2016/12/26

幸福



もう十年以上前に別れた男の、消息を知る機会があった。

 当時は独身だったその男も結婚して、子供も生まれて、いわゆる世間一般でいう幸せな家庭を築いているようで、私はそれを聞いたとき、なんというか心の底から一点の曇りもなく、「よかった」と思って嬉しくなった。


 余計なお世話かもしれないが、彼も、その奥さんも、今もこれからも幸せでいてほしいと思った。
 本当に余計なお世話かもしれないが、女に依存的に執着するあの男の浮気性が影を潜めているか、もしくは奥さんがそれを許容してくれていることを切に願った。
ていうかどちらにしても穏やかに不幸がなく暮らしてくれてるなら嬉しかった。


そんな風に、昔の男の幸せを喜んだ瞬間、当時死ぬほど好きだったその男に対する興味が、一切、自分の中から消えていることに気がついた。


 心の底から男の幸せを喜びながら、心の全部で「どーでもいい」と思っていた。



・・・そうか。
 私が好きな男の幸せを願えるのは、その男に興味がなくなった時なんだな。
と、なんだか漠然と思ってしまった。



*****

たまに、何人もM女を抱えるSMのS男や婚外恋愛を推奨する男がよく使う言葉に、「相手の幸せを喜ぶ」というようなものがある。
どちらも複数の女性と関係することを良しとする立場の男性が、自分と関係する女性が他の男と付き合いだしたり結婚したりした時に、反対したり嫉妬したりせずにその女性の門出を祝福してあげる、というようなニュアンスでそのような言葉を使う。
 

正直、私はその言葉の意味が、実感としてはさっぱりわからない。
 

実感としてはわからないが、もちろん男という生物の生理ということで考えれば、理解はできる。
複数の女性と関係することをオスの基本だとする男にしてみれば、いちいち関係した全ての女を独占したところで面倒なだけだし、その男たちが築こうとするある意味での秩序が成り立たなくなるし、関係するすべての女達の希望に応えられるわけではないから、そういう意味では女たちの幸せも奪いかねない。
だから、その「相手の幸せを喜ぶ」というスタンスは、そういう男たちの女と関わる上での策というか美徳のようなものではないかと想像する。


ていうか、実際私がこの言葉を聞いたのは主に男性からだけだったのだが、女性でも同じようなスタンスで男と関わる人っているんだろうか?
まあ勿論、世の中にはそんなお人もいるんだろうが、そんな女性がいるとしたら、私と彼女はもう同じ女とはいえ身体の組成からして違うような気がしてしまう。

それくらい、その言葉は私にとって意味を成さないもんなんだ。


勿論、私だって人の幸せは願う。
 

大事な友達や家族は近くにいてもいなくても、健やかに笑っていて欲しいと切に思う。
 周りが幸せでいてくれないと自分が幸せでいられないことは身に染みてわかっているので、できることなら自分に関わる全ての人に不幸が無いよう願っているし、特に二年前に生まれた甥っ子とその家族に関しては、自分を含め他の誰が不幸になってもいいからその子だけは絶対に幸せに生きてほしいとその2歳児の笑顔を見るたびにエゴイスティックに願ってしまう。



だけど、好きな男は別なんだよね。

私は、好きで好きで仕方がないくらい好きな男の幸せを願ったことは、
ただの一度も無い。


ちょっと好きな男や、仲のいい男友達の幸せならいくらでも願える。
 彼らがもし求めてくれるなら、私にできることならしてあげたいと思う。まあ、とは言っても大体いつもお世話になるのは私の方で、私が彼らにしてあげられることなんて多くはないのだけれど、なんというか、そんな風に建設的に幸せというものを考えられる。



だけど、本当に好きな男に関しては、無理なんだよな。

私は、恋愛感情というものは独占欲と同義だと思っている。
 独占欲に、性欲が絡んだものが恋愛だと思っている。

もしかしたら、そうではないもっと高尚な恋愛というものが世の中にはあるのかもしれないが、私には経験が無いのでわからない。
 

自分が、暫定的にであれ他のどの男よりかっこいいと思った男が、同じように女である自分を選んでくれたなら、それほどの快感なんて他のどこを探しても無いわけで、そんな「あなたが一番、だから私も一番にして」という自己肯定欲求と所有欲が性欲と合わさったらもうなんつーか、セックスが楽しくて仕方ないわけである。

「一番」てゆーか、「一番であり、唯一」かな。
おそらく私は、そんな独占欲でもってセックスを楽しんでいる。
その感覚がないと、セックスはつまらない。
まあ、無くてもできるんだけどなんとなく物足りない。
もしかしたらそこらへんの感覚は男女や個人で差があるのかもしれないけどね。


だけど、当たり前のことだけど、現実に人生を生きていると、お互いだけで必要な人間関係の全ては賄えない。

男はたまには他の女を欲しがるし、
 家族愛と性的な欲望は両立しないし、
 愛している男の世界は、私を含めた私以外のあらゆるもので成り立っている。
 私に与えられないものは、他の人間に求めるしかないこともある。
それは私も同じことで、「この人だけ」ですべて賄えることはあり得ない。


だから、生きているかぎりは、私の独占欲は永遠に満たされることはない。

 満たされたような錯覚を得るために、例えばセックスしたり結婚したりするのかもしれないが、結局人がひとりで生きていけないのと同じように、二人きりでだって生きてはいけない。

 独占欲が極まると、早く相手が死ねばいいのにと思ってしまう。
 

今もこれからも自分以外の人間と幸せでいるという想像に耐えられない。
不倫関係のモツレで女が相手の男や家族を殺してしまう事件や、殺してしまった後に男の局部を切り取って持ち歩く女の物語があったりするけれど、私にはその女たちの気持ちがよくわかる。

女である私は自分の身体を切り売りできない。
たまにあちこちから男の身体を頂くことはあるかもしれないが、自分の身体を与える先はひとつである。
たったひとつの与え先である男に対する執着が、どれほどのもんかと思うのである。


もちろん私も良識のある大人なので、今まで男を独占するために殺したり大きなトラブルを起こしたことはないし、私が本当に好きになる男は大抵、完全なる平和主義者で父性的な一面で私の退廃的な欲求を受け止めつつも律してくれるので、「死ねばいいのに」という欲求は今のところ幸いにも現実になったことはない。
まあ、そういうのを律してくれる男を好きになるあたりが、基本的には私もバランスの取れた平和主義者なんだと思っている。



だけど、
好きでいるかぎり、いつも相手の人生が、自分と一緒にいるうちに終わって欲しいと思ってしまう。
本当に相手を独占できるときがあるとしたら、それは相手が私以外の世界と切り離されるときなのだと想像する。
それは、まぎれもなく彼にとっての不幸なのだと知ってはいても。



「相手の幸せ」


そんなこと、貴方が死んだあとにいくらでも願ってあげよう、と私は思う。

幸せを願えないセックスは楽しい。
この退廃的な独占欲が、女に生まれてきた醍醐味のような気さえする。
私にとっての男に対する愛っていうのは、呪いのようなものなのかもしれないな、と思ったりもするけれど。



 独占したいと思える男に出会えることがわたしにとっての幸運で、
 独占しあうためのセックスは快感。
そんな男と互いに独占していると錯覚しあえることが私の幸福。


相手の幸せを願えずに
私は結局なにも手に入れられないまま死ぬのかもしれないが、


それは到底 不幸と呼ぶには値しないと、私は体の全てで納得している。








2016/12/19

粘膜





若干の今さら感はあるのだが、

上野メンズクリニックの、あのタートルネックから男性が顔を出している広告写真の発想が素晴らしいと友人K子さんがわざわざメールしてきた。

小学生男子がそのまま可憐な女性になったかのような、なんともK子さんらしい話題でのメールである。

だけどさ、あの広告ってもう二十年くらい前からあるし、広告の内容的にあまり美しい想像が膨らまないので私的にはまあ軽くスルーしてもよい話題だったのだけれど、こういうほっとけば消えて行ってしまう無駄話を私は結構愛してるので、折角なので備忘録的に記録しておこう。



「イスラム教徒はさ、みんな子供の時に包茎手術するんだよ。」

パキスタン人の旦那さんを持つK子さんならではのおもしろい話題が出てきてしまった。

「でね、終わったらお祝いするの。」

「ああ、割礼みたいなやつだよね?あれって衛生上の理由で始まった風習だよね、たぶん。暑い国に多いもんね。」

「そうそう、日本にいるイスラムの子供は病院で包茎手術を頼むんだって。私としてはこの広告センスが素晴らしい上野クリニックをお勧めしたいもんだけどな。」

「そうか。笑…そういえば、どこの国か忘れたけど、女の子でもあるよね、子供の時に女の子のクリトリスを石とかで削り取って使えなくしちゃうの。」

「ああ、切るのもあるけど、縫い閉じちゃう場合もあるよ。それもイスラム教だよ。解釈によって、女も割礼すべきと考える指導者がいるエリアだと、そうだったような。」

「ああ、割礼自体は宗教問わずけっこうあるよね。クリスチャンでも割礼って聞くし。てゆーかそれよりさ、男は剥けば使えるようになるけど、女は切ったり縫ったりしたら使えなくなるじゃん? なんかひどくない?ソレ。まあ、そういう文化圏特有の因果なり理由なりがあってのことなんだろうけどさ。」

「セックスは子孫を作るためのものだから、気持ちよくなる部分は不要ということらしいよ。縫うのは、小陰唇、かな?股間の真っぷたつに割れてるとこをそのまま縫う、みたいな感じだったと思う。結婚まで処女を守るためだそうだよ。」

「ああ、すっげー嫌だけど、そういう風習があるのは納得できるわ。聞いてるだけで痛くて叫びたくなるけどな。大体は、クリトリスとか小陰唇とか性器の一部を切除するみたいね。縫い閉じるのは、どちらかと言えば割合的には少数みたいね。」

「で、まあ、小さい子供のころにやるから縫ったとこもくっついちゃうじゃん?でも結婚したら使わないといけないから無理矢理縫い目を開くわけで、それがスゲー痛いらしい。」

「・・・・・!!!!」

「ちなみに男性割礼も痛いらしい。みんな痛かったと言っていた。」

「…今、wikiで女性割礼の項目みてみたんだけど、結婚初夜に夫が縫い閉じられた花嫁の陰部を切り開く部族がいるらしく、自力で花嫁の陰部を開いて性交を果たせなければ面目を失う、って書いてあるけど…面目なんか知るかよ。こっちは激痛だよ。」

「あ、ここのサイトに女性割礼の手術方法の種類とか出てる。色々あるんだな。なっつん読んでみなよ。ホラ。」



・・・・・・



「・・・・ごめん、怖くて最後まで読めない。」
「・・・痛いし怖いしでね・・・。」


「なんかさ、勝手な想像なんだけど、女性割礼って、女性を強くしないための風習って感じがしなくもないよね。もともと結婚前の女性は他の共同体への貢ぎ物っていうか、家畜と同じような役割があったわけだから、男が求める意味での処女性が重要視されるってのもわからなくはないんだけど、だけど結局は、こういう割礼って、女がセックスの快感に目覚めるのを、男が恐れたからじゃないかって気もしなくはないんだよね。女性割礼の理由に「性交の快感を抑制する」ってあるけどさ、当たり前の話なんだけど、大体の場合、思春期にセックスの快感を知った健康的な女の子はとりあえず貪欲にヤリまくるし、それは生物の行動としてはとても合理的で、しかも快感を知るってのは欲望の所在であるところの肉体の確認と、獲得欲からくる希望みたいなものを手にするってことなわけだから、あたりまえだけど、強くなるんだよ。そういう健康的で純粋な強い女に浮気されたり遊ばれたりして傷ついて女性不信になった男も何人か知ってるけど、そういう男を見てるとさ、男ってホントに繊細で傷つきやすいんだな、って思うよ。男も女もどちらも純粋だけどね、女はその純粋さの基盤が生理的な強さでできているけど、男の純粋さっていうのは雪の結晶みたいな脆さで構築されてる感じもするわけよ。そんなナイーブな男たちが欲望のままに強く生きる女たちを恐れて、こういう女性割礼みたいな文化を築いたんじゃないかって想像するとさ、なんかちょっと愛おしくならない?っていうか、そこまで言っちゃうともう想像ってゆーか、私の妄想ではあるんだけどさ。」


なんつーか、こういう割礼みたいな文化と無縁で育ってきた私からすると、大人になってから自分の好きずきで肉体改造するならまだしも、半ば義務的な子供に対するこんな痛い文化とか風習なんか、もうやめればいいのに・・・・!!って思うんだけど、まあそれも単なる「人権(西洋文明)」と「伝統習慣」における文明の衝突、または「自分の物質的な力に浮かれ最早自分の精力の十分な捌け口が自身の中に無いと感じ、どこかで服従の身にあるものを助けたいと思い支配欲を潜ませた干渉趣味」と、とあるサイトでは一蹴されておりました。そんなもんですかね。まあ、もともと選択肢が思いつかなければ選べないからね、風習ってそういうもんだしね。


ここまで話して別の話も思い出した。


「日本の地域的な昔の風習でさ、その地域の長が、結婚前の処女の破瓜をするっていうのあるよね。夫より先にやっちゃうやつ。」

「ああ、処女権だよね。処女権は、ヨーロッパにもあるよ。結婚前に領主が頂くやつ。…あ、違った。処女権じゃなくて、初夜権だ。内容は同じだけど。」

「そうなんだ。その風習だけどさ、古代の神事が起源になってるとか、処女の血が忌み嫌われてたからだとか、処女膜の確認とか理由は色々あるみたいだけど、とりあえず、処女性が重要視されていたとしても、先に領主にヤラれちゃうわけだからさ、実際その娘が処女だったかどうかなんて夫にはわからないわけじゃん?だから、例えば結婚前に不貞してたりとか、やむをえない事情で結婚前に処女膜を喪失してる女の子とかにとっては、ありがたい風習だったと思うのよね。真実は領主の胸の中だけにあるってことでね。なんか風習って、そういう実利的な一面って必ずあったりするわけじゃん?」


「ああ。なんかさ、…さっきの女性割礼のサイト見てたらさ、割礼の一種で、膣を切開して大きくするとかもあるらしい。子供産むときのためって。事前会陰切開的な…?」


「…え!!なんで!!なんでそんな余計な事すんの…!!頼むからもう切ったり縫ったりしないでよ…!」


「出産時の負担を軽減するためらしいが、実は余計痛いらしいと書いてあった。」



まじかよ。



……ていうか、なんでこういう粘膜系の話って、想像するだけでこうも痛いんでしょうね。









2016/12/12

愛の説明

photo by maeda natsuko

私は、自分が産まれてくる前の気持ちを少しだけ覚えている。

肉体を持ち産まれてくることを、
肉体を持つことで味わえる様々な感覚や感情を経験することを、
私は産まれて来る前から、多分母の身体に宿る前から、
心から楽しみにして、わくわくしていた。

早く産まれてきたかった。
肉体という重さを味わうことが、楽しみでしかたなかった。

私はその感覚を、今でもたまに思い出す。

肉体を持つことに対する、憧れの感覚。


*****

先日の、二度目の大阪でのヌードメヘンディの撮影で、
ふいにまたそんな感情を思い出した。

この撮影は私と友人のメヘンディ描きのTARAちゃん、
そして写真家の高田一樹さんの三人で行われたので、
きっとそれぞれに三様の思うところがあったと思うが、
私はまあ、そんなことを考えていた。

肉体という「重さ」に対する愛おしさ。

重さのある世界に生きることの幸福。

肉体は重くて、立ち上がるのにすら重力に逆らうだけの筋力がいる。
肉体は、損なえば痛く苦しい。
食べなければ保ち続けることもできないし
死ねば醜く腐るし臭いし汚い。

肉体があるからどんなに焦がれても他人とはひとつにはなれないし
だけど肉体がなかったら初めから境界線もなかったわけだから
出会うこともヤルことも別れることもなかったわけだ。
境界と摩擦の熱を楽しめる幸福。

舌があるから隣で寝てる男の汗の味もわかる。
眼があるから光の色も見える。

皮膚があるから抱きあうと気持ちがよくて
たまに破けば血が流れる。
生暖かいのは血ではなく自分の身体そのものだと気付く。
痛いのは自分の身体が生きているからだと。

さすがに覚えてはいないが、最初にこどもが母の子宮から出てきて
初めての呼吸をする時って、肺や気道が刺すように痛いのではないかと想像する。
初めての、空気の刺激なわけだから。
私はきっとそんな痛みにすら憧れていたのではないか、と。

身体に絵を描いたり描かれたりするのが好きなのは、
自分の身体の輪郭を確認したいから。
肉体の輪郭は、そのままその人の命の輪郭になる。
肉体に命が宿るわけではなく、肉体そのものが命なのだと思う。

私が人の身体に描くのが好きなのは、
別にそれを通して何か表現したいことがあるわけではなく、
単に肉体を、命の艶を愛でるその作業を楽しんでいるだけのことなのだと思った。
大好きな白御飯を昨日も食べたが、それは美味しいから食べたくて食べただけのこと。
私にとってはメヘンディも、ただそれだけのこと。

SでもMでもないのに鞭で打たれるのが好きなのは、
肉体の痛みが、精神を支配するということを感じられるから。
精神は、決して肉体には勝てない。
肉体の痛みの前では、精神の尊厳なんか意味をなさない。
生きていることのほとんど全ては肉体に支配されているということを、
感じるだけの時間。

私は肉体が持つ感情という波に振り回されることを楽しむために、恋をする。
人を憎んだり、求めたり、他者とは決してひとつにはなれないと、
悲しむことを楽しむために、人を愛する。

自分の肉体をたしかめ、愛おしむためにたまに病気になり、
ほかの生き物たちの生命力を自分の肉体の糧にするために、今日も私は食べる。
食べたものでしか、自分の肉体は作られていないことに気付く。
生き物を殺すことでさらに生きる、自分の身体の強さと尊さを知る。

肉体と戯れているようで、実は肉体を忘れるためにセックスをする。
同化する錯覚を味わうために。
快感が増すほどに死にたくなるのは産まれてくる前の世界に戻りたいから。
自分の存在なんかどうでもよくなるくらいの同化願望。
同化するためではなく、同化を渇望するための、肉体の欲求。

私は肉体を持ちながら、重さのない産まれてくる前の世界に焦がれることを、楽しむ。
私が産まれて来る前に、この肉体に焦がれたように。

いまここに無いものに焦がれる。
自分ではないもの全てを手に入れたいと求める。
有ることが幸福なのではなく、求めることが幸福なのだと、
未だ解りきれない私はいつも、すこし辛くて不安で悲しい。




2016/12/05




他人のセックスをナマで鑑賞していると、感慨深いものがある。


男友達の樹さんが、自分と彼女とのセックスをビデオで撮影してほしいと、
私に声をかけてきた。

「撮影だけでいいんだよね?」

「うん、もちろん。とてもじゃないけど、三人で仲良く3pとかは彼女が無理だから。
彼女はセックスレスのご主人と二人の子供を持つ主婦歴15年の40歳で、
2年前に僕と付き合いだす前までは子づくり以外のセックスをほとんどしてこなかったような保守的な女性でね、なんていうかうまく波長と身体が合って、この二年間は二人でできる範囲で、いろいろ楽しんだんだ。
で、今回、初めて、第三者をいれて楽しんでみようかな、と、僕が勝手に計画を立ててみたんだけどね。」

「勝手に、って言っても、事前にちゃんと彼女には話すんだよね?
 今日は僕たちのセックスを第三者が撮影します、って。」

もちろん、だけど当日の、ホテルに入る直前にね。
と樹さんが楽しそうに言ったので、私もなんだか楽しくなって引き受けることにした。


自分の恋人や配偶者とのセックスに第三者を介入させて楽しむ人たちは、意外と多い。
カップル同士で相手を入れ替えてセックスを楽しむ人もいれば、今回のように自分たちのカップルに男か女を一人、加えて楽しむ人もいる。
どちらにしても大概の場合、馴れ合って今ではもう親密すぎるパートナーとの関係性に、第三者という刺激を加えて楽しむことが目的だ。

結局セックスは、『他人』とではないとできないってことなんだろうな。


*****


ホテルのロビーでまず樹さんと彼女と顔をあわせ、
部屋に招かれビデオカメラを渡された。

部屋に入っても、緊張が極まった彼女はなかなか私と眼を合わせてくれなかった。

だけど、私による撮影を了解はしてくれた。

「彼のことを信じているから」と、彼女が言ったので、彼の旺盛で複雑すぎる女関係を知っていた私は内心、大丈夫かこの人は、と心配になったがそれは私の知るところではないと思いなおした。

「この撮った映像は、誰が見るの。樹さんだけ?それとも二人でみるの?」

「僕だけ。彼女は恥ずかしがって絶対に、見ない。」

そうかじゃあ、樹さんじゃなくて彼女の表情とかをメインに撮ればいいんだなと了解して、
カメラの録画ボタンを押した。


彼女の喘ぎ声がかなり大きく絶対廊下にまで響いてるに違いないこと以外は、セックス自体は至って普通だったので、というか型で押したようにスタンダードだったので特に見ていて新鮮なことはなかったけども、私はそれより樹さんの思惑が気になった。

私はその時より以前に、樹さんと数回ヤッたことがあった。

いまここで彼の下に敷かれあんあん喘いでいる彼女は、
果たしてそれを知っているのだろうか?

もし聞かされて知っているのであれば、今 彼女は彼に対する屈辱感と私への嫉妬心を肥やしに興奮しているのかもしれない。
もし知らなければ、単純に、本来は秘め事であるはずのセックスを他人に眺められているという非日常感と背徳心に酔っているのだろう。

本来、自分と相手すらいれば事足りるセックスに他人を加える理由なんて、
結局はそのどちらかだ。

ただどちらにしても、彼女が、というよりは彼女をそうさせたい樹さんのシナリオでしかないわけだけど。


人間っていうのは、なんて面倒なセックスをするのかと思う。


屈辱感や嫉妬心で自己愛を燃やして、
背徳感で社会性や人間性から一時だけ自由になって、
そんな刺激をもセックスの材料にして興奮している。


身体が本来備えてる性欲の量だけではもの足らず、
頭のどっかを刺激して興奮して、本来の肉体以上の量の欲を生み出す。

欲を満たすために、欲を生み出す。
いったい人間っていうのは、どこまでたくましく傲慢なんだろう。

屈辱感も嫉妬心も背徳感も、羞恥心ですらも、本当は自分自身が作り出したものでしかないはずなのに、
それをあえてハードルや埒(らち)に見立てて、飛び越えたり眺めたり、
時にはあえて飛び越えなかったりして楽しんでいる。


倫理や道徳に背くわたし。

ないがしろにされる、
こんなにも愛しいわたし。


本当はこんなに自由なわたし。

羞恥心に耐えられるのは、
それだけ彼を愛しているから。


こんなにも屈辱を感じるのは、
それだけ私が、私自身を愛しているから。




ねえ、

その女とわたしとどっちが綺麗なの。

ねえお願い、もっとわたしをみて。


わたしを。



あえて埒(らち)に捕らわれることで、埒を飛び越える快感を知る。

あえて埒を越えず眺めることで、自分の無力さといとおしさを噛みしめる。

埒という自分で作った限界が、欲を生み、私自身を欲情させる。



「・・・ホント、人間のセックスってめんどくせえな。」


と、この翌日、友人のひとりにぼやいたら、

「あ~、わかるわかる!だからわたしさ、動物の交尾とか見るの大好きだもん!
 見てると安心するんだよね~。」

と返ってきた。

「え!うそ私もなんだけど!私も動物の交尾ってすき。
清々しくていいよね、単純明快で。
なんかさ、人間同士のセックスみてると、複雑すぎてめんどくさくなってくるんだよ。
相手を支配しているだとか、辱めているだとか、道徳的であるだとか、ないだとか、ある人々にとってはそんなものがセックスの興奮材料になったりする。

なんでセックスにそんな理由やストーリーが必要なんだろう?

なんで人間は、動物みたいにただあっけらかんとセックスできないんだろうね?」

人間はいつも、自分たちが作り出してきたもので、自分たちを苦しめる。
愛や、宗教や社会性や道徳や、ヒューマニズムで自分たちを縛りつける。

縛りつけられながら、苦しみながらそれと戯れる。
まるで 縛り付けられているからこそ、生を謳歌できると言わんばかりに。



「そうそう、だから動物の交尾っていうのはさ、
それ以上でもそれ以下でもないって感じが、いいんだよね。」

それ以上でもそれ以下でもない動物の交尾を羨ましいと思うのは、
きっと複雑すぎる人間の交尾に私自身がついていけてないってことなんだろな。
羞恥心も倫理観もどこかで大部分捨ててきてしまった私には、
きっとそんな高尚なセックスなんてする資格はないんだろう。


樹さんと彼女のセックスもあらかた終わって、ほんの二時間足らずの間で齢55にして二回もイッたこの男はホントにすげえな、と感心しつつカメラの電源を切った。

「せっかくの他人撮影の動画だから、二人きりじゃ絶対撮れないようなアングルを多用しておいたから、なかなかによい映像になってると思うよ。」

と言って樹さんにカメラを返したら、樹さんはありがとうございました、と
礼儀正しく言って、カメラを置いてそのままバスルームに消えた。


よく、OKしましたね。」

と、その日はじめて二人きりになった彼女に声をかけたら、
さんざん見ず知らずの女の前で喘いだあとでのふっきりなのか、
意外にも彼女は清々しい顔で私に笑顔を向けてくれた。

「いえ、勿論最初は、どうしようって思ったんですけど」

40歳にしては目尻に深く皺が刻まれている感じがした。

「ですよね」

「でも、私、彼は私にとってダメなことはしないって信じてるし。」

彼女はソファに丁寧に丸めておいてあった自分の下着を取り、私の前でつけ始めたが、その下着も年の割には子供っぽく、安っぽいもののように思えた。

「うん」

「それに、今まで彼に会うまでの私って、本当に、セックスを楽しむって感覚が全くなくて、むしろめんどくさいって思ってたくらいで、本当につまんない人生歩んできたなって思ってるから、これからはもうちょっと、楽しんでいきたいんですよね。
だけど、楽しむっていっても、いままで何もしてこなかったし、何も考えてもこなかったから、どう楽しんでいいのかもわからなくて、だから、とりあえずは、彼が言うことなら、なんでもやってみようって思うんです。それで、まずは、自分が何が好きで、何が嫌いなのか、自分でわかったらいいなって思って。
いままでは、それすら、わからなかったから。」


・・・・ああ、ナルホド。

たしかに、セックスにおいて自分が何が好きで何が嫌いかを知っておくって、すごく大事だよね。
特に女の人の場合は、何も考えず男の欲望に合わせてると傷つくことも、多いから。

下着をつけ終わった彼女が「ナツコさんもいつもこんなふうにちょっとアブノーマルなことして遊ぶのが好きなんですか」と聞いてきたので、いいえ、私はふつーに好きな人と正常位でするのが一番好きです、と答えた。

実際それは本当だけど、それだけじゃずっとはやっていけないと、もちろん私もわかっている。
いわゆる愛がなきゃセックスはつまらないけど、いわゆる愛だけじゃセックスは、絶対できない。
それはとても不甲斐なく哀しいことだけどある意味少しだけ楽しくて、
だからこそ私は今日、ここにきたんだ。

樹さんがバスルームから帰ってきたのを頃合いに、私も部屋を出ることにした。

撮影係の私を含めてのふたりのセックスはおわったが、
緊張感から解き放たれた彼女は今度は二人っきりで彼に甘え、今までのセックスで感じた様々な感情を昇華させ反芻し味わいながら、もう一度セックスをしたいはずだ。
もちろん樹さんもそうだろう。


ていうか、どっちかってーとメインはそっちなんだよな。
今までのセックスが、前戯みたいなもんでな。


ただ一時の興奮を求めて、こんなにも労を惜しまない人間というのは
果たしてくだらないのか たくましのか、
それともそれを考えることすらもうすでに馬鹿馬鹿しいのか、
様々、感慨深い一日でした。










2016/11/28

サガ



手枷&首枷 by Bondage 208

「マエダさんはブログの感じと、実際お会いした時の印象が結構違いますよね!」

と、たまにお客様に言われたりするのですが、


・・・ああ、だって、あれでしょ・・・?


私のブログの感じって、SMとかヌードとか拘束具とかおっぱいとか、
そんなかんじですよね?
そりゃ違うに決まってるじゃないですか。
人間の本質がそれだというならともかく、
第一印象がSMとか拘束具とかおっぱいとかだったらちょっとやばいと思うんですよ・・・。
まあ、別にそれでもなんでもいいんですけど。

最近、ヌードメヘンディの写真を撮りためているのは、
208の新しいHPを作りたいがためでもありまして、
そのためではないですが、少し前、ネットで検索してみたんです。
「メヘンディ・おっぱい」という単語を。

その検索結果がなかなかにおもしろかったので、
思わず友人のメヘンディ描き、名古屋のスズケーさんに一報入れてしまいました。


「ていうかスズケーさん!『メヘンディ・おっぱい』で検索かけたら、スズケーさんのツイッターが一番に出てくるんですけど・・・・!」


っていうか、いいの・・・?!
日本におけるメヘンディの権威であるスズケーさんともあろうお方が、
「おっぱいメヘンディ」なんていうキュートかつ阿呆っぽい言葉で検索トップに引っかかってくるという事実・・・!


「・・・ていうか、トップだけじゃなくて2位まで私じゃないの・・・」

え・・・?
あれホントだ・・・笑

ていうか、この1位の検索結果の、「おっぱいをチラ見するゲーム」ってなによ・・・?
2位は成人式の花魁着付け女子に対するお気持ちを綴ったツイートでしたね。

大体、彼女はあの繊細で可憐なメヘンディを描くアーティスト業と、またあの理知的な文章を紡ぐコピーライターという職業の傍らで、いつも不用意にパイとかウンコとかオチッコとか、
小学生並みに低レベルな言葉をインターネット(主に個人アカウントのツイッター)という公共の場で呟きすぎなんですよ。

「・・・そういえば前に、お客さんに『スズケーさんってウンコ好きですよね』って言われた・・・。
・・・ナッツンなんて『メヘンディのキレイなおねーさん』って言われてたのに・・・。」

ま、まあ、スズケーさんの場合はそういう知的で可憐でメヘンディとかのお仕事の実力をきちっと確立してる上での阿呆っぽいツイートなわけなので、それがかえってギャップ萌えというか、そういう要素もあるわけなんですけどね。
実際、彼女のツイッターはとても面白いので、私はお金払っても読みたいくらいのファンなのです。

・・・ただ、ホントに、ウンコ表記は多いよね・・・。
スズケーさんのツイッター。

「『ウンコ・メヘンディ』で検索しても、スズケーさんのツイッター、絶対トップに出てくると思うよ。」

仕事の早い彼女は、早速検索した模様。



「・・・・・でた!!」



「でたよ!上位10件中6位が私関連だわ!
 しかも『マエダナツコにうんこのメヘンディ描いてもらった』っていうのが1位だったわ・・・!!!」




・・・・!!!




・・・え、

それってもしや・・・!!


いつだったか名古屋でメヘンディ描きの仲間たちと、シーシャをくゆらせながらお遊びで私がスズケーさんの足の内側に描いた、あの・・・!!


「『うんこ好きのスズケーさんの足にうんこのメヘンディ描いてあげる』ってナッツンが描いてくれたじゃん。」



・・・・



最悪です。


まさかそんな内輪で楽しんだくだらないお遊びのメヘンディがネット検索のトップに上がってくるなんて・・・!!


・・・だ、だって、メヘンディのペーストを扱ったことがある人なら誰しも一度は思いを馳せるとおもうんですよ!

ヘナペーストでカタツムリの殻みたいの描いたら、アレそっくりだろうな、って・・・!!





・・・しょうがないじゃないですか。
メヘンディ描きのサガみたいなもんですよ。
(ウソですスイマセン)




































2016/11/21

剥き殻




「発生学的には胎児の時に女から男がつくられるわけだけど、人間の性欲の発達としてはその逆なんだよ、っていう話をこの間、本で読んでね。」

その日は好きに喋りたい気分だった。
倉庫みたいなコンクリート張りの床のアトリエは大きなストーブをつけてるせいで冬でも妙に暖かくて、私は裸のまま薄い毛布にくるまりソファに寝ころんでいた。


横ではユキヒトがナイフで柿の皮を向いている。

「ほら、生まれる前にお腹の中で、7週目までは胎児は最初はみんな女だっていうでしょ。そこから胎児の大陰唇が綴じてクリトリスが肥大して男の子ができるわけ。言ってみれば、男は女から作られるわけだよね。だけどね、この間読んだ本でおもしろかったのは、人間の性欲の発達の仕方っていうのはその逆なんだって。産まれてきた子供は男の子も女の子もどちらも初めは男の子としての性欲を持っていて、つまり、どちらも男性器を女性器に入れたいという能動的な性欲を持っているんだけど、途中で女の子は性欲の在り方を逆転させるんだって。入れたいという能動的な性欲から、入れられたいという受動的な性欲に。」

「まあ、それは、女の子にはぺニスがないからね。」

「そうそう、勿論、無意識下の話だけどね。フロイトの、幼児性欲ってあるでしょ。人間は赤ちゃんの時から性欲があって、それが口唇期、肛門期、男根期...その後はなんだっけ?まあ、そんな感じで形を変えながらセックスへの欲求へと発達していくってやつ。その男根期のあたりの話かなと思うんだけど、大体4,5歳くらいのことだよね?女の子はその時期に、自分にはぺニスが無いってことを発見して、性欲の在り方を変えるんだって。ぺニスを膣に入れたいという能動的性欲から、膣にぺニスを入れられたいという受動的な性欲に。」


ユキヒトの手の中で、柿はくるくる優雅に弄ばれて皮を剥がれていく。
器用な男の手がナイフで果物を剥く様はとてもセクシーだなと思いながら、私は喋り続ける。



「・・・てことはさ、男の子は自然と男の子になれるけど、女の子は、男の子になるつもりだったのに無理だとわかって女の子になることにした、ってことでしょ。私、その感覚ってすごくよくわかるんだよね。別に、私は本当は男の子になりたかったのに、て話じゃないよ。私はある日突然、女の子だってことに気付いて、そこから自分の色々なものを方向転換させてきた、って話。だけど、私に限っては、それはいわゆるジェンダーのような「女はこうあるべき」という社会規範や概念のこととは全く無縁の話でね。たとえば親に「あなたは女の子なんだから」とか言われて、気付かされたわけじゃないのよ、ある日突然、自分にはぺニスがないんだ、って気付いただけなの。それは初潮がくる何年も前の話だから、私がそういう風に自分を女の子だって自覚したのは生理の有無じゃなくて、ぺニスが無いってことだったって、そういう話なんだけどね。」


ユキヒトの手の中で柿が素直にふたつに割れた。
いる?と差し出されたけど、私は基本的には柿が嫌いだ。
柿、好きなの?と私が聞いたら、うん、子供の頃に庭になっててね、ノスタルジーみたいなもんかもね、と、言ってユキヒトは笑った。


柿を剥く指とその暖かい石油ストーブの匂いのするアトリエの空気が心地よくて、私はこれからは柿が好きになるだろうと思った。私の好き嫌いなんて、その程度のもんなんだ。



「でね、結構はっきりと覚えているんだけど、私は精神的には、5、6才の時に女の子になるってことを始めて、12才の時に完全に女の子になったの。私の初潮は10才だから、それもやっぱり肉体的な生理とはまた別の話。私は12才の時にはもう大体、異性としての男っていう生き物の生理がわかっていたし、男の性的な欲求にどう対処すればいいのかはわかっていたわけ、それは多分その女の子になる過程で、たくさんの変質者とか幼児性愛者にモテてたせいもあると思うんだけど、そう、それはそれはよくモテてね、一度、誘拐されかけたこともあるし、下校中に後をつけられたり、電話をかけてきて卑猥な話を永遠と聞かされたり、建物の影につれてかれて裸にされたこともある。一度、私を羽交い締めにして物陰で服を脱がそうとした男と同じ顔の男が、ある日テレビに出ててびっくりしたことがあってね。そのテレビに出ててた男は隣街で幼女の誘拐殺人事件の犯人として捕まってて、何年かあとに死刑になったけどね、まあとにかくそういう変な男にすごく好かれてたわけだよ。そういう目に何度もあってるとね、どういう時に男が興奮するのか、自分のなにが男の興味をそそるのか、子供ながらにわかってくるものなんだよ。それは結果的にその後も自分を性的な被害から身を守る術になったし、幸い私はとても自己肯定感の強い子供だったから、その経験がトラウマになるってことは、なかったんだけどね。だから別にこれは、私の不幸な幼少時代の話では全くないのだけど、むしろ、それは私の人生に置いてとても良い経験だったわけなんだけど、それは、わかってもらえる?」


わかるよ、という目でユキヒトが私を見た。


「まあそんなわけで、結局私は自分が最初から女の子だったわけじゃなくて、まるで段々に女の子になっていった過程を結構明瞭に覚えているわけ。で、もしそんな風に全ての女の子が、最初から女の子だったわけじゃなく、女の子になっていく、のだとしたら、女の子の性欲の形成の仕方はとても複雑なものになるわけで、だって、もともと男根を膣に入れるという能動的な性欲を受動的な性欲に逆転させるわけでしょ、しかもその逆転は男になれなかった挫折感、劣等感、方向転換せざるを得なかった屈辱感が多かれ少なかれ伴うから多くの場合は順調にはいかないんだよ、まあ、その順調にいく程度というか、うまくいかない程度にも個人差があるわけだし、さらに、そこにはその時の時代や文化の影響も受けるわけだよね。だから、結果的に女の子の性欲っていうのは多様で複雑ですごく個人差が大きいわけ。よく女の性欲が無いと言われたり複雑だとかよくわからないとか言われるのは、もしかしたらそのせいじゃないかとも、思うんだよね。」

「うん」

「私が12才の時にはっきりと思ったのは、女の子としての私は、男の性欲というものの攻撃性や支配欲の対象であること、虐げられたり侮辱の対象であること。もちろん、それは男の人の人柄とか精神性の話じゃなくてね、男の性欲の基盤がそういうものだってことでね。ほら、よく言うでしょ。男の人には根本的に根深い女性恐怖がある、って。それが、男の支配欲と根本で結びついてるって。」

「ああ、それ、なんか覚えてるな。それたしか前に俺があなたに貸した本だよね?うん、なんか覚えてるよ。その、男の女性恐怖っていうのはさ、乳児期っていう自分が徹底的に弱い赤ちゃんの時に、異性である母親に育てられていたってことから発している、ってことだよね。男が女を支配したがるのは、その母親の支配からの脱却のための過程、っていうか、そういうことだよね。」

「そうそう、男の子の中では、自分が庇護されてる時の母親は全知全能の神のような存在なわけだし、そして庇護されてる時の自分自身はまだ赤ん坊で全くの不能だし、女を支配しないことには、男の人は自分の不能状態から抜けられないんだって。勿論それは、無意識下の話なんだけど。そういう話聞いてさ、男の人って、ああもしかしたらそうかもなあ、とか思ったりするの?」

私が聞いたら、ユキヒトは少し笑って、わからない、と答えた。

「まあ、そうだよね。誰も、乳児期の記憶なんてないしね。だけど、そう考えると、いままで不思議だったことが、よくわかるような気がするんだよ。なんで、女の身体が商品になるのと同じように、男の身体は商品になりにくいのか、とか、なんで男の身体や性器は視覚的に女を興奮させにくいのか、私は初めて男と寝るまでは性的な妄想の対象が女性のヌードだったんだけど、それはなんでなのかとか、ね。」

「ああ、女体が女の性的対象になるっていうのはさ、結局は女の子の能動的性欲から受動的性欲への逆転が、かならずしも完遂されないってことだよな。女の中にも、きっと代わり切れなかった能動的性欲が残るんだろうな。だから、女の性欲は男ほど単純じゃないんだろう。曖昧ていうか、複雑なんだよ。それは同性愛とはまた違うと思うけどね。」
  
「・・・そう、で、話が戻るけどね、私はさ、その12歳の時にはね、男の性欲の基盤には攻撃性や支配欲があって、だけどそれを受け入れない女に、男は欲情しないってことも同時にわかってたの。つまり、男の攻撃性に対して怖がったり逃げたりしない女を、逆に男は嫌がるし興味を無くすし、ある時は恐がるのよ、それがわかってから、私は全く男が怖くなくなったの。不思議なんだけど、それと同時に、そういう性的な被害に合うことも全くと言っていいほど無くなったんだけどね。」



ユキヒトは黙ったまま、私が寝転んでる黒いソファに腰を掛けた。
その黒い革張りのソファはいつも私たちのベッド代わりにされてるせいで、もうスプリングも壊れて革も破れてクタクタになってしまっていた。


それでも妙に寝心地がよくて、愛着が湧き、結局 別れるまでの数年間はボロボロのまま使い続けていたが、そのボロボロのソファはユキヒトのその質実なアトリエによく似合っていて、そのとき彼が手にしていたナイフや柿や指と同じように、心地よく美しかった。


「だから、私は基本的に12才の時から男の性欲の在り方を否定してるし、支配欲と攻撃性に裏打ちされたすべての男の性的な妄想に付き合う気は全くないの。だって、それは多かれ少なかれ自分に屈辱感を与えるからね、私の自尊心と男の性欲はどうやったって両立しないのよ。だけど、すべての男のそれを否定してたら恋愛もセックスもできないわけで、どうしようもないでしょ。だから、私は自分が好きになった男の性欲だけは、受け入れてあげようと思ってるの。だから私は自分の自尊心をすり減らしながら、好きな男を愛していて、自分を消費しながら、好きな男とセックスをしてるの。それはもちろん、その男のためじゃなくて、私自身のためなんだけどね。」


コンクリートの床には、切れ目なく渦巻き状に剥かれた柿の皮が落ちている。

器用な男の指で、綺麗に剥かれた果物の皮は無理が無く美しくて、
羨ましくなるくらいに、幸せそうだと思った。









2016/11/14


久しぶりに酷い夢を見た。

思いつく限りで最悪の夢だった。


深夜、動揺で呼吸が浅くなったせいか、頭に血が昇り軽い吐き気を感じて目が覚めた。



「奇形の性器を持った人たちが、でてくる夢だったんだよ。」

数日後、会った友人のナオミさんにその夢の話をした。

「性器が奇形って言ってもさ、両性具有とかそんな魅惑的な奴じゃないんだよ。本来あるべきじゃない身体の部分に男の性器が生えてたり、その性器が中の内臓と連動してその内臓と一緒に脈打って動いてたりするんだ。女の性器がこう開かれた中には膣口の代わりに眼球がそこにあって、その眼はちゃんと神経も通っててこちらを見据えていたりしてね。でね、一番印象的だった場面なんだけど、真っ暗な暗闇の中で、胸部にナマコみたいなできそこないの男性器が生えてる男が出てきてね、その男が、その胸部の性器を手で擦りながらオナニーしてるわけ。もちろん、こっそり隠れるようにやってんだよ。自分の性器が奇形で醜いから、それを隠すように暗闇の中でね。で、オナニーしてるってことはさ、もちろん興奮しているわけでしょ。興奮して、血圧が上がって、筋組織に血液が流れ込んで、身体が活性化してくるでしょ。でね、その男は性器が胸部にあって形も変で奇形ではあるんだけど、なんていうか身体そのものができそこないで、皮膚や血管とかの身体の組織自体がすごくもろくて、そのオナニーの興奮に身体がついていかないわけ。興奮して、身体が活性化すればするほど、身体の組織がそれに耐えきれなくて、皮膚のあちこちが裂けて血液が噴出して、身体が血だらけになっていくんだ。もちろんその男は失血して死にたくないからオナニーをやめようとするんだけど、その性的な興奮を抑えることができなくて、やめられなくて、身体のあちこちの皮膚がぱっくり割れて今にもその身体自体が脊柱から砕けて肉片になってしまいそうになりながらも血だらけのままオナニーしてて、私はそれを目の前でずっと見てた。もちろん夢の話だからさ、支離滅裂だしツジツマも理屈もないめちゃくちゃな内容だから、私がこうやって話してどれだけその時の私が感じた衝撃が伝わるんだろうって気もしなくはないんだけど。ただ、ホントにその夢が衝撃的でさ、気持ち悪さ的には、顔の毛穴全てから芋虫が出てくる夢を見たときに匹敵するくらいのもんだったね。」


国分寺の北口のスターバックスで、ナオミさんにそんな話を聞いてもらった。
贔屓にしていたドトールが数年前に閉店してしまってから、結局国分寺ではここを愛用するようになってしまった。


「・・・へ~~! なんだろ!すごいな!夢は、確実に潜在意識だと思うんだけど、私は夢判断的なセラピーは面白くないからやらないことにしてるんだ。でも、おもしろいね、その夢の話。」

「うん、そうだよね。夢って確かに潜在意識なんだけど、出てきた人とかストーリーって、大体の場合特に意味はないんだよね。私はそれより、その夢の中の自分が感じている感情の方がおもしろいよ。理性は嘘つきだけどね、感情は正直だから夢の中でもいつもそのまま露出してくるでしょう。そういう意味では夢ってすごくダイレクトだよね。直視したくなくて無意識に隠していた感情が夢に出てくるって、私の場合はよくあるよ。」


夢の話をこの友人のナオミさんにしたのは、ナオミさんがメンタルとフィジカルを扱う療法士であることと関係があった。私はこれより二か月ほど前から原因不明の精神的な疲労感と虚脱感から抜けられず、なんというか少しだけ気持ちが参っていたんだ。


「その奇形の性器を持った男はさ、本当は自分のそんな醜い性器を見るのも嫌で、できることならだれの目にも触れることなく隠しておきたかったんだけど、ほら、ふつーに性欲が湧いて興奮してくると、そんなナマコみたいなできそこないの器官でも大きくなって立ちあがってくるわけよ。で、大きくなると隠しておけないでしょ、それで動揺して隠そうとして慌てるわけなんだけど、結局、その欲求に逆らえずにオナニーをし始めるわけ。で、最終的には身体が血だらけになってもオナニーがやめられなくなるわけなんだけど。・・・・なんていうか、すごくグロテスクで滑稽で、それで切ない夢だったんだよ。奇形の性器っていうすごくグロテスクな自分が見たくもないものを直視しながら、自分の命の危機すらも足蹴にして性欲に支配されてる人間っていうのが、なんかすごく哀しいっていうか・・・なんか、そんな感じの夢だったんだよ。」

「その男っていうか、それもマエダさん自身なんだろうけどね。夢に出てくるのは、みんなその人自身だから。」

「そうだね。当たり前のことだけどそれは本当にそうなんだよ。私は、人が欲望を持つ、なんて言い方は嘘だと思ってるから。欲望は人に所有されたりなんかしないよ。欲望は常に人の上に在って人を支配してるもんだと思ってるし、その欲望はある意味では自分ひとりの命なんかよりも強くて重いもんだと思ってるし、だって、特に性欲なんていうのは種の保存のための欲求でしょう。個の欲求っていうより、種の欲求なわけでしょ。自分一人の命なんか、性欲の前では屁みたいなもんなんだよ。そういう意味では、死ぬまで欲を果たし続ける今回の夢も、何も不思議なことはないんだよね。ただ、いままで私が漠然と思っていたことが、あまりにグロテスクで具体的な形で表れてきただけのことで。」


夢の中だというのにその男は、やけに生々しい皮膚をしていた。
皮膚の湿度は人間のそれというより、まるで海の生物のような硬質で原始的な生生しさがあった。

夢の中だというのに、かすかな潮の香りのようなものも感じた。

その男はそんな海の生々しさの象徴のような自分の性器を嫌っていたのかもしれなかったが、その一部を持つ肉体自体を生かす力と、生かされている理由も知っていた。

自分の命を超える優先事項。

顔は見えなかったが、男は泣いているような感じがした。
自分の身体の醜さと、自分の肉体すら自分でコントロールできないことを哀しみながら、それでもなお身体を突き動かす興奮に身を委ねることの快感に、浸っているようにも見えた。

興奮で軋んだ身体から流れたその血液は、その男の肉体から流れてまた海に戻るのかもしれないと思った。

自ら自分の命を無下にするのはひどく哀しいが、
それは自分の上に君臨する大きな力に身を委ねることと同じと思えば、ある意味、甘美とも言えなくはない。


ナオミさんと話しながら、ふと思った。
ああそうか、だから、
哀しい、じゃなくて、切ない、んだな。


身を切られるような悲哀の隙間に、垣間見えるかすかな甘美。
滑稽とグロテスク。


身体じゅうから失血した男は、欲望のままにそのまま死んでしまったんだろうかと考えた。
それとも強い欲求に身体がついていかず、欲望を果たせぬまま血だらけの醜い身体を抱えて惨めに泣いている結末もアリかもしれない。
死ねば滑稽で、生きていれば惨めだ。

だけどまあそれはどちらでもかまわない。

どちらにしても、そんな哀しく惨めな夢の中のその男を、私は愛おしいと思った。


***


「結局、人間として生きていて、どれだけのことを自分で決めることができてるんだろうって思うんだ。だって、私は自分の身体すら、自分でコントロールできてるわけじゃないでしょう。身体は、私の意志とは関係なく勝手に生まれて、勝手に生きて、勝手に死ぬ。その間は幸運にも恒常性をもって動いて、勝手に病気になって、運が良ければ勝手に治る。その中で私ができることといえば、せいぜい余分なストレスで自分を病気にしないことくらい。自分の身体は、いったいどんな大きな力によって生きさせられているんだろうって思う。それは別にさ、自分を生かしてくれてる周りの人々に感謝しましょう、みたいなそんなありがたい話じゃなくてさ、なんてゆーか、自分は別に自分が生まれたいだけの理由で生まれてきたわけでもないし、自分が生きたいだけの理由で生かされてるわけでもないってことでね。自分の肉体が生まれてきた目的や理由は、ある意味ではきっと私個人のそれとはまったく関係がないんだろうね。」

自分の個の身体としての、したいしたくないの意志はお構いなしに、きっとそれ以上の欲望としての大きなエネルギーというものがあるんだろう。
それがたとえ美しく優しい光のようなものではなく、すべての光と色を内包するグロテスクな海底の暗闇であったとしても。



「まあ、たしかに、特にセックスの問題って、大きいからね。人間のおおもとの部分だから。私のところに来る患者さんでも、結局、最終的な問題はそこだろうって人、多いよ。精神的にも、肉体的にもね、セックスの問題が、病気として現れる人って多いんだよ。このあいだもさ、こーんなふうに、身体がこわばって動かなくなっちゃってるような人が「先生、どうしたらいいですか」ってきたけどさ、なんつーかそれはもうあなた、「セックスすればなおりますよ!」て言ってあげたいくらいだったけどね。まあ、言えないけどね。」

「・・・ああ。わかるわ。あ、だけど、女の人の場合は、セックスすれば、っていうか、したい相手としたいときに良いセックスすれば、ってことだよね。逆の意味で、セックスしてることが原因で病気として症状が出る人もいるだろうね。まあどちらにしても、身体や精神の問題がそこに行きつくことっていうのは、少なくないんじゃないかと思うわ。」

「うん、そうだね。」

「でもなんか、不思議なんだけど、あの夢見てから私、ちょっと元気になってきたんだよ。変な話かもしれないんだけど、最近調子悪くなってから性欲も枯渇してる感じがしてね、調子悪いから枯渇してんのかと思ってたけど、むしろ枯渇してたから調子悪かったのかな、なんて思ったりもしてさ。なんか、あの夢見てから、ちょっとお腹のあたりに力が湧いてきているような感じはするよ。笑」

「あはは!そうなんだ、まあ、どっちが原因かなんてどうでもいいことだよね。まあ、夢のことはさ、意味がどうこうっていうより単に、自分にとっての性欲がそういうものだってことを、思い出したっていう、単にそういうことでいいんじゃないのかな。」

うん、ホントにそうだねえ。

自分が、死を目前にオナニーできるかどうかはわかんないけどね、
だからあくまで観念的なもんではあるんだけどね。



っていうか、新年早々、毒々しい話でごめんなさいねって感じですが
今年も私らしくいろいろがんばりたいと思います。


よかったら今年もなかよくしてくださいね。

2016年もどうぞよろしくおねがいいたします。



*謹賀新年*

2016/10/01

Gothic


ゴシック装飾・アクセサリーショップのHdsさんの商品と、メヘンディ撮影をさせてもらいました。

私自身はどちらかというと装飾的なものはあまり好きではないのだけど、
ゴシック時代のファッションや建築は、装飾的でありながらどこかストイックさのようなものがあるから好きなんです。

ていうか、ストイックっていうより制約の中で欲求を発散し尽くしてる変態性みたいなものを感じますよね、ゴシック美術って。


「マエダさんのメヘンディはなんか建築物っぽくて好き。」

とHdsさんに言われ、なるほどなあと思い なんだか自分のやりたいことの幅も広げてもらったような、ありがたい時間でした。




メヘンディは身体と一緒になるだけでも楽しいけど、
最近は他の色々な要素や素材と関わらせていただく機会が多く、うれしい限りです。