Istanbul |
最近たまにSMブログみたいになっちゃってすみませんね。
先日は知人に紹介された店で縄で吊られてきました。
マエダの人生で、初の吊りです。
しかも初なのに、逆さ吊り。
実は今まで、縄で縛られる事には興味があったのですが、
正直縛られた上に吊るされる、ということには全く興味がなかったんですよ。
だって、私の場合、
縛られること自体には安堵感や安らぎのようなものを感じる事ができるので
いいな、気持ちいいなと思うのですが、
吊りに関してはどうも食指が動かなくて。
だって、あれって、ショーでしょ?みたいな。
見てる人が、楽しいだけでしょ?って思ってたんです。
だけど、その日お店に居た緊縛師のKさんがなんとも感じのいい方で、
そのKさんの砕けた笑顔やら柔らかい関西弁やらがっちり引き締まった上半身やらを
眺めていたら、なんだか吊られてみたいなあなんて思ってきちゃったんですよ。
ホント、緊縛師という人種は人ったらしだとしみじみ思います。
私個人的には、クールに格好つけてるS男性や緊縛師より、
無邪気に笑顔で女をたらすS男性や緊縛師の方が何倍も好きです。
まあそんな感じでKさんに無邪気に笑顔でたらされたので、
その日は吊られてみることに。
てゆーか、最近の私はSでもMでもないのに
なぜこんなことばっかやっているんだろう?
まあ、最初から何かの結論に向かって行動するばかりが
正しく無いし楽しく無いっていうのはわかってはいるのだけれど。
とりあえず最初はいつも縛られているみたいに、
後ろ手で腕やら胴やら脚やらをぐんぐん縛られて、
気がついたらおへそのあたりを起点に両膝を折り曲げて、
椅子に座るような格好で吊られていました。
両足が地面から離れる時の、なんともいえない浮遊感。
へえ〜〜
意外と、痛く無いもんですね。
もっと縄がかかっている腕とか太腿とか、負荷がかかってキツいかと思ってました。
多分、一点でなく何点もで吊ってるから、負荷が分散されるんでしょうね。
脚をあぐらのような形に折るようにKさんにうながされ、
あぐら状に重ねた足首をまた縄で固定されました。
「おとすよ」
と Kさんの優しい声が聞こえた瞬間、
ぐんっ
と 胴が後ろに倒れ、背中を反らした状態で下に落ちる、私の上半身。
本当は脚をあぐら状態のまま背中を反らした逆さ吊りの予定だったらしいのですが、
私が勢いで膝を伸ばしてしまったので、ほぼ身体がまっすぐの逆さ吊りに。
多分、ですけどね。もしかしたら斜めなのかもしれません。
吊られてる私自身は全然自分が見えないので。
身体の血が、一気に頭に落ちて行くのが、わかる。
Kさんがいるから怖くはない、だけど本当に、手も脚も拘束されて無抵抗に吊られて、
身動きもできなくて、自分の力はもう絶対に及ばないと一瞬で思い知らされる。
痛くはない、だけどもう自分には何もできないという無力感に包まれる。
無力感が今度は もう何もしなくていい、自分を放棄していい、という安堵感に切り替わると、
はじめて私の中に安らぎに似た穏やかな世界がやってくる。
それが 最高に、気持ちがいい。
もしかして、死ぬってこんなかんじなんかな?
セックスの快感は死にとても近いと感じた事があるけども、
それはこれと同じ事なんだろうか?
思いがけなく逆さ吊りでぶっ飛んで、
安らかな快感に酔える・・・かと思ったのもつかの間。
逆さになった私の胃袋に不快感。
おえっ・・・
きもちわるっ・・・
さっき飲んだオレンジジュース、出そう。
「・・・くるしい。」
声を絞りだして、Kさんに助けを求める。
「わかった、すぐおろすから。大丈夫だからね。 俺の声、聴こえてる?」
声は聴こえてるけど、
もう声が出ない。
こういうとき、ホントは助けてってもっとお願いするのが、
また私的には気持ちいいんだけどね。
信頼できる人がそばにいてくれる安心感と幸福感。
そしてそこに甘える、無力な自分を許す、自分。
下手したら死んじゃいそうな、
そんな危機状況でなければ自分が嫌いな自分の一部分を許せない、
そんな人間も、いたりする。
なんだか、吊りもいいもんだな。
やっぱり何事も、やってみなきゃわかんないね。