2012/10/17

愛の証


最近はレーザーとかワックスとかいろいろあるみたいですね。

脱毛の話ですけど。

実は私、あまり脱毛にはそれほどの興味はなくて。
というのも勿論自分で脱毛はしてるんですけど、
サロンやクリニックにお世話になろうとするほど自分の無駄毛について
どうにかしようと感じた事があまり無いんですよね。

「私の男友達に毛深い女の人が好きっていう男がいるんだけど、
 その人は脇とか下の毛とかが多い女性に興奮するっていうんだよね。
 もし永久脱毛なんてしちゃったらさ、
 例えばそういう男の人と出会った時に、
 あ〜〜!永久脱毛なんてしなきゃよかった!なんて後悔するかもしれないじゃん。」

半分冗談、半分本気で私もそんなことを言っていたんですけどね。

まさか自分が脱毛しない状況になるとは正直思っていなかったですよ。

今年の初め、最近よく遊びに行かせていただいているSMサロンで
主催者で緊縛師の加賀さんに言われたんです。

「ナツコ、おまえ、脇は永久脱毛してないんだろ?
 だったら脇毛はやせばいいじゃないか。俺は女の脇毛が好きなんだよ。」



・・・!!


そんなことをいう男の人はいるだろうなあと思ってはいたものの、
実際にいままで出会った事がなかったのでちょっとした衝撃でした。

大体さ、なんで下の毛はそのままでも良いのに、脇の毛はあっちゃダメなの?
実は昔から不思議だったんだよね。
多分日本においては、昔から下の毛はエロティックなものとして捉えられているわけでしょ。
脇の毛も服を着た時の見栄えとかそういうのを抜きで考えたら、
結構エロティックじゃないかと思うんですけど。

「昔は日本では女だって普通にみんな脇毛を生やしてたんだよ。
 今みたいに脇の毛は手入れするもの、みたいな風潮が定着したのはいつだったか、
 アメリカが日本を市場に脱毛製品を売り出し始めた時からだよな。
 宣伝媒体としての女性誌でも「脇毛はお手入れするもの」みたいなことを言って、
 商品を売るためにそういう風潮を作り出したんだよ。
 それまではみんな普通に脇毛はやしてたのに。」

憎々しげに脇毛好きの加賀さんは言います。

別に私はそこまで脇毛に対して思い入れはないですけど
昔付き合った男の人の中に「女の人の剃った脇毛が少し生えてきてチクチクしているのをみると興奮する。」という人がいて、そんなちょっと変わった彼の趣味に妙に「そんなもんだよなあ」と納得したことがあったんですよね。

いくら人形のような洗練されたツルツルの綺麗さを求めたって、
どんなに高尚に愛について考えたって、
所詮はこういうおバカなものに興奮しちゃうんだよ、人間っていうのは。

まあ そんなかんじで今年始めから肩周りを露出し始める夏先まで
密かに育ててはみたんですけどね。
なにせここ十五年余り剃毛脱毛で虐げられ続けた私の脇の下ですから
なかなか思うように生き生きと繁茂してはくれませんでした。
まあ約3ヶ月かけてそれなりにこんなもんかな、って程度にはなったんですけどね。
生やすなら生やすで、これが私のポリシーですって主張できるくらいにはなって欲しかったなあ。

ちなみに一緒にこの話をしていたSMの友、ゆうきちゃんいわく。

「私の彼は無毛派だから、上も下も全部脱毛してるよ。」

「なにで?レーザーとか??それとも自分で??」

「最近は、脱毛サロンでブラジリアンワックス。」

へえ〜〜。

最近よく聞くなあ、ブラジリアンワックス。

てゆーか、サロンでアンダーヘアの脱毛なんて私、恥ずかしくて絶対できないよ!
よく同性の女相手に脚広げてそんな部分を見られて恥ずかしく無いよね?

「ええ!? てゆーか男に見られる方がイヤじゃん!
 だったら、なっちゃんは男に下の毛の脱毛される方がいいわけ?」

うん。

「だって私、今までアンダーヘアを抜いたり剃ったり整えたり、
 よく彼氏にやってもらってたし。」

意外と「やって」っていうと男の人って喜んでやってくれるよ。
やってもらってる時の尽くされてる感もなんかいいんだよねえ。

女の身体を愛でるなら、そこまで愛して貰ってなんぼだと思うんですけど。

愛の証、ですよね?







2012/10/03

愛の説明

Kuta in Bari


写真を撮るのが昔からとても好きで
中学生の時から父に貰ったペンタックスの一眼レフでよく写真を撮っていた。
いまは、ニコンのちっちゃなデジカメだけども。

写真を撮る時は、何が良いとか悪いとか、あまり考えていない。

私は理屈っぽい方なので色んな感情や思いを言葉に置き換えて
突き詰めて考えないと気が済まないところがあるのだけれど
写真を撮るときは何も考えないということが、できる。

写真はシャッターを押すだけという一瞬の作業でしかないから
何も考えない、ということができるのだと思う。
シャッターを押す時に何かを考えるようになってしまったら
私はもう写真を撮るということを楽しめなくなる気もする。


多分、言葉にしたり説明してはいけないもの、というものが、ある。

言葉を与えた瞬間に、言葉で何かの枠にはめたその時に
それ以上何も発展し得なくなる、そういうものがあるんだと思う。



たとえば愛や希望という言葉が時に人をしらけさせるのと同じように

言葉にしてはいけないもの

説明しなくてもいいもの

ただ 感じる事しかできないもの

そういうものが、ある。


言葉にできないからこそ
多分それは言葉にできないくらい無限に広がっていて

だからこそ、私は死ぬまでそれを求めつづけることができるんじゃないかと

そんなふうに、思う。