2014/12/05

生きてるって怖い


二十代のころは「自分の身体」はどんなに虐げても黙ってついてくる、
奴隷のようなもんだと思っておりました。

一体いつから私の「身体」と「精神」の主従関係は逆転してしまったのでしょう。
前回はポテトチップスが、煙草がどうのとアンチ健康志向的なことを書きましたが、
決して私は自分の健康を考えていないわけではないのですよ。

てゆーか、私は明らかに自分の「身体」のご機嫌を伺いながら
日々を生きていますから。


先日、初めて真夜中に救急車を呼んでしまいました。

・・・ていうかスミマセン。

今思えばそんなに救急じゃないのに呼んでしまいました。
なんかさ、最近タクシー替わりに救急車呼ぶような不届き者がいたりするんでしょ?
勿論私だってそんなつもりは毛頭ないんですけど、
予想外の自分の状況にその時は軽いパニックを起こしてたようです。

今まで経験したことの無い唐突で暴力的な目眩と吐き気に襲われたのが
およそ午前0時。
途切れること無い強烈な吐き気に二時間ほど身悶えたところで、
このままでは自分の生理機能すら自分で管理できなくなってしまうような恐怖に襲われ、
救急で病院に行ってきました。

別に何か悪いものを食べたわけでもなく、
持病があるでもなく、
てゆーか、フツー、食中毒とかだったらさ、
とりあえず一回胃の中のものだしたら少し楽になったりするじゃない。
繰り返し繰り返し強い吐き気が何時間も波のように打ち付けてきて、
後頭部にある「吐き気スイッチ」みたいなのを一回押されたらもう
とまらないのよ、ッて感じでホントにもうキツかったです。

「とりあえず頭のCTと血液検査しましょう。」

ということでなんとか吐き気をこらえながらCTを撮り、
左腕から血を抜かれ、
目眩と吐き気の原因もわからぬまま、目眩止めの薬を点滴。

・・・いや、ホントは私的には原因はなんとなくアレのような気がするんですけどね。

医者にも救急隊員にもこの申告は無視されましたが、
丁度前日に耳鼻科で処方された、クラリスロマイシンという抗生物質。
その副作用じゃないかと思うんですよね。

クラリスなんてカワイイ名前のわりに重厚感のある粒のでかさと金のパッケージで
なかなか強そうなやつだなあ、と思いながら薬剤師さんから受け取ったんですけどね。

前日の、最初の服用の直後に、身体にズシっと重い感じがきたんです。
で、その少しあとに激しくお腹を壊したので
「これは・・・・強い薬だなあ。」
と思ったんです。
というのも、以前にも一度抗生物質で下痢と吐き気に襲われたことがあったもんで、
その時の唐突な感じとなんか似てたんですよね。

医者的には服用から既に時間が経過していたということもあって
そのセンは無いとの見解でしたが
とはいったってそんなの体質とかきっかけとか個人差とかあるわけだから
一概には言えないじゃないね、というのは私の思うところなんですが。

それにしても、強い継続的な吐き気ってホントに辛い。

なんつーか絶えず殴られ続けてるような感じだなって思った。
いや、別に痛くはないんだけど、
継続的な強い緊張感とか恐怖感とか唐突な衝撃とか
そういうものに耐え続けることの凄まじい疲労感とか。

辛すぎて吐きながら泣いてたら、
看護士さんに「ほら、泣いても良くならないでしょ。」と言われたので
「てゆーか、泣かなくても良くならないんで、だったら泣いた方が気が紛れて一瞬だけど楽なんで・・・!」
ってことで泣きながら吐かせて頂きました。


結局吐き気は翌日の午前9時まで続きましたが、
もしあと丸一日でも続いてたら、死にたくなるんじゃないかと思ったよ。

ほんの一晩の出来事でしたが、
朝には力んだ身体中が筋肉痛で、腕は内出血してるし、
もともと乾燥気味の肌は軽石のように変質してるしで
もうボロ雑巾のようでした。


で、夜中にげろげろ胃液吐きながら考えてたんですが、

きっと、人が耐えられる苦痛なんてたかがしれてるんだろうなあ、と。

昔、抗がん剤の治療を受けていた末期ガンの知人が、
副作用の吐き気が辛い、といって途中で治療をやめて死に支度を始めたことがあったんですよ。
家族からは「なぜ諦めるのか」と泣かれたらしいが、
彼女は「もうこれ以上は頑張れない」と言ったという。

今なら私も彼女の気持ちが少しだけど、想像できるわ。

気持ちよりも何よりも、身体が辛い、痛いというのはなによりキツいね。
いやもう、圧倒的だね。
以前に吐き気付きのひどい片頭痛でもそう思ったことがあったけど、
私、あんなに強い吐き気だったら三日が限度だと思うわ。
しかも、それがいつ終わるかもわかんなかったらきっと、
精神的にもおかしくなる気がする。

あたりまえのことなんだけど、
どんなに痛くて辛くても自分の身体の痛みは確実に自分の身体の中にあって、
他の誰が変わってくれるもんでもない。

なんかもうそれが致命的に辛いのよね。




いや、

こんな風に身体が辛いのはもうホントに勘弁ですわ・・・。

頼むからこういう苦痛とは無縁で生きていきたい。

まあ、誰しもがそうでしょうけど。


だけどなんかさー、
自分が肉体持って生きてるってことは、
これ以上に様々な肉体的な苦痛を感じる可能性があるんだなって思ったらなんか・・

背筋がうすら寒くなりましたよ。


ああなんか・・・


生きてるって、


怖い。

























2014/11/30

意地


世間が煙草に優しくない昨今、
されど私のまわりの喫煙者は皆、意志が固く強気です。

「いくらでも値上げしてみろって思ってるよ。
 それでも吸いたいヤツだけが吸えばいいんだ。
 俺は絶対、やめないけどな。」

もちろん、そうは言う友人ですが、
決して人様に迷惑をかけるような吸い方をしているわけではありません。
非喫煙者の前ではほとんど煙草は吸わないですし、
了解を得て吸ったとしても非喫煙者の私の服や髪やらに匂いが移らないよう、
煙の行く先にもきちんと気をつかってくれる常識人です。
喫煙姿勢が謙虚な喫煙者というのは私的には好感度が高いのです。

「煙草ッて言うのは身体にいいから吸ってんじゃなくて、
 精神にいいから吸ってるんだよ。
 そういうものは煙草の他にもいっぱいあるし、
 それはある意味で人間が生きていくのに 必要なものなんだ。
 そういうのもわからないやつが正義を振りかざして禁煙!とかいってるのきくと
 腹立つんだよな。」

と、とある彫刻家である知人はそんな風にいってましたね。

まあ、どちらの言い分も的を得てるっちゃ得てますよね。

私は喉の粘膜が弱く煙草が吸えないという理由で非喫煙者ですが、
正しいことが嫌いという理由でいつでも喫煙者の味方です。

で、それとはまた別の話なんですけど。

最近、ポテトチップスに発ガン性物質が含まれているというハナシがちょっと話題になりましたよね。

ジャガイモにもともと含まれている成分が、加熱することで発ガン性物質に変わるという。

「アクリルアミド(発ガン性物質らしい)は遺伝子や染色体の構造に変化をもたらし、
 次世代にも影響しうる発ガン性物質、と評価した」

・・・って、毎日新聞がいってるらしいです。


てゆーか
わたし、これを聞いた時、ひさびさに怒りのような感情を感じましたよ・・・。



発ガン性?

だからなに?

つーか、これだけ身体に悪い食べ物が世の中に氾濫している中で、
なぜ私の愛するポテトチップスを槍玉にあげるのですか?

私は、食事とは目的を異にするお菓子という食べ物の中で、
ポテトチップスという食べ物をことさら、非常に愛しています。

だから今回はなんかカチンときたんですよ。


てゆーか大体、「あの食べ物には発ガン性物質が含まれてるから身体に良く無い」とか
逆に「あの食べ物に含まれてるなんとかという成分はカラダに良いから食べた方が良い」とか

いちいちマスコミが煽るのが気に食わないんですよ。
消費者だってみんなが賢いわけじゃないから、
悪いといわれりゃメーカーが泣くし、良いといわれりゃ馬鹿買いするし
そうやって煽られるわけでしょ。
そう言ってる私だってこうやって煽られて不本意にも怒り心頭だし。

大体さ、たとえばマクロビクッキーとか全粒粉お豆腐マフィンとかじゃなくて、
ポテトチップスを日頃から愛食しているってことはですね、
カロリーとか塩分とか多少の添加物を覚悟してでも、
食べるべき価値をそこに見いだしているからこそ食べているわけなんですよ。

だから正直言って、
今回のハナシもたかがそんな天然由来の発ガン性物質のことなんて
どーでもいいんです。

そんなことで、私のポテトチップスに対する愛は変わらない。

例えばさ、自分の大好きな彼氏の悪口を、
第三者が吹聴してまわってたらむかつくでしょ。

「彼はさ、実は・・・・らしいよ!」

とかね。

むかつくでしょ。

知ってるよ。

こっちはそれコミで付き合ってるんだよ!

よくも第三者がいかにもなテイでわかったようなこといってくれますねえ。

という感じなんです。

まあいいや。

私はこれからもポテトチップスを愛し続ける覚悟が決まりました。

てゆーか、べつに覚悟なんていらないけど
無駄に煙草好きを宣言する私の周りの喫煙者の気持ちがなんかわかりましたよ・・。


まあでもさ、だいたいこういうアンチ健康志向な人たちッて
意外とある年齢をこえると急に煙草ヤメたり油ひかえたりジョギング始めたりするんだよね。
若いときはまあ、どんなに夜更かししても三食ラーメンとか食べてもそんなに身体に不具合ッて出てこないんだけど、そこそこ歳とってくると食事とか睡眠とかの生活の基本が見事に身体に反映されるようになってくるからね。

きっとそこらへんで、ちょっと弱気がでてくるんだよね・・・。

かくいう私ももっと歳とって身体の代謝機能が落ちてきて、
「ポテトチップス食べたら翌日には顔にいくつも吹き出物が」
みたいな状況になったらきっと弱気になってポテトチップスやめるとおもいます。

たいへん不本意ではありますが。

でもまあ、私の周りには脳梗塞やったあとも煙草ヤメない強固な意志の持ち主の方もいますから、
そういう人の存在に勇気づけられて一途に愛をつらぬけるかもしれませんけどね。


つーかナニコレ。


意地ですかね?




2014/09/14

手枷


今年の夏の微妙なメヘンディブームのおかげで忙しくしてたんで
ちょっと忘れていましたが

初台で拘束具を展示販売してたんですよ!
今更ですが、わざわざ初台まで見に来てくださった方、購入してくれたお客様、
着けるだけ着けて散々遊んで行ったけど結局買ってはくれなかった方々まで、
とにかくありがとうございました。

すごい売れたわけじゃなかったんですけど、
ちょっと私的に手応えがあったので来月の大阪の「三隣亡」にもまた出す予定です。

「押しの強い外観のわりにしっとりした着け心地がお気に入りです。」

購入してくださった方から頂戴したとてもうれしかったお言葉。
そうでしょう、そうでしょう。
ソフトな肌触りはちょっとこだわったんです。

初台での展示とはまた別の話なんですけど
このあいだ久しぶりのSMの方々との集いに参加させて頂いた時に
この拘束具を持って遊びに行ったのですが、
ひとりの男性が大変この首輪と手枷を気にいってくれたんですよね。

「すごくいいですね、これ。デザインがとても素敵です。
 ちゃんと、手枷に腕くるぶしの逃げ場まであるし。
 ちょっと、つけてみていいですか?」

「はい、いいですよ、どうぞ。」

・・・あ、自分がつけるのね。
そういえば、この人はSだけどMなんでしたっけね。
日本人なら誰でも知ってるようなでっかい出版社の偉い人なこの彼は、
神秘系とか生物系とかとにかく色々幅広い興味と知識をお持ちの方で
そんな彼ならSでもMでもなんでもOKだろうなって
まあ、そんな感じのする方なんですけどね。
とりあえず、両手に手枷を装着してみました。

「あ、着け心地もいいですねえ。なんか、Mのスイッチがはいりますね。
・・・この両手を、頭の上にあげるような感じで後ろ手に拘束できますかね?」

え?できるっちゃできますが

「鎖の金具を、ベルトの後ろに引っ掛ける感じでいいですか?」

「ああ それで、いいです。そうやってください。」

「腕、痛く無いですか。」

「いや、ちょっとくらい痛くないと意味ないでしょう。」

そりゃそうですが、いっときますけどコレ、
ベルトに金具を固定したら自分じゃ調整も取り外しもできませんからね。

・・・そんな感じでしばらく試着させてあげてたんですけど

その人ったらそのまま脇見せのポーズで腕を頭の後ろに組んで
私の手枷に拘束されたまま、
20分くらいず〜っとそのまま椅子に座ったままなんですよね。
たまに腕を左右に動かしてカシャカシャやってるんですけど
基本じーっと目をつぶってなんの妄想をしてるんだかは知りませんが

味わってるんでしょうかね。
マエダ印の手枷の、しっとりとした拘束感を。


・・・


・・・てゆーかそろそろ試着の領域越えてる気がするんで、
そのまま着けてるんならソレ、買い取ってもらえます?
ホラ、皮脂とか汗とか付いちゃうと売れなくなっちゃうんで。


って、しっとり妄想にふけりながら拘束感を味わい中の彼に
声をかけたら、とりあえずはずして返してくれました。


・・・っていうか、あんなに気に入ってたっぽいのに返すんだ・・笑

って同席していた緊縛師の加賀さんに言ってみたら、

「ああ、そりゃ、買って帰ったって家族のいる家には持って帰れないだろうしな。
 しかたないよ。」


あ、そうか。
そりゃそうだね。


それにしても、手枷に関して言えば予想外にも
興味を持ったり買ってくれるひとのほとんどが男性で、しかも自分用としてなので
とりあえず試しに次回の大阪の展示には男性サイズのちょっと大きめのヤツも
置いてみる事にしました。

一番人気だった二連金具の手枷の金具が茶色版も作ってみました。

実用的には一連が使いやすくていいと思うんですが
ごつい方が視覚的にはそそるみたいね。













 














2014/08/29

お胸



お胸が大きい女性のお胸に関するお話は大概、つまらないんですが
お胸が小さい女性のお胸に関する話はおもしろいんですよ、大概。

まあ、お胸が小さい女性のお胸の話は多少なりとも自虐要素が含まれるので
同性の反感を買いづらいというのがあるとは思うんですけどね。


今週の頭に、名古屋の友人ケーコさんに会いに行ったんです。
ケーコさんはパキスタン人の旦那様を持つ私と同じくらいの歳の女性で、
背はそこそこ高くスレンダーな体型の、
オタク気質が微妙に顔に現れてるなかなかの美人です。

ちなみにお胸は小さいです。

こんなとこで暴露する話じゃないですが。

てゆーか別に彼女の生のお胸を見たことはないんですけどね。
まあ、全体的にお肉の少ない体つきといい、華奢な肩といい、
たとえおっぱいが小さかったとしても別に不思議はないというか。
まあそんなもんなんですけどね。

ちなみに、名古屋であったもうひとりの友人、ルチャはいわゆる巨乳なんですよ。
可愛いらしい顔立ちながら化粧ッ気が無く、
田舎の子供のような素朴な印象が常につきまとう彼女の鎖骨下には
常にたわわな小振りメロンくらいの。

つーか、別に巨乳を強調したいわけじゃないんだけど、
フツーにブラして持ち上げるとこのくらいのボリュームになっちゃうんだよね、的な
ルチャの不本意ながらに巨乳、を匂わせる膨らみは
数ヶ月ぶりに会った先日も健在でした。
全くもって、ずるいお胸です。


名古屋での夜、友人3人と水煙草が吸えるシーシャバーでのひと時。


「キャミソールでさ、肩紐が二本あるタイプのやつってあるじゃん?
 そういうキャミソール着てさ、ブラも着けると、肩紐が3本になるじゃんね。
 こないださ、そんな感じで肩紐三本でオフショルダーっぽい服を着てたらさ、
 ウチの旦那さんに
 『なに?ケーコはおっぱいちいさいからブラジャー3つ着けてるの?』
 ・・・とか言われてさ・・・!!」


なんて、
ケーコさんがまた超おもしろい小さいお胸の話を始めてくれたので
さて 実際どんだけケーコさんのお胸が小さいのかこの機会にたしかめてやろうと
思ったわけですよ。


「ねえケーコさん、お胸、触ってみてもいい?」

ッてきいたら「いいよ」って言うので触ってみようと思ったんですけど、
その前にまずはケーコさんの横に座ってた、ルチャの不本意な巨乳の方から
触ってみようと思ったんですよね。

ホラ、なんてゆーか やっぱり比較対象あってこその障り比べってゆーか。

そんなわけでルチャの巨乳に軽くタッチさせてもらったわけですけど。
やっぱり、軽くタッチしただけでも、柔らかくてあったかいんですよね。

あ〜〜、女の人って感じがする。

女の人ってさ、胸元がなんか赤ちゃんみたいな匂いがするんだよね・・・。
別にこの時はルチャとちょっと距離があったから匂いとかわかんなかったけどさ、
このお胸の感触だけでそんな乳くさい甘い匂いまで錯覚として感じちゃったよ。

じゃ、次はケーコさんということで・・・

ケーコさんのお胸にタッチ!



・・・


・・・



「・・・ブラトップって感じがする。」



・・・小さなお胸の感触を味わおうとするも阻まれる。
   はからずともブラトップに。


ってゆーか・・・


ちいさなお胸はブラトップの感触。


これはある意味での真理じゃないでしょうか。




「・・・ってゆーかナニソレもうおっぱいじゃねーし!!
 ってゆーかそれ既に私じゃなくてユニクロだし!!」



しかしなぜ触っただけでそれがフツーのブラのカップではなく
ユニクロのブラトップであるとわかったのか
今となっては私自身よくわからない不思議な体験でありました。


二人のお胸を触った後にシーシャを吸う私。















 
















2014/07/22

砂粒


ナツコさんのブログ読んでさ、あ〜! すげーわかる!!って思ったんだよ。
 私もさ、ずっと自分がなんでも言うこときけちゃうような
 神様みたいな男を捜してたんだけど、そんなのいないんだって、わかったんだよね。」


・・・え?


そりゃまたどうも・・・

つーか、私のブログの、
よりによってその話に感想もらうことになるとは思ってなかったんで、
なんかちょっとビックリしてるんですけど。(コレです。
ちょっと前の話ですね。
とりあえずわざわざ感想をメールで送ってくれるなんてありがとう。
だけどまさかあの話に共感して貰えるとは。
ビックリを通り越して嬉しいです。


「完全に自分が支配されるなんてさ、やっぱり人間相手じゃ無理なんだよね。
 そんな絶対的な神様みたいな男なんて、いないんだよ。

「そうそう、神様になりたがる男はいるけどな。
 つーか、そこまで的確にあの話を理解してくれるなんて、あんた奇特な人だわ。」

いやまじでありがとう。
こうやって自分の中の何かを、
人と共有できる瞬間っていうのは嬉しいもんなんだよ。
それが、間違いなく自分自身が経験して実感してきたものだからこそ、
人にわかると言われると嬉しいんです。



「だけどさ、まあそんな傲慢な支配欲を満たすために、ある人々はSMをしたりするわけだよね。
 SMっていうのは結局は妄想や空想の世界だから、
 そういう精神的な遊びの中で擬似的に欲求を満たしてるんだよね。
 だって、実質的には、例えひとりでも人が人に完全に支配されて生きてるなんてありえないんだよ。
 せいぜい、生まれたての赤ん坊と母親の関係ぐらいのもんでさ。」


なんだか最近は、革で手枷だの首輪だのをつくりながらも
意外とはじめほどはSMに夢中になってるわけじゃないんですよね。

まあ、だから気持ちが一段落してしまったといえばそうなんだけど



つまるところ、私は自分がSMの世界に足突っ込んだ当初も今も
結局SMのことはよくわからない。

その理由は単純に、自分がSでもMでも無いからである。

セックスに関する趣向は、客観的な理屈や理論で理解できるもんじゃない。
その感覚を、実感として知ってるかどうかの話なのだと思う。
ちなみに私は性的な妄想の趣向には少々偏りがあり、
獣姦とか両性具有的に見える下が未手術のニューハーフとかが大好きだけど、
それをフツーに他人に理解してもらえるとは全くもって思わない。
好きな理由を説明しろと言われれば勿論理屈っぽく説明はできるが、
それを他人に実感として理解してもらえるとは思わない。
もし、同じような感覚を持つ同じような趣味の人がいれば、
解り合えるであろうというまあ、そのくらいのもんである。


SMっていうのは多分、
私にとっては「神様」を求める行為だったんだよな。


と、今となってはそう思う。

いや、フツーにSMを楽しんでるSとかMの人たちは違うと思うよ。
だけど、SでもMでもない私がSMに興味をもったのは理由は多分ソレ。

なにか絶対的に強くて美しくて、
自分の存在なんか砂粒に感じられるくらいに
広く大きいものに支配されてみたかったんだよね。

自分の上に輝くなにかを、崇拝する快感を感じてみたかったんだよね。

日本人の私にはコレといった宗教上の神様も持ち合わせていなかったから、
余計にその思いが強かったのかもしれない。

私は東京の片隅で、土の、水の、火の、空の美しさも知らずに生きてきてしまったから
自分が生きているだけで、こんなにも色んなものに支配されていることを知らなかった。

この日本という国で、類い稀なる綺麗な水に生かされていることも知らなかったし
海の水がたくさんの人間の身体を呑み込んでいくことも知らなかった。
屋久島の緑に自分の身体が包まれる前までは、
木が、草が、本当に自分の呼吸とともにあるということも知らなかったし、
ギリシャの島で地平線から毎日ぽこんと産まれてくる赤い太陽を見るまでは、
地球がホントに自転してるんだってことも実感としては知らなかった。

フツーに生きているだけで、
自分の命は常に自分よりも大きな存在の力に脅かされている。

同時に、気まぐれにも、親密に守られている。

いつでも自分は、自分よりも絶対的に強く大きななにかに、
既に支配されているのにね。




なんかさー



ここ数年、だらだらしながら色んなとこ旅行して、
色んな自然や宗教や人に自分の肌を擦り付けながら生きてきたらさ、
なんかそんなふうに思っちゃったんだよね。

でさ、バリ島とかサントリーニ島とか群馬の山奥とかで、
ああ、そうか、神様って、土とか木とか火とか自然全部のことなんだな、って感じてたら、
なんか知らないけど去年思いがけず行く事になったカナダの山奥で、
あれ? っていうかなんだか、自然とかじゃなくて、
もっと大元締めの神様っていうのがいるらしいぞ?ってことも感じてしまったので、
まあ、いまはそんな感じで私はこの地球の自然と大元締めの神様に支配されながら生きてます。

なんかね、
この「神様」のことをもっと具体的に、
スピリチュアルでも宗教でも無い言葉で説明できたらといつも思うのだけど
なんだかまだ私には難しい。
クソっ。くやしい。まあ、そのうち。


そんなわけで
わざわざSMやって砂粒みたいな自分を感じようとしなくても、
最初から私なんて、この地球に抱かれた砂粒みたいなもんでした、
という些末な結論に至ったわけなんですけどね。

今は砂粒になって、踏みつけられたり吹き飛ばされたり
ときには丸めて団子にされたりする快感を噛み締めています。

いや別にSMでそういう砂粒プレイをしてるわけじゃないですよ。
生きてるだけでそんな気分なんです。

まあ、本来のSMとは全く主旨は違うと思いますけどね。

重要なのはSMとは何かという事ではなくて、
私にとってのSMとはなんだったのかということなので、
まあそれはそれでヨシというかんじで。


昔なんかの本で「自然と遊ぶ事を覚えた女は男を必要としなくなる」って読んだことあるけど
なんかそれと似たようなもんかもね。
あたりまえだけど男より自然の方がでっかいからね、
崇拝する快感も段違いよね。


こんなにも自我が強く自分の事しか考えられない私ですが、
私は常に何かに支配されたいと、思い続けている気がするのよね。

それは例えばおかあさんの腕の中だったり、
宗教だったり、自然だったり、男だったり、色々だけど
その自分を支配するなにかは、絶対に、恐ろしいほど美しいの。

その美しさにあやかりたくて、
その恐ろしさに抱かれたくて、
私が憧れるのはただ、それだけのこと。

その美しさに抱かれるためになら、
自分の小さな自我なんか
捨ててしまいたいと思えるほどに。