな、その感受性が豊かであればあるほど、人はより多くの美しい物と出会えるわけですよね。


ソーセージ作りには対して興味が無いユウキちゃん、
なのに、ソーセージ絞り器を見て、楽しそうな、ユウキちゃん。




・・・美しいものを、美しいと思えるあなたのこころが美しい。・・・(相田みつを)




ユウキちゃん、


そう思うのは勝手だけど、使うなら自分で買ってね?












2011/11/10


バリ島に行く前に、何人もの友人に言われたんですよ。


「金目当てのバリ人の男がいっぱい寄ってくるから、気をつけて!!」


・・・って。


なんだか、たまにそういうこともあるみたいですね。
やっぱり日本とインドネシアじゃ物価もすごく違うし、
日本円が目的のインドネシア人が近づいてきても、それはまあ当然な気もします。


バリ旅行に来た日本人の女に近づいて、
どうやら預貯金のある30代前後が狙い目らしいのですが、
日本への航空券とか車とか場合によったら家とかを買ってもらって、
女の預貯金が底を着いた時点でポイ、みたいな。


ホントかどうかは知らないですよ。


ただ、そういう話を聞いたんです。


でもさー、


男と女の関係にお金が絡むのはどこの国だって同じことですよね。
完全にお金抜きでお互いを感じ合える瞬間っていうのは
それこそ最初に恋に落ちた瞬間くらいのもんだと思うし、
それこそ日本でだって女は男の経済力に恋をしているんだと言えなくもない場合もあるしねえ。


だから、男と女の関係においては、どっちが悪い、とか何が悪い、とか言いっこ無しですよ。
金目当てだろうが、騙されようが、それも恋愛のうちだと思うんです。
恋愛って、自分という存在の肯定と向上に深く関わってますよね。
そしたら、自分に関わるもの全てが恋愛に関わってくるのは当然だと思うんです。
それこそ、生活とか、お金とか、社会とか、身体とか、そんなものも。


まあ、そんなかんじで


バリで知り合ったバリ人の男の子(21歳)のメメ君に話を聞いてみました。


「ボクもね、前に日本人のカノジョがいたんだよ。」


メメ君はすごく綺麗な日本語を話すバリニーズです。
育ちがいいのか、なんだか気品みたいのがあるんですよ。
日本に行くのが夢ということで、今、熱心に日本語の勉強をしているとか。


「日本人のカノジョのこと、好きだったけど、やっぱ遠距離は難しいヨね。」


う〜〜ん。


まあそれはそうだよねえ。


「日本でさあ、『バリ人の男には気をつけて!』って言われたんだけど、
 それって どういうことなんだろね?」


とりあえず当たり障り無くそんな質問からしてみました。


「ああ、あのね、二年くらい前にクタで日本人の女の子がバリ人に殺されたんだよ。
 みんながみんなそうじゃないけど、それでもクタのあたりは気をつけて。
 危ないから。
 声かけられても付いていかないで・・・とは言わないけど、
 危ない人かそうじゃない人かは自分の眼でちゃんと見極めないとネ。」




へえ〜〜。


わたし、そんな事件があったことすら全然知りませんでした。
どこの国でも起こりえる事件ではあるけれど・・・。


「それってさ、日本人の女は狙われやすいってことなのかね?
 声かければすぐついてくるとか、金持ってるからとか、そういう風に思われてんのかな?」


「う〜〜〜ン・・・。そういうのもあるかも知れないけど・・・。」


ちょっと言葉を濁す、バリ人 メメ君。


後で聞いたところによると、メメ君ん家はバリヒンズー教のカーストでも上の方の階級に位置するらしく、
育ちの良さはおそらくそこからきているようなんですね。
日本語といえど、下品な表現にならないよう慎重に言葉を選ぶメメ君は、
その真摯さゆえか日本人の友人もかなり多い様子。


「あのね、ボクの年くらいのバリ人はさ、すごく日本に憧れてる部分があるんだよね。」


へえ?


それはなにゆえ・・・


「小さい頃からね、日本のアニメ見て育ってるから。」


・・・!!


ああ なるほどね・・・


「そうか〜〜! ドラえもん、とか!?」


日本のアニメと言えば、やっぱりドラえもんでしょう。


「うん、そう! 忍者ハットリ君とか、ドラゴンボールとか!!」


ええ!?


ああ、そこまで知ってんだ・・・。


不意に「ドラえもん」のテーマソングをギター片手に歌いだすメメ君。
横に居た友人カデ君まで、「ド ら え〜〜〜もん〜〜〜っ」で ハモり出しました。


すごいね、ドラえもん・・・。


「だからさ、なんとなく日本人が好きっていうのはあるよ。
 あとね、僕らインドネシア人は肌の色が濃いでしょ、その中に色の白い日本人の女の子がいると、
 なんか特別な感じがするんだよね。」


ああ


なるほどね・・・・。


「あとさ」


・・・ちょっとここで再び言葉を選ぶ、メメ君。


「あのね、下品な話でごめんね、日本人の女の子ってさ、してるとき、声、出すんだよね。
 インドネシアの女の子は、声、あんまり出さないんだよね。
 それがね、日本人はいいんだよね、だからボクは、日本人の女の子が好きなの。」




・・・!!!


ああ


なるほどね!!


いえ もちろんその意見がメメ君個人の経験に基づくものだっていうのはわかってるんです!
メメ君が関わって来た、インドネシアと日本の女の子に限ってのことだっていうのは承知の上で。


そうなんだ〜〜


いいな〜、こういうナマの声。
文化圏を越えた意見ってのがまた新鮮。
以前に、「女の子ってさ、あんあん言ってりゃいいと思ってるでしょ。」とのたまった
日本の男友達がおりまして、
その時は「ハハ!確かにそう言う時もあるかもね!」と妙に納得したことがあるのですが・・・


それも含めて、誰が発したかわからない一般論や情報より、
こういう個人の、個人的な意見っていうものが、心に刻み込むに値するんですよ。


これからの人生の糧とさせて頂きます。
メメ君、おもしろい話、ありがとね。
 





































2011/11/08

吉祥寺のナツコ


バリ島での話。


ウブドのホテルのフロントでいきなり声をかけられました。
声をかけて来たのは二十歳くらいのインドネシア人ぽい女の子。
サングラスにオシャレなミニのワンピースを着ています。


「ネ〜〜アナタ?! 一人デ来テル日本人ノオンナノコッて!?」


日本語が流暢すぎて、一瞬 日本人かと思いました。
でもやっぱり見かけは綺麗なブラウン肌のインドネシアン。


「そうだけど・・・あなた、日本語すごい上手だね!?日本に居たことあるの?!」


「ウン!今 日本でハタライテルの!! ナに スゴいね〜〜!! 一人デ来たノ!?」


・・・ハイ。一人です。


旅行はいつも一人なんです。


確かに世界情勢もろくに理解してない上に、
日本語しか解らない日本人の中でもダメな日本人の私が一人で頼りなく旅行してると
いつも「大丈夫?」ってよく心配されますけど。
いつもなんとか思いっきり楽しんでます。
自分のこと全く信用してないのがかえっていいのかもしれません。


「アナタ、日本のドコに住ンデルノ〜〜〜!? 
 ワタシはネ、フィリピン人ナンダケド、 今は、吉祥寺で働イテルノ!!」


え!?


吉祥寺って!


すぐ近くじゃないですか!


「ええ〜〜!わたし、国分寺だよ!! すぐ近くじゃん!」


「・・・コクブンジ・・・?? シラナイ。ドコそれ 近イノ?」


エエ??


なんで吉祥寺に住んでて国分寺を知らないのですか?
もしや下り方面には興味無いってことですかネ?
同じ中央線で乗車時間は十分ちょっとですよ。
確かに新宿から中央線で下った場合、
吉祥寺からさらに奥に入って行く感は否めませんが・・・。


「そうか〜〜。まあ いいか。じゃあ帰国してからももしかしたらどこかで会うかもね。
 あっ そうだ! あなた 名前は? 教えてもらえる?」


せっかくなので、そのフィリピーナの名前を教えてもらうことにしました。
旅先で仲良くなるということは、
その土地と時間を共有するという一期一会に価値があるわけで、
意外と名前は必要なかったりするのですが、せっかくなので記念に訊いてみました。


「ア〜〜ワタシね! ワタシ、『ナツ』っテイウノ!『ナツコ』!!日本デハね!」


ハハ!!


ホントですか?


びっくりしました。


ワタシも「ナツコ」ですよ。


日本ではね!ってことは 源氏名かなんかですかね?


オーナーさんのネーミングセンス、渋いですね。


っていうかそんなもんなんですかね?
その世界のことはよく知らないもんで。
ワタシがオーナーならもっと渋い名前で店内統一しますけどね。
「アヤメ」とか「加代子」とか「沙百合」とか。




「わたしも『ナツコ』だよ!! 奇遇だね!!」


『エエ〜〜〜!ソウナノ〜〜?!ウソ〜〜〜!!一緒ダネ〜〜!」




バリ島の一画、ウブド地区のホテルのフロントに『ナツコ』を名乗る女性がふたり
顔を並べるというのは一体どれくらいの確率でしょうか?
低い確率だったところで別に誰も得はしないのですが、
実はワタシ、まわりに同名の知人っていないんですよ。
だから、妙に感慨深いものがありました。
だって、「ナツコ」なのにフィリピン人だしね・・・。


旅先の、運命を左右するような意味のある偶然ってすごく有り難いけど、


こういう意味の無いくだらない偶然って、なんか好きだなあ。


吉祥寺のナツコにバリ島、ウブドで出会う、偶然!


アハハ。


なんか嬉しかったなあ。