2015/06/17

リアリズム

photo : 高田一樹
今年に入って二度、写真家の高田一樹さんにメヘンディの撮影をして頂いた。

あたりまえのことだけど、同じメヘンディを描いても写真を撮る人が変わると作品のイメージが全く変わる。

高田さんとの御縁は知人の紹介という最初はお互いの作品も知らないままの全くの偶然であったけども、
私としては本当に自分の感覚にしっくりくる写真を撮って頂いて、とても嬉しかった。


photo : 高田一樹
高田さんは、自身の妄想や予め持っているイメージに被写体を落とし込むという感じでは無く、
最大限、被写体であるその時の私たちの実在を大事にしてくれているような感じがした。
写真に対してなのか、被写体に対してなのかわからないけど
押しつけがましくない謙虚さのようなものも感じた。

これが適当な言い方かどうかはわからないけれど、
その感覚が、とても私にはしっくりきたし嬉しかった。

実在する私たちは誰かの妄想するストーリーの中に生きているわけでは決して無いし、
向かい合う一瞬一瞬がいつだって不確定で、貴方次第で私次第。

貴方の頭の中に描いている今日の物語があったとしても
それは私のちいさな一言でぶち壊れるかもしれないし
一瞬先の私も貴方も、それはいつでも不確定。
人がふたり向き合ったら、それは本当に普通のこと。

「私は貴方の頭の中にいるんじゃくて、貴方の眼の前にいるの。」

そんなことを、そういえばSMとかをやってた時に思っていたな、とふと思い出した。

私には実在する肉体があるから
私の思考と意志で動いているから
一瞬先に私が何を言うかは、貴方にはわからない。

貴方の描くストーリーも想定する私の像も
そんなのは現実の私とは無関係なの。

本当は貴方は私のことなんてなにも解らない。
私があなたを解らないのと同じように。

一瞬一瞬の私を、
ちゃんとその肉眼で見ていてくれないと、
私が次に、どちらの足を踏み出すかすら、貴方にはわからない。

わからないことの、その一瞬の積み重ねが、
私にとっての現実感。
私がとても、好きなもの。



photo : 高田一樹


いまここに、こうやって私は生きているのに、
ほかにあなたはわたしのなにを見たいというの?
































2015/06/10

幹と軸

photo : maeda natsuko
 「強くなりたい」と友人のヨーコちゃんは言う。

「よく多くの女の人たちが憧れるような母性とかの女性性の強さ、じゃなくて、私は男性的な強さが欲しい。身体的にも、精神的にも。」

ヨーコちゃんはいわゆる戸籍・身体的にはフツーに女性であるのだが、
先天的にか後天的にか定かではないけれど、
自分の中には「男の自分」と「女の自分」がいるという。
その両極端な自意識が、日によって、あるいは場合によって、自分の中で変わるそうだ。

「朝起きて化粧をしてると、なぜかすごく女としての化粧している自分に違和感を感じることがある。かと思えば、男に恋し愛されている時には非力な女として肉体的にも精神的にも男に頼ることに酔う快感も感じることもある。小学生の頃は肉体的に「強くなりたい」から剣道を始めたし、高校生になっても剣道部で馬鹿みたいに身体を鍛えて筋肉がついていくことに快感を感じていた。私はずっと、男の身体の強さに憧れているし、それに加えて父性的なものまで手に入れたい。かと思えば、私は女としての自分の身体で、男を誘惑する快感も知っている。私の中ではいつも、自分は男の性と女の性の間を振り子みたいに行ったり来たり。自分で自分の性別のあり方も解らないのに、単に私の女の外見だけで私を女だと決めつけられるのも気に食わない。男とか女とか、そんな言葉で人間を、括らないで欲しい。」

男と女の自意識の間を振れ続けるヨーコちゃんは、
私には少し不安定に見える。

っていうか私のメヘンディのために躊躇無くがっつり脱いでくれる彼女の、
どこが不安定で強く無いのだと思わなくもないけれど
自分の中の性別が変わることで求めるものが日々変わるという心もとなさと、
周囲と自分の意識の落としどころを探している不確定さが、
なんとなく私にはそう感じるのかもしれない。

とはいっても、正直私にはよくわからない。

なぜなら私は自分のセクシャリティにもジェンダーにも
悩んだことが無い生粋の女だからね。

身体で解り合えることは多い。
女同士の考えることがなんとなく解ってしまうように、
男が普通にやる行動を理解できずに腹立つこともある。

だけど、解らないことや想像しにくいこともあるけれど、
だけど私はヨーコちゃんの求める「強さ」がなんとなくだけど
解るような気もするんだよね。

解る気もするんだけど説明しようとするとなぜだか気持ちが白けるので
とりあえずは純粋に「私が、強く美しいと感じるヨーコちゃん」をイメージして
メヘンディを描いて写真を撮ってみた。

ヨーコちゃんは男前に躊躇無く服を脱ぎ、潔く私に身体を預けヘナで絵を描かせてくれる。
そして女体の美しい曲線を活かし、いかにも女、なテイでカメラの前で身体をたわめる。

不思議なんだが、その時のいかにもセクシーなヨーコちゃんの振る舞いは、
女というよりも、たとえばニューハーフの方々がシナを作る時のような、
一種、異様な独特の綺麗さがある。
綺麗なんだが、どこか過剰でわざとらしい。
「ほーら、わたし、おんなよ。」って、身体全体で主張しているみたいに。

そんなヨーコちゃんに私が思う「強い」メヘンディを描いてみた。

どんな「強さ」が欲しいかは、人によって色々あると思うのだけど
私が「強さ」と聞いてまず思い浮かぶのは身体の「正中線」。

整体で言う、身体の背骨のラインのことね。
ていうか、背骨だけじゃなくて、頭のてっぺんから踵まで
地面から垂直にまっすぐ伸びる線のことね。

正中線がキッチリ立ってる人は堂々として美しく見える。

女でも男でも美しく見える。

正中線の、お臍の下あたりに力を込めれば肉体ががっちりと座り、立つ。
正中線の、胸のあたりに意識を込めれば気持ちが、精神が決まる。

女がシナを作って身体をたわめても、
たわめた線が美しいのはそこに、重力に逆らい大地に根を張る
まっすぐな線が見えるから。

曲線が綺麗に見えるのッて、人がその裏っ側に
まっすぐな重力の線を見ているからだと思うんですよ。
植物の蔓や樹の枝が甘美な線を描いて伸びて行くのと同じように。

やはり、人の美しさッていうのも、
まずはここだと思うんです。

photo : maeda natsuko