2012/01/26

再び



今日から10日間、二度目のバリに行ってきます!
今回はガルンガンというお祭りに合わせての旅行です。
ガルンガンは日本のお盆、みたいな感じ。
まさか、バリに二度も行く事になるとは思って無かったよ・・。
辛いものでお腹壊さないように気をつけます。

今回は、写真も、もうちょっと撮れたらいいなあと思っています。

それでは、10日後にまた。



いってきます!!






2012/01/25

存在理由


先月、パスポートを更新したことで、いきなり気になり始めたんです。


私の右目頭の、「ほくろ」。


こんなにはっきりしたほくろ、あったっけ?
いや、在るのは知ってたけど、こんなに目立ってたっけ??
気になり出すと、気になって気になって仕方ないもんです。


今までは、そこにほくろが存在することは何となく認識していたのですが、
自分では鏡を見ても全然気にならなくて、というか忘れていて、
むしろ人に「それなに?ほくろ?」と指摘されて思い出すような、そんな程度だったのですが。


このほくろ、一体いつからあったのだ??
と、不思議になり、ここ10年の免許書やらパスポートらや履歴書の写真などをいろいろ見てみたのですが


・・・全部に、ある!!


し、知らなかった・・・。


どうやら私は、自分の顔に関しても、興味のあるとこしか見ていないらしい。



まあそんな都合のいいところが自分の長所でもあり短所でもあるかも知れないと常々思うのですが、実は、
正直言わせて頂くとそんな都合のいいところも全部長所だと思いこんで今まで生きてきている節があるので、
ほくろの発見が今になるのもいたしかたない・・。


それにしても気になりだすと、やっかいですよね・・・こういう、ほくろって。
だって、多分大きさでいうと5ミリ以上あるよ?
かなりの存在感・・・。


なんか、ちょっと当惑しますよね。


こんなはずじゃ無いハズなのに!! みたいなね。
こんなの私じゃ無い!!私もっと綺麗なはずなのに!っていう、あの気分ですよ。


このほくろが無い私は、すっごい美人なような、そんな気がしてくるんですよね・・・。


てゆーか、他人からみたら、こんなほくろなんてどーでもいいって、
勿論 わかってるんですよ。
だってこの件を友人に相談したら、「いまさら何言ってんの」って切り捨てられましたし。
他人が別に気にしていない他人の目線に関する事を、ねちねちと気にするのって、
ホントに馬鹿げてると思うんです。
今はほくろだって結構簡単に取れちゃう時代だから、サクッと切除しちゃうってことも考えましたが、
考えたんですけどねー。なんかさー。私 以前からよく思うんですけど、こういうのって、気にしだすと、
ホントーに切りがないと思うんですよ。
それこそ今は顔でも身体でも気になるポイントがあれば、美容整形とかでサクっと直せちゃう時代でしょ。
ほくろが気になってそれ取っちゃったら、多分また別のところが気になるんですよ。
で、その別のところを治しちゃったら、また、違うところが気になっちゃうの。
そういうことやり出しちゃうともう、精神力もお金も費やすし、あんまりいいこと無い気がするんですよね。
だって、自分の気に入らないとこなんて、探せば探しただけ出て来ちゃうもんだし。


しかも、芸能人とかの話にはなっちゃうけど、たまにありますよね。


あ〜〜。そのほくろ、取っちゃったんだ・・・。
それが、その人っぽくて、良かったのになあ。みたいなやつ。
椎名林檎とかさ・・。


別に自分の今のほくろがそれほどの個性を演出できるほどのものだとは
思っていないのですが、でもさ、それも自分の心意気しだいだと思うんですよ。


自分が「このほくろが、すごいカワイイ!!」って納得してれば、
意外と他人もそう思ってくれる気がするんです。
だってさ、意外と人って自分以外の人間にはそこまで興味ないじゃないですか。
良いとか悪いとか、結構肝心なとこ以外はどーでもいい範疇だと思うんです。
それこそ他人の「ほくろ」なんて、在るのは知っててもなんの感慨も無いと思うので、
本人が「イイ!!」と言うなら、他人もイイような気がして来ちゃうと、そんなもんだと思うんですよね。


だから私も、ここ二週間ずっと考えてたんです。


このほくろを「イイ!!」と思える、自分が納得できるほくろの存在理由を。


自分さえ納得できれば、良い気がするんです。


自分がこのほくろを受け入れられて、自信が持てて、
ちょっとだけ、このほくろが好きになれれば、それで全てがOKなんです。


そんな、私がOKって言えるようなこのほくろの、素敵な存在理由を考え出したい!






なんかないかなー。


別に色っぽい位置のほくろでも無いしなー。


かわいい形のほくろでもないし・・・。


このほくろがあるから美人!とは到底思えない・・・。


と 考えていたところ


突然、


思いつきました!!






コレ




私の「旅のお守り」




・・・として存在しているほくろ、という




そんなのはどうですかね。




旅先で危機状況をを乗り越えるごとに大きくなる。
身代わりぼくろ・・・あ、でもそんなに大きくなられちゃ、困るか。


それにしても、このほくろ、前回バリ島にいってから急に大きくなった気がするのだが。
なぜだろう?






旅のお守り。
26日からまたバリ島行ってきます!








2012/01/19

追記:私の値段


前回の「私の値段」を書いた直後に、友人たちからメールが届きました。
嬉しいですねえ。いつも読んでくれてて、ありがとう。


そのうちのひとりは、彼女自身に値段まで付けてくれました。


「私の値段は、50万円です。なぜなら、そのくらいの金額が今、欲しいから。」


この、わかりやすさに脱帽です!
ありがとう!あなたのそういうシュールかつ現実的なところが大好きです。


ちなみに、この「私の値段」を書いた翌日、
この「値段」の話を提供してくれたMさんと神田で鍋を食べました。


とびきり辛口と謳っているわりに水みたいな味の日本酒をふたりで呑みながら、
前日に「私の値段」を読んでくれたとMさんが切り出しました。


「それにしても、マエダさん、高いよね・・・・。」


「値段の話ですよね? あたりまえですよ。
 もともと身体を売る、っていう感覚が私の中には無いんですから、
 結局は身体の値段っていうよりは自分の自尊心の値段、ってことになっちゃうんです。
 プライドの値段、って結構考えるの難しいんですよ。
 自分に必要な金額、のラインには収まらないのがプライドだと思うんです。
 プライドって、自分が自分自身であることにこだわって生きる、その糧になり得るものですから。
 その金額をもらうことで、自分の自尊心が満たされて、自信が持てて、ちょっと嬉しくなる、
 そんな金額のことなんですよ。
 それでね、金銭感覚っていうのは、人によって違うでしょ。
 まずは、自分の金銭感覚を知る事が必要になってくるんです。
 そこで、思ったんですけど、その人の金銭感覚を決めるのって大体の場合、その人の収入、ですよね?
 だから、その自分の収入を基準に考えると、
 意外と自分の値段も考えやすいんじゃないかと思ったんですよ。」


「月収とか、年収、ってこと?」


「そう、月収3ヶ月分、とか、10年分の年収、とか。
 そう考えると、意外としっくりくるライン、ってのが見つかったりするんですよ。」


「・・・そう考えると、マエダさんの金額って高いけど、それほど無茶な金額じゃないよね。」


 
・・・ああ〜、言われちゃいましたね。実はそうなんですよ。
今回も誤解を産みたく無いので具体的な金額は明記しませんが、
ワタシ自身は、自分の自尊心を徹底的に敬う一方で、金に換算できないような崇高な女のプライドを
自分の中に抱きたく無い、というのもあるんですよね。
だから、ちょっと無茶すれば買えちゃう金額をあえて自分で決めたわけです。
いざとなったら、女のプライドなんかにこだわっちゃいけないと思っている。
それよりも大事なものが私にはあるから。
私の本当の自尊心のラインは、そこらへんなんです。
これはそれこそ個人個人の価値観でしょうね。




「その収入を基準に、の話で思ったけど。」


鍋で白菜を泳がせながら、Mさんが言いました。


「実際に身体を売る事ができるコたちっていうのはさ、時給換算、なんじゃないのかな。」


「・・・!」


「例えばさ、どっかのお店でバイトして、時給が1000円だとするでしょ。
 その、10倍って考えるわけだよ。」


・・・なるほど。


「ちょっと眼をつぶってれば、普通にバイトする10倍の金額が手に入る。
 だから、やろうと思うんじゃないのかな。」


「・・・そうか〜〜〜。それって、すごく当たり前のことだよね。
 なんでそんなことも気づかなかったんだろう!?私がこんなに考えてるのに!」


「それは、身体を売れる人と売れない人の間には、深い溝があるからだよ。」




たしかに、「時給」という感覚は、身体を売る事を「仕事」と割り切れていないと、
なかなかでてこない発想ですよね。むしろ、仕事と割り切れる人にとっては、当然の感覚かもしれないなあ。


「そうかんがえるとね、今の相場って、大体一回、15,000円くらいじゃないかな。」


「15,000円!・・・時給だったら、高いなあ。」


「そうでしょ、でさ、今、思い出したんだけど、僕の昔からの知り合いでOっているじゃん。」


「ああ、はい、Oさんね。元気ですか?Oさん。」


「うん、あいつと前、話したんだけどさ、例えば最初、そういう店とかで買ってた女の子とさ、
 個人的に仲良くなって連絡とって会う場合はいくら払えばいいのかなって話で。」


「ああ〜〜〜・・・。それは勿論、お店とか仲介するものがないわけだから、
 女のコにとってはお店にいるよりは高くて、男の人にとってはお店に払う金額よりも安く済む、
 そんなラインじゃないんですかね?」


「そうなんだよな、Oも、そう言うんだよ。
 だけどさ、僕的には、なんか例えばだけど今まで2万円払ってたとこを1万5千円、とかって
 なんか申し訳ないとか思っちゃってさ・・・。
 僕、もと関西人だし、モノだったらしつこく値切れるんだけど、
 人相手だとどうにも申し訳なくてできないんだよね。マエダさん、どう思う?」




・・・わたし、個人的に値切られるのが大嫌いなんで、
できればMさんにはそのまま5千円をケチらずに生きていって欲しいと切に願います。




「ちなみにMさん、今日、勝手に店、予約してくれっていうから、
 私が勝手に料理まで予約しちゃいましたけど。」


「うん。」


「このしゃぶしゃぶのコースで高い肉と安い肉がありますけどどうしますか、って
 言われたから、高い肉でお願いしますって勝手に注文しちゃいました。」


「・・・人の金だと思いやがって。」


アハハ
いつもごちそうさまです、Mさん。


男の人にどれだけお金をかけてもらえるかって、
意外と女にとっては大事な事なんですよ。
しあわせなことなんですよ。


そう考えると、意外と女の人って自分をある意味、一種の商品として認識している
部分も無くは無いと思えなくも無い・・・。




まあ いいや。




そんなかんじで。











































2012/01/17

私の値段



「ねえ、おこづかいあげるから、ボクと遊ばない?」


6年前、自宅の近くで35歳前後の男に声をかけられました。

男の身なりが、私のキライな不動産屋タイプだったので、
「ごめんなさい。」とお断りしてそのまま自宅に帰りました。

帰ったあと、なんだか無性に、気になりました。



・・・おこづかいって、いくらだ??



「遊ぶ」っていうのは、おそらく「俺とヤろう」ってことに違いないのですが、
一体、あの男は私にいくらの金額を付ける気だったのだろうか?
考え出したら気になって仕方なくなったので、
たまに出会い系などで女を買うと言ってた友人Mさんに訊いてみる事にしました。

急な誘いにイヤな顔もせず、芝公園の日本料理屋を予約してくれたMさん。
そこにくる前にすでにもう呑んでいたらしく、寒空の下、脱いだコート片手に現れました。


「ねえ、Mさんって、たまに出会い系で女の人と会うって言ってたよね?
 女の人とヤる時って、大体いくらくらい払うの?」


Mさんは不動産関係の会社を経営する55歳の既婚者です。
見た目にすごくかっこいいってわけじゃないんですが、
女が心を許すポイントというのを心得ていて、
職業柄自分が話すよりも相手に喋らせることが得意な私でさえも、
気がつくとなんでか知らないけど気分よく自分の事を喋っちゃってたりするんですよ。
悔しいですねえ。私、女好きな男は好きだけど、女の扱いが巧い男って、基本的にキライなんですよ。
そういう意味では、イヤな男です。


「金額?それは勿論、相手のコによって違うよ。」

「へえ?それは相手の女の子のレベルによって変えるってこと?」

「じゃなくてね。僕が使ってる出会い系は女の子が最初から金額を提示してるの。
 だから、まあ、多分こんな感じのコでこの金額なら、いいかなってとこを探すわけなんだけど。」

ああ、なるほど・・・。

「ちなみに、一番最近のコは、いくらでしたか?」

「2万円。最近はずっとそのコと会ってるんだよね。勿論、毎回2万円で。」

「・・・意外と安いんですね。大体、そんなもんなんですか?」

「いや、やっぱ自分に自信が有るコは提示してくる金額も高いよ。
 5万とか、7万とか。僕はその2万のコが結構気に入っちゃったから、そのコで満足だけど。

「・・・そのコのどこらへんが、気に入ったんですかね?」

「うん、やっぱさ、いくら買う買われるの関係でも、僕は一緒に楽しんでくれるコがいいんだよね。
 そうじゃないと、つまんないから。」


・・・おそらく、Mさんは毎回の2万円にも、もう少し、色をつけて渡しているのではないかと、
私は見ました。多分、実質3万円くらいじゃないかと思います。
まあそんな感じで、こういう女の買う買われるに関しては、当たり前の事ですが当事者同士がお互いの納得する線で値段を決めるわけですよね。


「ちなみにマエダさん、3万円で、お願いできますか?」

「え〜・・・イヤですよ。3万円に困る時がきたら、お願いするかもしれませんけど。」

「あはは。冗談だよ。」


あはは? 冗談でも、3万円なんて、私はイヤですよ。
もちろん、命や生活がかかってたら、いくらでだってやりますけどね。
私は今はこの日本で不自由なく生活しているわけですから、
後進国での日々の生活のための売春とは意味合いがちょっと変わって来ちゃうんですよ。

とはいっても、単純に貞操に対して厳格であるべきとは全く思っていないので、
なんていうんですかね?
女は、少なくとも私は、自分がヤリたい時に、ヤリたい男とだけ、ヤリたいんですよ。
それ以外の時に、なんらかの事情でヤらなきゃいけなくなると、
なんてゆーかプライドが傷つくんですよね。

このプライドっていうのが意外と厄介で、
こいつが傷ついていくと、生きる事に必要な何かが、確実に擦り減っていく気がするんです。
女の人って、意外とこのプライドによって強く生きている気がしなくもありません。


と いうわけで、


では、私のプライドに折り合う金額とは、一体いくらなんだろうか?


と、考えてみました。


大体の場合、この日本という国に生きる女性にとっては、
こんな問い自体、馬鹿げたものだというのも、承知の上です。
「金に換算する」という行為自体に嫌悪感を感じる方も多いはず。


ごめんなさい。いつもバカな事ばっか考えてて・・・


でも・・・


そこを、あえて!!


意外とこの問いは、具体的に金額を自分の中で提示していくと、楽しいんです。

別に、この金額を想像したからって、実際に「売る」ってことじゃないですよ。
それとこれとは全くの別の話なんです。
意外と曖昧な自分の貞操に対する価値観が、自分の価値観と意志によって
客観性のある具体的な数字に置き換えられるという、ちょっとした驚きが味わえるんですよ。

たとえば私の場合、3万円、なんて有り得ないんですよ。
そのくらい、自分で稼げるし。

10万円、も、全然やる気しないですねえ。
自分でなんとかなる金額というのは、意外となんとも思わないもんです。

では50万円、では?

・・・これも、全然やる気がおきません。

80万円・・・

うーん。 しっくり来ませんねえ。


100万、200万、1000万・・・



てゆーか、多分、ここらへんまでくると、
多分金を払う側としての男性陣は「は?ふざけんな!」って感じですよね。
そりゃそうですよ。
だってこれは売る側と買う側の交渉としての金額の提示ではないんですから。
自分の中でのちょっとした遊びみたいなもんです。

あとですね、この金額はあくまで『一回』の金額であって、
愛人契約などの『払えばやりたい放題』の値段では決してありません。

ちなみに、いくら安いのは嫌と言っても、
あまりに自分にとって高額でも、しっくりこないものなんですよ。
たとえば、一億円、とかね。

バカバカしいでしょ?
てゆーか、馬鹿馬鹿しくてあたりまえなんですよ!
もともと自分にとって現実感の無い問いを眼に見える数字という形で現そうってんだから。

何度もいいますが、これは自分の中だけでの、遊びなんです。
自分の中で、しっくりくる金額を探しあてて、

「ああ、私って、◯◯◯円の女なんだなあ。」

・・・って、自分自身で感慨にふけるための、ちっちゃな、されど革命的な遊びなんですよ。
その金額が、世の価値観や、他者の基準でなく、自分自身の意志で決める、というのが、
この遊びの肝ですね。

「自分は◯◯◯円(かなり高額)の女、ですから。」

って感じで、具体的な金額によって自分の自尊心を確認するのも良いかと思います。

そんなことを、

もうすでに話したい事もなくなったMさんの前で
ひとり、大して飲めない日本酒を舐めながら考えていたのですが、

ふいに、Mさんに言葉を投げかけられました。



「◯◯◯円でやらせて、って僕が言ったら、どうする?」





・・・・!!!




正直、かなりびっくりしました。


なぜならその時Mさんが口にした金額は、
わたしが「しっくり」きた金額そのものだったから!!


ちなみに、誤解を産むといけないのでその金額はあえてこの場では明記しませんが、
大体において、こんな金額を一回の関係のために払うなんて、
金の価値観は人によって違えどとても一時的な性欲だけでは提示する気にならない金額だと思います。


もちろん、冗談なんですけどね。



「アハハ!とてもありがたいんですけど、なんでかMさんとはヤる気が起きないんですよね、すみません。」



てゆーか、なんで、わかったんだ?

くそっ やっぱりこういう男は、嫌いだなあ。

こういう男とはやらずに友達でいた方が、楽しいんだよ。








2012/01/12

自然回帰



ごめん!!これから大河ドラマの『平清盛』観るから、私、帰るね!」



この間の日曜日、そういう理由で早々に帰宅しました。

いえ、そうは言ってもね・・・
実際の私を知っている方はご存知の通り、私って全然普段テレビって観ないんですよ。
観てもせいぜい、朝のNHKのニュースくらいです。

「マエダさんって、どんな話題でもお客さんと話せるのに、テレビの話題だけは全然ダメですよね。」


・・って、マッサージ師として勤めていた時に同僚に鼻で笑われたくらい、
ホントにテレビ番組のことってわかんないんですよ。
まあ、言ってみれば、それだけ普段、家にいないってことでもあるんですけどね。
高校生の時から、家には寝るためだけに帰る、ひどい時は寝にも帰らず、
自宅の部屋がただの荷物置き場になっていた時もありました。
そんな私に、それこそこちらの都合なんておかまい無しにあらかじめ放送時間の決まっているテレビ番組を
観る可能性なんて、ほぼ皆無なんですよ。

それじゃあ、そんな私がなぜ、テレビを観るためにわざわざ早く帰って来たかといいますとね、




『テレビを観るために、その時間に家に帰る』




・・・という事を、してみたかった、その一言に尽きます。


なぜかって?


なぜかって・・・だって、なんだかおもしろいじゃないですか。


毎日、仕事後にも休日にもたとえ朝まででも好きに遊びにいけるこの年齢になって、
「テレビを観るために、家に帰る」んですよ。


しかも、その気になればテレビ番組くらい簡単に録画もできて、
それこそ画面の大きさを気にしなければ、ワンセグでだってどこでも地デジ放送が見れる、そんな時代に、「テレビをみるために、家に帰る」んです。






録画もできる、だけど、あえて、しない。


あえて、私が都合をつけて、家に帰る。


なんだろう、この余裕・・・。


あえて不便を楽しむ、この余裕!!






これこそ、スローライフですよ。
ロハスですよ。
エコですよ!




状況を自分に合わせようとするのではなく、自分が状況に合わせるんです!


自分に状況を合わせようとすると、どうしても「便利」を求めてしまうので、
その逆の「不便」を楽しむ、という価値観の転換を、今年は試みてみることにしました。


別に、スローライフが好きなわけじゃないんですよ。
価値観の転換が好きなだけです。


むしろ、ロハスとかエコとか最近の自然回帰現象も玄米もヨガもキライだし、
そういうもののあたかも最初から「イメージ」先攻の売り出し感がいまいち気に入らない部分があるので、
あえて自分なりの自然回帰を考えてみたら、一番しっくりくるのがコレだったんです。


いや、スローライフという言葉は嫌いだけど、
そういう「不便」を楽しむ、という状況にはちょっと興味があったんですよ。


だって、この資本主義経済国で生まれ育っていると、
「便利」が色んな進歩や経済的な利益を生むことを、
はなから身体に刷り込まれて生きて来ているわけですよね。


刷り込まれていることに疑問を持たずに生きて行くと、ろくな事がないんですよ。


「不便を楽しむ」ことを「自分を状況に合わせる」ことだと考えると、
意外といままで自分がどれほどそのときの状況のおもしろさを知らずに生きて来たかが、
わかるかもしれませんしね。


だって、図らずとも去年の大震災で、
この世界が人間の都合で回ってんじゃないって、思い知ったわけじゃないですか。


この地球での人間の立ち位置ってやつを、そろそろ考えてみてもいいんじゃないかと思うんですよ。


まあ、そんな大義は置いといて、
私の場合、テレビにしてもどれだけ続くかが問題なんですけどね。


だって、予告ほど『平清盛』おもしろくなかったしさ。


とりあえず、テレビ番組を知らないわりに、やってると思わず観ちゃう番組として
「プロフェッショナル」と「着信御礼!ケータイ大喜利」は観る事にしました。
こないだやってた坂本龍一の「音楽の学校」っておもしろかったけど、
またアレやんないのかなあ?


・・・てゆーか、これ、ぜんぶ NHKだ・・・。




これだけじゃなんか寂しいので、
おもしろい番組、なんかあったら教えてください。民放可。




あっ でも毎朝8時から15分間はメールとかもらっても返事できないから!


朝の連続テレビ小説「カーネーション」、夢中で観てるんで。























2012/01/04

sky high


「死ぬとき、自分はどんな死に方がしたいか?」


二年前、当時勤めていたマッサージ屋の新年会で、そんな話になりました。

正月早々、語り合う話題じゃないような気もするのですが
これが、なかなかおもしろかったんです。

まず、セラピスト仲間の中で一番年上の、モモコさん。
話題の口火を切りました。



「私はね、 絶対、老衰で死ぬって決めてるの!
 死ぬ直前までできるだけ元気でいて、少しづつ弱っていって静かに死ぬのが夢なの。
 だから、今から日々健康には気を使って、不摂生からくる大きな病気にはかからないように、
 こうやってできるだけ健康的に生きようとしているわけよ。」




・・・なるほど。


実はこのモモコさん、もともと健康療法マニアが多いセラピストの中でも、
群を抜いて健康志向の人なんですよ。
日々、自分の身体と徹底的に向き合うその胸にはそんな野望が秘められていたんですね。さすがです。




「そういうナツコちゃんは、どういう死に方がしたいの?」




ここで、モモコさんから話題をきり返されました。


実は私、昔から、こういう死に方がしたい!!っていう、ビジョンがあるんですよ。
ただ、これはあくまで私が理想とするビジョンなので、
実際に可能かどうかとか、背景が非現実的過ぎるとか、そういうのはまあ多めに見て頂くということで。




「えっと 私はね、自分でもう死んでもいいかなって思った時に、
 グランドキャニオンみたいな崖っぷちから飛びおりて死にたいの。
 できれば雲ひとつない青空の中でね、すっごいいい気持ちでね。
 で、できれば焼かれて灰になるんじゃなくて、死体も見つからずにそのまま分解されて
 土に返って終われれば最高だな、と。」




「てゆーか ナツコちゃんそれって自殺?」




「いやー、自殺といえばそうかもしれないけど、なんかさー、
 死にたく無い時に死ぬんじゃなくて、よし、もう充分生きたから、もう死ぬぞ、
 みたいな自覚を持って死にたいという願望はあるよね、で、できれば土に返ってね。」




モモコさんは、なんだか私の死に方にはどうにも腑に落ちない様子・・・。




「え〜〜??なんかさー、私、みんな当たり前に老衰で死にたいのかと思ってたよ。」




ああ、なるほど。
たしかに、一番 老衰が静かに穏やかに死ねそうな感じはしますよね。


ちなみに、「老衰」の定義はというと、外傷や病気が原因ではなくて、
身体の細胞や組織の機能が加齢と共に低下し、恒常性の維持が不可能になる事が原因の死、
ということだそうです。




「でもさ〜〜、モモコさん、こう言っちゃあ申し訳ないけどさ、 
 おばあちゃんが死んだ時に実感したけど、
 今の日本で老衰ってかなり本人より家族が大変な死に方だと思うよ。
 だってさ、身体の機能が低下する事で色んなとこにガタがでてくるわけじゃん?
 起き上がれなくなって、寝たきりの状態がしばらく続くわけでしょ、
 その寝たきり老人の世話を全部、家族とか周りの人がするわけだよ。
 今の日本では病院に入院させたら治療として身体に栄養も入れなきゃいけないし、
 呼吸器も付けなきゃいけないし、いわゆる治療としての延命措置をしなきゃいけないんだよね。
 だから、結局老衰で死にたいなら自宅で介護をうけながら死ぬしかないわけで、
 家族が結構大変な思いをするってことは心に留めておいても差し支えないかと・・。」




「・・・ええ!! そうなの! 知らなかった・・・私、ちょっと考え直すわ。」




いや、別に考え直さなくてもいいんですけどね。
この「どういう死に方がしたいか?」という問いのおもしろさというのは、
実際にそういう死に方をするかどうかということが問題なのではなくて、
その「死に方」が実はその人の「生き方」を象徴しているようにもとれるとこだと思うんです。


だから、「どういう死に方をしたいか?」というのは、
当然のことながら、裏を返せば「どういう風に生きていきたいと思っているのか?」
という問いと同義だと思うんですよ。


私はなぜか昔から、「人生の時間」を「死ぬまでの時間」というふうに考えないと
生きる事に意欲が湧かない人間だったので、
自分が死ぬ時のビジョンは結構しっかり持っていたんですよね。
「死ぬ」時が自分の人生の最高到達点だという感覚があるのかもしれません。
死ぬ直前に、「よくやった」と自分を最大限に褒めて最高に気持ちよく死にたい、
というのが、私の生きるモチベーションでもあるんです。これってなんかヘンですかね?


ちなみに、私の友人の齢78歳のおじいちゃん、
三神さんにも同じ質問をしてみたところ、


「荒野で野垂れ死にたい。」


と、なんとも酔狂な回答を頂きました。


「なんで荒野なんですか?海じゃダメなんですかね?」
と、尋ねてみたところ、


「海じゃ、よし、死ぬぞ、って自分で覚悟して入水して死ななきゃいけねえだろ。
 俺は野垂れ死にたいんだよ。
 死ぬ直前までフラフラほっつき歩いて、足が立たなくなったところで野タレ死にたいんだ。」




・・・ああ〜〜〜。




さすが唯我独尊野郎の自由人、三神さん。らしいなあ。
自由人たる浮遊感の中にも一種のしぶとさのようなものが垣間見えますね。


ちなみに、他にも数人にこの質問をしてみたのですが、
「たくさんの家族や友達に囲まれて死にたい。一人で死ぬのは寂しいから絶対イヤ。」
という36歳の飲食店経営の男友達なんかもいましたね。
私、男の人はみんな一人で死にたがるもんなんだと思っていたんでちょっと意外でした。


男が死ぬ時に寂しいも何も無い気がするのですが、
男なら独り、大自然の中で朽ち果てて死にたい、とか言えよ・・・
病院のまっさらな白いシーツの上で死にたいとか言うなよ!
・・・なんてのは、私の勝手な「男」という生き物に対する理想像?
スミマセン。
まあ、人生観の個人差ということで。




そして、モモコさんの他にもうひとり、
この死に方談義に参加した23歳の猫みたいな美少女タラちゃん。


「わたしはですね、なんかおもしろいもの見て、笑いながら死にたいです。
 しかも、とにかく大笑いしてる時に死にたいんです。
 笑いすぎて気が遠くなる事ってあるじゃないですか、
 そんな訳わかんなくなっちゃう感じで、死にたいな〜〜なんて・・・。」






・・・へえ〜?


なんかわかるようで・・・


いや


やっぱりよくわからない・・・。




まあ、ホントに人生の数ほど、それぞれの果て方があるってことで。