2014/07/22

砂粒


ナツコさんのブログ読んでさ、あ〜! すげーわかる!!って思ったんだよ。
 私もさ、ずっと自分がなんでも言うこときけちゃうような
 神様みたいな男を捜してたんだけど、そんなのいないんだって、わかったんだよね。」


・・・え?


そりゃまたどうも・・・

つーか、私のブログの、
よりによってその話に感想もらうことになるとは思ってなかったんで、
なんかちょっとビックリしてるんですけど。(コレです。
ちょっと前の話ですね。
とりあえずわざわざ感想をメールで送ってくれるなんてありがとう。
だけどまさかあの話に共感して貰えるとは。
ビックリを通り越して嬉しいです。


「完全に自分が支配されるなんてさ、やっぱり人間相手じゃ無理なんだよね。
 そんな絶対的な神様みたいな男なんて、いないんだよ。

「そうそう、神様になりたがる男はいるけどな。
 つーか、そこまで的確にあの話を理解してくれるなんて、あんた奇特な人だわ。」

いやまじでありがとう。
こうやって自分の中の何かを、
人と共有できる瞬間っていうのは嬉しいもんなんだよ。
それが、間違いなく自分自身が経験して実感してきたものだからこそ、
人にわかると言われると嬉しいんです。



「だけどさ、まあそんな傲慢な支配欲を満たすために、ある人々はSMをしたりするわけだよね。
 SMっていうのは結局は妄想や空想の世界だから、
 そういう精神的な遊びの中で擬似的に欲求を満たしてるんだよね。
 だって、実質的には、例えひとりでも人が人に完全に支配されて生きてるなんてありえないんだよ。
 せいぜい、生まれたての赤ん坊と母親の関係ぐらいのもんでさ。」


なんだか最近は、革で手枷だの首輪だのをつくりながらも
意外とはじめほどはSMに夢中になってるわけじゃないんですよね。

まあ、だから気持ちが一段落してしまったといえばそうなんだけど



つまるところ、私は自分がSMの世界に足突っ込んだ当初も今も
結局SMのことはよくわからない。

その理由は単純に、自分がSでもMでも無いからである。

セックスに関する趣向は、客観的な理屈や理論で理解できるもんじゃない。
その感覚を、実感として知ってるかどうかの話なのだと思う。
ちなみに私は性的な妄想の趣向には少々偏りがあり、
獣姦とか両性具有的に見える下が未手術のニューハーフとかが大好きだけど、
それをフツーに他人に理解してもらえるとは全くもって思わない。
好きな理由を説明しろと言われれば勿論理屈っぽく説明はできるが、
それを他人に実感として理解してもらえるとは思わない。
もし、同じような感覚を持つ同じような趣味の人がいれば、
解り合えるであろうというまあ、そのくらいのもんである。


SMっていうのは多分、
私にとっては「神様」を求める行為だったんだよな。


と、今となってはそう思う。

いや、フツーにSMを楽しんでるSとかMの人たちは違うと思うよ。
だけど、SでもMでもない私がSMに興味をもったのは理由は多分ソレ。

なにか絶対的に強くて美しくて、
自分の存在なんか砂粒に感じられるくらいに
広く大きいものに支配されてみたかったんだよね。

自分の上に輝くなにかを、崇拝する快感を感じてみたかったんだよね。

日本人の私にはコレといった宗教上の神様も持ち合わせていなかったから、
余計にその思いが強かったのかもしれない。

私は東京の片隅で、土の、水の、火の、空の美しさも知らずに生きてきてしまったから
自分が生きているだけで、こんなにも色んなものに支配されていることを知らなかった。

この日本という国で、類い稀なる綺麗な水に生かされていることも知らなかったし
海の水がたくさんの人間の身体を呑み込んでいくことも知らなかった。
屋久島の緑に自分の身体が包まれる前までは、
木が、草が、本当に自分の呼吸とともにあるということも知らなかったし、
ギリシャの島で地平線から毎日ぽこんと産まれてくる赤い太陽を見るまでは、
地球がホントに自転してるんだってことも実感としては知らなかった。

フツーに生きているだけで、
自分の命は常に自分よりも大きな存在の力に脅かされている。

同時に、気まぐれにも、親密に守られている。

いつでも自分は、自分よりも絶対的に強く大きななにかに、
既に支配されているのにね。




なんかさー



ここ数年、だらだらしながら色んなとこ旅行して、
色んな自然や宗教や人に自分の肌を擦り付けながら生きてきたらさ、
なんかそんなふうに思っちゃったんだよね。

でさ、バリ島とかサントリーニ島とか群馬の山奥とかで、
ああ、そうか、神様って、土とか木とか火とか自然全部のことなんだな、って感じてたら、
なんか知らないけど去年思いがけず行く事になったカナダの山奥で、
あれ? っていうかなんだか、自然とかじゃなくて、
もっと大元締めの神様っていうのがいるらしいぞ?ってことも感じてしまったので、
まあ、いまはそんな感じで私はこの地球の自然と大元締めの神様に支配されながら生きてます。

なんかね、
この「神様」のことをもっと具体的に、
スピリチュアルでも宗教でも無い言葉で説明できたらといつも思うのだけど
なんだかまだ私には難しい。
クソっ。くやしい。まあ、そのうち。


そんなわけで
わざわざSMやって砂粒みたいな自分を感じようとしなくても、
最初から私なんて、この地球に抱かれた砂粒みたいなもんでした、
という些末な結論に至ったわけなんですけどね。

今は砂粒になって、踏みつけられたり吹き飛ばされたり
ときには丸めて団子にされたりする快感を噛み締めています。

いや別にSMでそういう砂粒プレイをしてるわけじゃないですよ。
生きてるだけでそんな気分なんです。

まあ、本来のSMとは全く主旨は違うと思いますけどね。

重要なのはSMとは何かという事ではなくて、
私にとってのSMとはなんだったのかということなので、
まあそれはそれでヨシというかんじで。


昔なんかの本で「自然と遊ぶ事を覚えた女は男を必要としなくなる」って読んだことあるけど
なんかそれと似たようなもんかもね。
あたりまえだけど男より自然の方がでっかいからね、
崇拝する快感も段違いよね。


こんなにも自我が強く自分の事しか考えられない私ですが、
私は常に何かに支配されたいと、思い続けている気がするのよね。

それは例えばおかあさんの腕の中だったり、
宗教だったり、自然だったり、男だったり、色々だけど
その自分を支配するなにかは、絶対に、恐ろしいほど美しいの。

その美しさにあやかりたくて、
その恐ろしさに抱かれたくて、
私が憧れるのはただ、それだけのこと。

その美しさに抱かれるためになら、
自分の小さな自我なんか
捨ててしまいたいと思えるほどに。