2015/12/02

宙から見たら




「昔、女の子とヤッたことがあるんだけどね。」

と友人のヨーコちゃんにそんな話をした。

「おお!それは素敵だね。どんな子だったの?私も常々一度くらい女の子としてみたいって思ってるんだけどね。なかなか機会に恵まれなくてね。」

何だか知らんが私はヨーコちゃんとはそんな話ばかりしている。
LGBTではないものの自分のセクシャリティに違和感があるというヨーコちゃんとは、興味の向く話題が近いせいもあって、なんというかいろいろ話しやすいんだ。


「私はほら、生粋のレズビアンじゃないからさ、やっぱり相手も本当のレズビアンじゃダメなんだよね。私はいいんだけどね、相手が私を選ばないの。ビアンじゃないけど興味本位でやりたがってるストレートの子くらいが、ちょうどいいんだよ。その時の子も、そういう子だったんだけど。」

その子は当時23歳の、チカという女の子だった。

「チカもそうだったんだと思うんだけど、なんでその子とセックスしたかって言われても実は答に困るんだよね。数年に一回かそこら、私はなんでか女の子が恋しくなる時期があってさ、その時にちょうど出会っちゃったというか、そういう感じなんだけど。」

チカとはじめて二人だけで食事をしたとき、
彼女は向かいの席で、真黒な大きな眼でまっすぐに私を見つめてこう言った。

「ねえ、いま、私のこと、いいなって思ったでしょ。」

そういってチカは満足げに笑った。
チカは一般的にいう、いかにも男の人が好みそうなタイプの可愛い女だったので私はもちろん、いいなと思っていたけども、その彼女の言葉は少し、私の癇に障った。
女の嫌な部分を垣間見た気がしたのは、私にも昔、チカのような少しそういう高慢な部分があったからかもしれない。


食事のあと、
テーブル越しだとわからなかったけれども、近づくとチカの胸元からは女特有の乳くさい匂いがした。

おそらく当時の自分も持っていたであろう匂いなのに強烈に違和感を感じたのは、私が普段男の体臭に親しみすぎていたからだろうか。

興奮してくると、女が干し草のような、日向くさい匂いを発することも初めて知った。

「正直な話、私はレズビアンじゃないから、女の子とそういうことをしていても、性的に興奮はしないんだよね。だけどセックスの相手としての女の子の身体が目の前にあるってことはすごく新鮮だし、楽しいし、そういう意味では興奮するんだよ。自分が指を突っ込んでる部分が、自分以外の女の局部だっていうのは、やっぱりすごく新鮮なんだよ。ほら、ちょっと次元はちがうけどさ、自分がいつも生きて暮らして接しているこの地球っていう球体も、普段は何とも思わないけど、宇宙に出て宙から見たら絶対新鮮で感動するでしょ。見る角度がかわるっていうのはさ、そういうなかなかに感動的な局面もあったりするわけよ。」


見慣れているような、そうでもないような、自分の指を突っ込んだ肉の狭間を見て思う。

これは、誰の身体なのだろうか。
自分でないことはわかっている。
だけどこれは、自分でもある。

結局、私たちの身体には同じようなものがついていて
その使い道もおんなじで

貴方が何をしたいのかも大体わかる。
どういうつもりなのかも察しが付く。

だって身体が同じっていうことは、生きる目的が同じってこと。

だいたいわかる。
誘っているようで、試してる。
どうやったら私が掌で転がるか
どうやったら自分の自己愛とプライドを満たせるか
楽しそうに試している。

こういう声を出せば、断れないと知っている。
した手を装いながら、支配することを狙ってる。
相手がそれを望んでいるとわかっているから。


ほら、
同じ身体を持ってるってことは、それだけ同じようなことを知っているってこと。
同じようなことを、求めてるってこと。

同じ女である以上、本来、身体に組み込まれている生きる目的に、
そんな大差なんてないじゃない。



興奮してせり出してきた女の性器を見て、まるでイソギンチャクやウツボのような海の生物みたいだと思った。咥えられた指が、飲み込まれていく生餌のように見えた。

不思議なことに、私はそのチカを眺めている時、まるで幽体離脱をして自分を外から眺めているような、奇妙で清々しい気分だった。

どこか曖昧だった自分自身に対する認識が固まっていくようなそんな気分だった。
「ほら、お前もこういう、女っていう生き物なんだよ」と誰かがはっきり言いきってくれたようで、なんというか不思議と、納得した。



「なにをもって、女を女と言うんだろうと思うんだよね。ヨーコちゃんは、それは例えば文化や刷り込まれてきた社会的な価値観とかのせいが大きいと言ったりもするけれど、私はあまりそうは思わないんだ。もちろん世の中には男と女の二つの性に分類できないタイプの人たちもいて、そういう人たちに対して男だの女だのの二元論的な話を押し付けるのは全く間違っていると思うのだけど、それはまた別の話でね。仮に基本の性が男と女だとして、その変化形や異形や進化系がLGBTだとした場合の、女の話になるんだけどね、女は個体差はあれ同じ女の身体をしているから女であって、そういう同じ身体っていうのは、結局は同じ目的を持っているんだって思うんだよね。もちろん個人差や程度の差はあるけれど、同じ目的を有する身体を持っているってことはさ、その目的に対してのいろんな情報の求め方や選別の仕方、ものの見方、感じ方、捉え方、発信の仕方も自ずと似て然るべきだと思うんだ。勿論、結果はそれぞれだけど。精神は肉体の一部だから、そういう女の肉体を持っているってことは、物事の求め方や感じ方も女特有のものになっていくわけで。勿論、文化や社会的なものもあるだろうけど、人の精神って、そういう肉体に支配されてる部分が大きいんじゃないかと思うんだ。」

私は私として生きているようで、
だけど実は女としての肉体に支配されて、私自身が決められることなんて実はそんなに多くないのかもしれない。


自分で決めているようで、ほとんどのことを決めているのはきっと女である私の身体なんだ。

 ヨーコちゃんのような、セクシャルマイノリティの人たちが持つ肉体が何を思うか、それはまた別の話だ。
だけど、まったく見当違いな話でもないように思う。
例えばLGBTの人たちの方がもっと肉体の声は複雑なのではないかと、私は思う。
だからこそ、悩んだり苦しんだりすることも多いのかもしれない。

それはまあ、私の想像でしかないのだけれど。

私には私のことしかわからない。
私はいわゆるふつーの女だから、いわゆるふつーの女のことしかわからない。
だけど、そんな私だって、自分の身体に対する認識は意外と曖昧なんだ。
自分と同じようなふつーの女を触ってみて初めて、自分の身体に納得したのと同じように。




「そのチカちゃんとは、その後はどうしたの?」

すこしだけ久しぶりに会ったヨーコちゃんは、以前よりもすこし健康的に見えた。
きっと大好きな彼氏といいセックスしてんだろうな。
ヨーコちゃんは自分のことを、セクシャリティに違和感があるがLGBTではない、と考えているようだが、例えばLGBTのようなセクシャルマイノリティを単なる精神機能を含む肉体の機能的な個性だけではなく、文化や家庭や社会的な外的要因からのものも含むのであるとすれば、その幅はもっと大幅に増すのではないのかと思う。

ヨーコちゃんがそのどこに属すのかはわからないが、それがどこであれ、ヨーコちゃんの身体が有する目的というものもあるのだと思う。それが例えば、とても複雑で矛盾を孕むものであったとしても。


「いや、その後も何回かは会って、演劇鑑賞とか好きな子だったから色々観に行ったりふつーにご飯食べたり、何度かヤッたりもしたけどね、だけど結局さ、癇に障るんだよ。私も女だからさ、その子の手練手管がわかるわけ。ヤッパリそのへんは、ふたりともノンケなんだよね。甘えるふりして優位に立とうとしてんな、とか挑発するようなこと言って私からこういう言葉を引き出したいんだな、とか、あ、こいつ、いま、感じてるふりしたな、とかね。笑 私も女だからさ、その辺はなんとなくわかるんだよ。そういうのは男相手にやれよ・・・なんて思ったね。」

気がある男に対しての女の媚のしぐさを、同性である女が疎ましく思うのと、もしかしたら似たようなものかもしれないね。女の下心にあるしたたかさを、感じ取ってしまうから不快なんだ。


偶然にもそんな話をした数日後、数年ぶりにチカからメールが来た。
実は一年前から、結婚して私の仕事場の近くに住んでいるのだという。


メールをやり取りし、ちょうどお互いの予定が折り合わないことを理由に再会は見送った。

数年間、音信不通だったくせに、自分の都合がいい時にだけかまって欲しがる性格は以前のままだ。
自分勝手な、めんどくせえ女だな。

とは思うけど、きっと顔が可愛いから会ったらまた、いいな、とか思っちゃうんだろうな。

だけど、以前はチカのそういうめんどくさい部分を女として魅力的だと感じていたりもしたけど、なんだか今ではそうも思わなくなってしまった。

いろんな意味で、私も大人になったってことなんだろうな。

つーか単に、年取ったってことなのかもしれないけれど。
(来年は年女です。)











2015/11/24




他人のセックスをナマで鑑賞していると、感慨深いものがある。


男友達の樹さんが、自分と彼女とのセックスをビデオで撮影してほしいと、
私に声をかけてきた。

「撮影だけでいいんだよね?」

「うん、もちろん。とてもじゃないけど、三人で仲良く3pとかは彼女が無理だから。
彼女はセックスレスのご主人と二人の子供を持つ主婦歴15年の40歳で、
2年前に僕と付き合いだす前までは子づくり以外のセックスをほとんどしてこなかったような保守的な女性でね、なんていうかうまく波長と身体が合って、この二年間は二人でできる範囲で、いろいろ楽しんだんだ。
で、今回、初めて、第三者をいれて楽しんでみようかな、と、僕が勝手に計画を立ててみたんだけどね。」

「勝手に、って言っても、事前にちゃんと彼女には話すんだよね?
 今日は僕たちのセックスを第三者が撮影します、って。」

もちろん、だけど当日の、ホテルに入る直前にね。
と樹さんが楽しそうに言ったので、私もなんだか楽しくなって引き受けることにした。


自分の恋人や配偶者とのセックスに第三者を介入させて楽しむ人たちは、意外と多い。
カップル同士で相手を入れ替えてセックスを楽しむ人もいれば、今回のように自分たちのカップルに男か女を一人、加えて楽しむ人もいる。
どちらにしても大概の場合、馴れ合って今ではもう親密すぎるパートナーとの関係性に、第三者という刺激を加えて楽しむことが目的だ。

結局セックスは、『他人』とではないとできないってことなんだろうな。


*****


ホテルのロビーでまず樹さんと彼女と顔をあわせ、
部屋に招かれビデオカメラを渡された。

部屋に入っても、緊張が極まった彼女はなかなか私と眼を合わせてくれなかった。

だけど、私による撮影を了解はしてくれた。

「彼のことを信じているから」と、彼女が言ったので、彼の旺盛で複雑すぎる女関係を知っていた私は内心、大丈夫かこの人は、と心配になったがそれは私の知るところではないと思いなおした。

「この撮った映像は、誰が見るの。樹さんだけ?それとも二人でみるの?」

「僕だけ。彼女は恥ずかしがって絶対に、見ない。」

そうかじゃあ、樹さんじゃなくて彼女の表情とかをメインに撮ればいいんだなと了解して、
カメラの録画ボタンを押した。


彼女の喘ぎ声がかなり大きく絶対廊下にまで響いてるに違いないこと以外は、セックス自体は至って普通だったので、というか型で押したようにスタンダードだったので特に見ていて新鮮なことはなかったけども、私はそれより樹さんの思惑が気になった。

私はその時より以前に、樹さんと数回ヤッたことがあった。

いまここで彼の下に敷かれあんあん喘いでいる彼女は、
果たしてそれを知っているのだろうか?

もし聞かされて知っているのであれば、今 彼女は彼に対する屈辱感と私への嫉妬心を肥やしに興奮しているのかもしれない。
もし知らなければ、単純に、本来は秘め事であるはずのセックスを他人に眺められているという非日常感と背徳心に酔っているのだろう。

本来、自分と相手すらいれば事足りるセックスに他人を加える理由なんて、
結局はそのどちらかだ。
 
ただどちらにしても、彼女が、というよりは彼女をそうさせたい樹さんのシナリオでしかないわけだけど。


人間っていうのは、なんて面倒なセックスをするのかと思う。


屈辱感や嫉妬心で自己愛を燃やして、
背徳感で社会性や人間性から一時だけ自由になって、
そんな刺激をもセックスの材料にして興奮している。


身体が本来備えてる性欲の量だけではもの足らず、
頭のどっかを刺激して興奮して、本来の肉体以上の量の欲を生み出す。

欲を満たすために、欲を生み出す。
いったい人間っていうのは、どこまでたくましく傲慢なんだろう。

屈辱感も嫉妬心も背徳感も、羞恥心ですらも、本当は自分自身が作り出したものでしかないはずなのに、
それをあえてハードルや埒(らち)に見立てて、飛び越えたり眺めたり、
時にはあえて飛び越えなかったりして楽しんでいる。


倫理や道徳に背くわたし。

ないがしろにされる、
こんなにも愛しいわたし。


本当はこんなに自由なわたし。

羞恥心に耐えられるのは、
それだけ彼を愛しているから。


こんなにも屈辱を感じるのは、
それだけ私が、私自身を愛しているから。




ねえ、

その女とわたしとどっちが綺麗なの。

ねえお願い、もっとわたしをみて。


わたしを。



あえて埒(らち)に捕らわれることで、埒を飛び越える快感を知る。

あえて埒を越えず眺めることで、自分の無力さといとおしさを噛みしめる。

埒という自分で作った限界が、欲を生み、私自身を欲情させる。



「・・・ホント、人間のセックスってめんどくせえな。」


と、この翌日、友人のひとりにぼやいたら、

「あ~、わかるわかる!だからわたしさ、動物の交尾とか見るの大好きだもん!
 見てると安心するんだよね~。」

と返ってきた。

「え!うそ私もなんだけど!私も動物の交尾ってすき。
清々しくていいよね、単純明快で。
なんかさ、人間同士のセックスみてると、複雑すぎてめんどくさくなってくるんだよ。
相手を支配しているだとか、辱めているだとか、道徳的であるだとか、ないだとか、ある人々にとってはそんなものがセックスの興奮材料になったりする。

なんでセックスにそんな理由やストーリーが必要なんだろう?
なんで人間は、動物みたいにただあっけらかんとセックスできないんだろうね?」

人間はいつも、自分たちが作り出してきたもので、自分たちを苦しめる。
愛や、宗教や社会性や道徳や、ヒューマニズムで自分たちを縛りつける。

縛りつけられながら、苦しみながらそれと戯れる。
まるで 縛り付けられているからこそ、生を謳歌できると言わんばかりに。


 
「そうそう、だから動物の交尾っていうのはさ、
それ以上でもそれ以下でもないって感じが、いいんだよね。」

それ以上でもそれ以下でもない動物の交尾を羨ましいと思うのは、
きっと複雑すぎる人間の交尾に私自身がついていけてないってことなんだろな。
羞恥心も倫理観もどこかで大部分捨ててきてしまった私には、
きっとそんな高尚なセックスなんてする資格はないんだろう。


樹さんと彼女のセックスもあらかた終わって、ほんの二時間足らずの間で齢55にして二回もイッたこの男はホントにすげえな、と感心しつつカメラの電源を切った。

「せっかくの他人撮影の動画だから、二人きりじゃ絶対撮れないようなアングルを多用しておいたから、なかなかによい映像になってると思うよ。」

と言って樹さんにカメラを返したら、樹さんはありがとうございました、と
礼儀正しく言って、カメラを置いてそのままバスルームに消えた。


よく、OKしましたね。」

と、その日はじめて二人きりになった彼女に声をかけたら、
さんざん見ず知らずの女の前で喘いだあとでのふっきりなのか、
意外にも彼女は清々しい顔で私に笑顔を向けてくれた。

「いえ、勿論最初は、どうしようって思ったんですけど」

40歳にしては目尻に深く皺が刻まれている感じがした。

「ですよね」

「でも、私、彼は私にとってダメなことはしないって信じてるし。」

彼女はソファに丁寧に丸めておいてあった自分の下着を取り、私の前でつけ始めたが、その下着も年の割には子供っぽく、安っぽいもののように思えた。

「うん」

「それに、今まで彼に会うまでの私って、本当に、セックスを楽しむって感覚が全くなくて、むしろめんどくさいって思ってたくらいで、本当につまんない人生歩んできたなって思ってるから、これからはもうちょっと、楽しんでいきたいんですよね。
だけど、楽しむっていっても、いままで何もしてこなかったし、何も考えてもこなかったから、どう楽しんでいいのかもわからなくて、だから、とりあえずは、彼が言うことなら、なんでもやってみようって思うんです。それで、まずは、自分が何が好きで、何が嫌いなのか、自分でわかったらいいなって思って。
いままでは、それすら、わからなかったから。」


・・・・ああ、ナルホド。

たしかに、セックスにおいて自分が何が好きで何が嫌いかを知っておくって、すごく大事だよね。
特に女の人の場合は、何も考えず男の欲望に合わせてると傷つくことも、多いから。

下着をつけ終わった彼女が「ナツコさんもいつもこんなふうにちょっとアブノーマルなことして遊ぶのが好きなんですか」と聞いてきたので、いいえ、私はふつーに好きな人と正常位でするのが一番好きです、と答えた。

実際それは本当だけど、それだけじゃずっとはやっていけないと、もちろん私もわかっている。
いわゆる愛がなきゃセックスはつまらないけど、いわゆる愛だけじゃセックスは、絶対できない。
それはとても不甲斐なく哀しいことだけどある意味少しだけ楽しくて、
だからこそ私は今日、ここにきたんだ。

樹さんがバスルームから帰ってきたのを頃合いに、私も部屋を出ることにした。

撮影係の私を含めてのふたりのセックスはおわったが、
緊張感から解き放たれた彼女は今度は二人っきりで彼に甘え、今までのセックスで感じた様々な感情を昇華させ反芻し味わいながら、もう一度セックスをしたいはずだ。
もちろん樹さんもそうだろう。


ていうか、どっちかってーとメインはそっちなんだよな。
今までのセックスが、前戯みたいなもんでな。


ただ一時の興奮を求めて、こんなにも労を惜しまない人間というのは
果たしてくだらないのか たくましのか、
それともそれを考えることすらもうすでに馬鹿馬鹿しいのか、
様々、感慨深い一日でした。










2015/11/20


「写真写り、すごく悪いんですよ。」

と、ヌードメヘンディの撮影の帰り道、モデルさんが言ったので

「いや、それは私もです、写真写り、超悪いです。」

と、私も答えた。


だってほら、私たちは

いつも鏡に映るもうひとりの自分を知っている。

そのもうひとりのわたしは、
自分のどこが綺麗かを
自分のどこが、ほかの女たちより少しだけ優れているかを
きっと世界中のだれよりもよく知っている。

たとえ男の人が、
「そんなちょっと背が低いとか太ってるとか気にしなくてもいいのに。
あなたはそのままで充分綺麗だよ。」
って言ってくれたとしても

それとこれとは無関係なの。

わたしは知ってるから。
自分の美しいところも、美しく無いところも。

私は私の眼で、
私を見つめることはできない。

この左右反対の世界が、
私がこの眼で見ることのできる、

唯一で真実のわたし。











photo by  maedanatsuko








2015/11/15



昔、他人のセックスの撮影を頼まれたことがあり、
今日はその時感じた事などを書こうと思ったのですが、
今日はちょっと別のことを思い出したのでそれを書くことにしま~す。

先日、男友達に

「自分のヌード写真をブログとかに出すなんてすごいね。自信がないと、できないことだよね。」

と全くの悪気なく好意的に言われたのですが、



なんだろうな。

別に自信があるとかないとか、そういうことでもないんだよな。

自信があるから人前に身体を晒せるわけじゃなくて、
じゃあどうして自信がなかったら晒せるわけがないんだろう。

自信があってもなくても、
私は死ぬまで私でしかないわけで、
そんな私でしかない自分を、
どこでどうやって恥じる必要があるんだろう。

もし自分に自信が無くたって、そんな自分を他の誰かに否定されるいわれは無いって思ってる。
もしそれを自信と呼ぶなら、結局は自信があるってことなのかもしれないけれど。

そういう意味では、この数か月でヌードメヘンディに快く写真を提供してくれたモデルさんたちは、
ある意味でとても純粋な女性らしさをもって、私を刺激してくれた感じがした。

女の身体って、恥ずかしいものなの?
いや、勿論ありがたみがなくなるから日常で晒す必要はないけれど。

ていうか、恥ずかしいって、何?

…と思って「恥ずかしい」を調べてみたら、
「自分の欠点や過失などを自覚して体裁悪く感じるさま」と出てきました。

っていうか、

今、ただそこにある、私でしかない身体の、何が欠点なんだろう。
その自分でしかない身体の欠点に、価値がないと評価するのは誰なんだろう。


もちろん、そういう自己評価の問題以前に、
女の身体を含めたセクシャルな部分を「ふしだら」「淫ら」とする価値観もあるよね。

だけどさ、これって大体の場合、昔の男社会が植え付けた一方的な価値観だよね。
男なんて勝手だから、処女性や貞淑な妻を求める一方で、
女の魔性性とかエロとかを欲するわけでしょ。
まあ、そういうのもわかるっちゃわかるけど、そんなこと言ってたらさ、
誘惑したら「下品」って言われて、スッピンでいたら「色気ない」って言われて、
男もいちいち勝手だよなあと思うので、
結局、男がどう思うかなんてのは、気にしなくてもいいと思うのです。


って考えると、


結局、私にとって脱げるか脱げないかは、
自信の有る無しとも関係なく、
それによって男がどう思うかということとも全く関係がないことなのです。

誤解を恐れずいうならば、
ただ、恥ずかしくないからです。




































2015/09/13

検索トップ



手枷&首枷 by Bondage 208

「マエダさんはブログの感じと、実際お会いした時の印象が結構違いますよね!」

と、たまにお客様に言われたりするのですが、


・・・ああ、だって、あれでしょ・・・?


私のブログの感じって、SMとかヌードとか拘束具とかおっぱいとか、
そんなかんじですよね?
そりゃ違うに決まってるじゃないですか。
人間の本質がそれだというならともかく、
第一印象がSMとか拘束具とかおっぱいとかだったらちょっとやばいと思うんですよ・・・。
まあ、別にそれでもなんでもいいんですけど。

最近、ヌードメヘンディの写真を撮りためているのは、
208の新しいHPを作りたいがためでもありまして、
そのためではないですが、少し前、ネットで検索してみたんです。
「メヘンディ・おっぱい」という単語を。

その検索結果がなかなかにおもしろかったので、
思わず友人のメヘンディ描き、名古屋のスズケーさんに一報入れてしまいました。


「ていうかスズケーさん!『メヘンディ・おっぱい』で検索かけたら、スズケーさんのツイッターが一番に出てくるんですけど・・・・!」


っていうか、いいの・・・?!
日本におけるメヘンディの権威であるスズケーさんともあろうお方が、
「おっぱいメヘンディ」なんていうキュートかつ阿呆っぽい言葉で検索トップに引っかかってくるという事実・・・!


「・・・ていうか、トップだけじゃなくて2位まで私じゃないの・・・」

え・・・?
あれホントだ・・・笑

ていうか、この1位の検索結果の、「おっぱいをチラ見するゲーム」ってなによ・・・?
2位は成人式の花魁着付け女子に対するお気持ちを綴ったツイートでしたね。

大体、彼女はあの繊細で可憐なメヘンディを描くアーティスト業と、またあの理知的な文章を紡ぐコピーライターという職業の傍らで、いつも不用意にパイとかウンコとかオチッコとか、
小学生並みに低レベルな言葉をインターネット(主に個人アカウントのツイッター)という公共の場で呟きすぎなんですよ。

「・・・そういえば前に、お客さんに『スズケーさんってウンコ好きですよね』って言われた・・・。
・・・ナッツンなんて『メヘンディのキレイなおねーさん』って言われてたのに・・・。」

ま、まあ、スズケーさんの場合はそういう知的で可憐でメヘンディとかのお仕事の実力をきちっと確立してる上での阿呆っぽいツイートなわけなので、それがかえってギャップ萌えというか、そういう要素もあるわけなんですけどね。
実際、彼女のツイッターはとても面白いので、私はお金払っても読みたいくらいのファンなのです。

・・・ただ、ホントに、ウンコ表記は多いよね・・・。
スズケーさんのツイッター。

「『ウンコ・メヘンディ』で検索しても、スズケーさんのツイッター、絶対トップに出てくると思うよ。」

仕事の早い彼女は、早速検索した模様。



「・・・・・でた!!」



「でたよ!上位10件中6位が私関連だわ!
 しかも『マエダナツコにうんこのメヘンディ描いてもらった』っていうのが1位だったわ・・・!!!」




・・・・!!!




・・・え、

それってもしや・・・!!


いつだったか名古屋でメヘンディ描きの仲間たちと、シーシャをくゆらせながらお遊びで私がスズケーさんの足の内側に描いた、あの・・・!!


「『うんこ好きのスズケーさんの足にうんこのメヘンディ描いてあげる』ってナッツンが描いてくれたじゃん。」



・・・・



最悪です。


まさかそんな内輪で楽しんだくだらないお遊びのメヘンディがネット検索のトップに上がってくるなんて・・・!!


・・・だ、だって、メヘンディのペーストを扱ったことがある人なら誰しも一度は思いを馳せるとおもうんですよ!

ヘナペーストでカタツムリの殻みたいの描いたら、アレそっくりだろうな、って・・・!!





・・・しょうがないじゃないですか。
メヘンディ描きのサガみたいなもんですよ。
(ウソですスイマセン)




































2015/09/03

猥褻


「猥褻」という言葉をwikiってみたら、
「社会通念に照らして性的に逸脱した状態のことをさす。」と冒頭にあり笑ってしまいました。

なるほど、むやみに人を興奮させちゃうと社会的な秩序に支障をきたすからなのね。

強い快感も不快も結局はどちらも欲望を刺激されてるってことだから
人間が生きていくのに不可欠な要素であるわけだけど
過剰になると秩序が乱れるってことなんだよね。

秩序の規範となる理性は、結局は欲望には勝てないってことなのかしら。

***

先日、春画にまつわるあれこれをネット上の記事で読んでいたのだけど
「春画はもはや猥褻物ではなく日本が誇るアートだ!」
なんていう阿呆なコメントをみつけてしまった。

・・・そんなコメントをつける人間に春画の素晴らしさがわかるとは到底思えないんですけど・・・!

阿呆だコイツ。

正しくは「日本が誇る猥褻物であり、また芸術でもある春画」だと思うのです。

欲望を刺激しないものが美しいわけあるか!

綺麗なものが素晴らしくて、汚いものには価値がないなんて、
もしそんな世界があるとしたら
間違いなくそんな世界には人間もアートも存在できない。

中庸が、社会や秩序を形成する要素と成り得るなら
過度に刺激の強いものを敢えて日常に晒す必要はないけれど
だからこそ日常以外の場所で、そういう場所が必要になってくるわけでしょう。
たとえば創作とか妄想とか、アートとか。
人間が、人間そのままでいられる場所。

たしか今の日本での出版物の猥褻の定義って性器が写ってるかどうかってことだったと思うのですが、
私がこの世に誕生した時に通って来たあのぬめぬめとした産道の入り口が猥褻物と定義されてる不思議。

きっといつだって
ひとが畏れるものと崇拝するものは同じ。
キライなのは、実はそれに支配されていると気付いているから。
スキなのは、すでにその力に魂を委ねているから。

人が生きることの、根幹に関わるものほどタブーになる。

その本質を忘れて、「猥褻」や「アート」を語るのも不毛だと思うの。



2015/08/30

双頭


前から、蛇のモチーフって描いてみたかったんで
「蛇描いてもいいですか!?」
って今回のヌードメヘンディのモデルを引き受けてくれた敦子さんに訊いてみたら

「蛇もいいけど、コブラはどうかな!?」

・・・って提案仕返されてちょっとビビりました。

・・・コブラって、キングコブラでしょ・・・?

それってどうなの?

・・・アリなの・・・!?

って思いながら結局、いくつか下絵を描いてみたんですが
イマイチ私的にコブラはしっくりこなかったんで
本日、この敦子さんの身体に巻き付くことになったのは双頭の蛇となりました。

蛇っておもしろいよね。

ある国では神様として崇められて
時に邪悪なものの化身と言われて
男性器の象徴やセックスのシンボルとも言われるよね。
聖書でイブを誘惑したのも蛇。

脚が二本の人間に対して、
脚が多いものと逆に少ないものは人間には嫌われるという説があるけれど
そんな理由で恐れられたり崇められたりしてたんだろうね。

数日前、敦子さんからのメール。


「ねえねえ、ヌードメヘンディの時さ!アフロヘアーでもいいかな!?」


・・・!!!


・・・アフロ・・・!?


・・・なんなの、この人はいつも私の想定の斜め上を・・・!!


い、いや、

別にいいんですけど・・・!


・・・・あ


「・・・敦子さんがいいと思うならなんでもいいです・・・!!」


・・・というわけでこんな感じになりました。

ちなみにこの日描いた蛇は、
双頭とはいっても別に胴体がひとつなわけではなく、
かといって二匹の蛇が絡みついてるわけでもなく
一体、頭がどこに設置されているかも不明です。

まったくツジツマも顛末もありません。

・・・いやなんか、そういうことにこだわってる余裕とかなかったもんで。

パッと見た時に見栄えがよければいいかなあと。
ツジツマとかストーリー性とかって息苦しいからあんまりスキじゃないんだ。


『ツジツマを合わせようとしてはいけない。
 ツジツマを合わせようとするから、人は悩んで苦しむのだから。』

(by とある心療内科医)


いや、別にあとになって思い出したんですけどね。

なんか含蓄ありそうでしょ。笑




2015/08/14

ヘナと女体

photo : maeda natsuko
なんで、女の人のヌードにメヘンディ描こうって思ったんですか?」

と、先日のモデルさんに話の合間で訊かれたんですけど

とりあえずヘナやってようが版画やってようが油絵描いてようが
結局は行き着くとこは女体って感じがするんですよね。
・・・って言う人って結構多いと思うんですよね。

みんながスキな女体は私も大好きってことなのです。


***


私は、塗り重ねていく塗料よりも
支持体に食い込み浸透していく染料が好き。

鉱物よりもやわらかく人に近い、植物由来のものが好き。

支持体は木や紙も心地いいけど、
それよりも気持ちがいいのは人の生肌。

男よりも女がいい。
だって自分が女だから。

私がヘナで女体に描くのが楽しいのは
女同士で分かち合える気がするから。

ちゃんと知ってるのに、たまに見失いそうになること。

自分の身体がただ美しく、誇らしいってことを。



2015/07/15

魅惑

photo:maeda natsuko

☝☝☝女性です。

素敵過ぎて胸がギュンとしてしまいました。

たまらん。
なんてセクシー!

「最近、なーんもしてないからさ!
 ダルンダルンで全然お役立ちボディじゃないんだけど、いいのかしら!?」

・・・とかなんとか打ち合わせ段階ではのたまっておいででしたが、
さすが身体使ってるお仕事なだけあってお見事でした。

できたらなにか、写真撮影に使えそうなアクセサリーや衣装等をご持参いただければ、
と伝えたら、帽子やジーンズを持って来てくれるあたり
センスいいなあ。

こんなカッコいい彼女は特にトランスジェンダーとかそういうのではないですが
外見的にしっかりした骨格や筋肉質な身体が醸し出す男性的なかっこよさと
それとは裏腹に鈴を転がすような美しい涼やかな声がなんとも魅惑的な彼女。



私はとにかくセクシーなものが大好きなのですが、
セクシーとはいっても別に女っぽいとか男っぽいとか
そういうものが好きなわけではなくて

むしろそんな女性性や男性性が混在しているさまに、
もしくはそういう二元的なものを超える存在であるかのように
なにかがそこに存在しているさまに、
胸の内側を掻きむしられるような恍惚を感じるのです。

だから精神的にも肉体的にも
そういう二元的な要素がひとつの器にキッチリ統合されてる様を垣間みるのは、
たまらなく快感。

「男でも女でもないもの」ではなくて、
「男でも女でもあるもの」。

なんかそれって世界の完成形。

まるで神様みたいじゃない。













2015/07/07

羽根

photo: maeda natsuko

裸は恥ずかしい、とか
女性の身体が猥褻だとか

ヌードメヘンディの撮影に協力してくれているモデルさんたちの
美しいまでに潔い脱ぎっぷりを見ていると、
一体、そんなことどこで誰が決めたんだろうと思う。

きっと大多数の女の人たちは皆、
自分の女としての肉体に誇りを持っているし
それを賛美されたいと思っているし
その身体を讃えられるために産まれてきている。

と、私は産まれた時からそう当然のように思い込んでいる。

私が女の身体が好きな理由も、
結局は自分が女だからで、
自分の身体を愛しているから、という
きっと単なるナルシズムに過ぎないんだろうな。

***

今回のヌードメヘンディのモデルさんは
パワー系のヨガをやっている方だったので、
身体のラインが樹の幹のように強く美しかった。

エレガントとか可愛らしさとかいうよりも
少し、動物のような有機的な要素を入れたかったので
羽根のモチーフとかを入れてみたのだけれど
ああ、牛の角とかそういう強い形も入れれば良かった・・・
と、ちょっと後悔。

ヌードメヘンディの時は予めモデルさんのイメージに合わせて
下絵を描いておくのだけれど
実際撮影まで終わってみた後で、
・・・ああ、もっとあそこのデザインああすれば良かった!
と悔やむことも多いのよね・・。

だけど、そんな後悔も含めて、
描いて撮って数時間で完成して終わる作品ッていうのは
それはそれでやはりおもしろいものです。

















2015/06/17

リアリズム

photo : 高田一樹
今年に入って二度、写真家の高田一樹さんにメヘンディの撮影をして頂いた。

あたりまえのことだけど、同じメヘンディを描いても写真を撮る人が変わると作品のイメージが全く変わる。

高田さんとの御縁は知人の紹介という最初はお互いの作品も知らないままの全くの偶然であったけども、
私としては本当に自分の感覚にしっくりくる写真を撮って頂いて、とても嬉しかった。


photo : 高田一樹
高田さんは、自身の妄想や予め持っているイメージに被写体を落とし込むという感じでは無く、
最大限、被写体であるその時の私たちの実在を大事にしてくれているような感じがした。
写真に対してなのか、被写体に対してなのかわからないけど
押しつけがましくない謙虚さのようなものも感じた。

これが適当な言い方かどうかはわからないけれど、
その感覚が、とても私にはしっくりきたし嬉しかった。

実在する私たちは誰かの妄想するストーリーの中に生きているわけでは決して無いし、
向かい合う一瞬一瞬がいつだって不確定で、貴方次第で私次第。

貴方の頭の中に描いている今日の物語があったとしても
それは私のちいさな一言でぶち壊れるかもしれないし
一瞬先の私も貴方も、それはいつでも不確定。
人がふたり向き合ったら、それは本当に普通のこと。

「私は貴方の頭の中にいるんじゃくて、貴方の眼の前にいるの。」

そんなことを、そういえばSMとかをやってた時に思っていたな、とふと思い出した。

私には実在する肉体があるから
私の思考と意志で動いているから
一瞬先に私が何を言うかは、貴方にはわからない。

貴方の描くストーリーも想定する私の像も
そんなのは現実の私とは無関係なの。

本当は貴方は私のことなんてなにも解らない。
私があなたを解らないのと同じように。

一瞬一瞬の私を、
ちゃんとその肉眼で見ていてくれないと、
私が次に、どちらの足を踏み出すかすら、貴方にはわからない。

わからないことの、その一瞬の積み重ねが、
私にとっての現実感。
私がとても、好きなもの。



photo : 高田一樹


いまここに、こうやって私は生きているのに、
ほかにあなたはわたしのなにを見たいというの?
































2015/06/10

幹と軸

photo : maeda natsuko
 「強くなりたい」と友人のヨーコちゃんは言う。

「よく多くの女の人たちが憧れるような母性とかの女性性の強さ、じゃなくて、私は男性的な強さが欲しい。身体的にも、精神的にも。」

ヨーコちゃんはいわゆる戸籍・身体的にはフツーに女性であるのだが、
先天的にか後天的にか定かではないけれど、
自分の中には「男の自分」と「女の自分」がいるという。
その両極端な自意識が、日によって、あるいは場合によって、自分の中で変わるそうだ。

「朝起きて化粧をしてると、なぜかすごく女としての化粧している自分に違和感を感じることがある。かと思えば、男に恋し愛されている時には非力な女として肉体的にも精神的にも男に頼ることに酔う快感も感じることもある。小学生の頃は肉体的に「強くなりたい」から剣道を始めたし、高校生になっても剣道部で馬鹿みたいに身体を鍛えて筋肉がついていくことに快感を感じていた。私はずっと、男の身体の強さに憧れているし、それに加えて父性的なものまで手に入れたい。かと思えば、私は女としての自分の身体で、男を誘惑する快感も知っている。私の中ではいつも、自分は男の性と女の性の間を振り子みたいに行ったり来たり。自分で自分の性別のあり方も解らないのに、単に私の女の外見だけで私を女だと決めつけられるのも気に食わない。男とか女とか、そんな言葉で人間を、括らないで欲しい。」

男と女の自意識の間を振れ続けるヨーコちゃんは、
私には少し不安定に見える。

っていうか私のメヘンディのために躊躇無くがっつり脱いでくれる彼女の、
どこが不安定で強く無いのだと思わなくもないけれど
自分の中の性別が変わることで求めるものが日々変わるという心もとなさと、
周囲と自分の意識の落としどころを探している不確定さが、
なんとなく私にはそう感じるのかもしれない。

とはいっても、正直私にはよくわからない。

なぜなら私は自分のセクシャリティにもジェンダーにも
悩んだことが無い生粋の女だからね。

身体で解り合えることは多い。
女同士の考えることがなんとなく解ってしまうように、
男が普通にやる行動を理解できずに腹立つこともある。

だけど、解らないことや想像しにくいこともあるけれど、
だけど私はヨーコちゃんの求める「強さ」がなんとなくだけど
解るような気もするんだよね。

解る気もするんだけど説明しようとするとなぜだか気持ちが白けるので
とりあえずは純粋に「私が、強く美しいと感じるヨーコちゃん」をイメージして
メヘンディを描いて写真を撮ってみた。

ヨーコちゃんは男前に躊躇無く服を脱ぎ、潔く私に身体を預けヘナで絵を描かせてくれる。
そして女体の美しい曲線を活かし、いかにも女、なテイでカメラの前で身体をたわめる。

不思議なんだが、その時のいかにもセクシーなヨーコちゃんの振る舞いは、
女というよりも、たとえばニューハーフの方々がシナを作る時のような、
一種、異様な独特の綺麗さがある。
綺麗なんだが、どこか過剰でわざとらしい。
「ほーら、わたし、おんなよ。」って、身体全体で主張しているみたいに。

そんなヨーコちゃんに私が思う「強い」メヘンディを描いてみた。

どんな「強さ」が欲しいかは、人によって色々あると思うのだけど
私が「強さ」と聞いてまず思い浮かぶのは身体の「正中線」。

整体で言う、身体の背骨のラインのことね。
ていうか、背骨だけじゃなくて、頭のてっぺんから踵まで
地面から垂直にまっすぐ伸びる線のことね。

正中線がキッチリ立ってる人は堂々として美しく見える。

女でも男でも美しく見える。

正中線の、お臍の下あたりに力を込めれば肉体ががっちりと座り、立つ。
正中線の、胸のあたりに意識を込めれば気持ちが、精神が決まる。

女がシナを作って身体をたわめても、
たわめた線が美しいのはそこに、重力に逆らい大地に根を張る
まっすぐな線が見えるから。

曲線が綺麗に見えるのッて、人がその裏っ側に
まっすぐな重力の線を見ているからだと思うんですよ。
植物の蔓や樹の枝が甘美な線を描いて伸びて行くのと同じように。

やはり、人の美しさッていうのも、
まずはここだと思うんです。

photo : maeda natsuko