2012/04/29

はなし


京都に行ったついでに少し脚を伸ばして、滋賀の大津までいってきました。

なぜならそこにはメヘンディ描きのちえこさんという方がいたからです。
ちえこさんは大津のアフリカ雑貨のお店でメヘンディを描いている方で、
なんか湿度の無い暑い国のカラっとした土みたいな人でした。

彼女のメヘンディもなんかカラっとしてるんですよ。
当たり前の事ですけど、創り出すものって、その人そのものなんですよね。


折角なので、ちえこさんにメヘンディを描いてもらいたいところだったのですが
諸事情有り今、身体にメヘンディができないので
愛用の無印良品のアルミの鏡にペイントをして頂きました。

綺麗でしょ?

素材はアクリルガッシュです。

初対面にも関わらず話題は尽きなくて、
メヘンディの話から始まって、世界の文様やデザインの話、そこから
「似た文様の在る国は海流が繋がっている」
「人間の起源はある意味ではアフリカではなくインドではないか」
「日本古来のデザイン力が現代の工業技術を支えている」
そして、「エスニックファッション好きって結局はコスプレと同じですよね。」
といった超おもしろい話まで、まあ とにかく色々おしゃべりさせていただきました。

「似た文様のある国は海流が繋がっている」

つまり、文様は伝来してきた、という意味合いの話を翌日、
京都四条のモロッコ料理屋で妹に話したら、こんなことを言っていました。

「あのさ、例えば言葉でも全く違う地域に同じ言葉が存在してたりするんだよね。
 それをそこからそこに言葉が伝わったんじゃないかとか、
 その地域同士に交流があったんじゃないかとか仮説をたてる人もいるんだけど、
 私はそういうのは勝手に筋を作り上げているだけで、そうとは限らないと思うんだよ。
 全く違う地域に同じ言葉が自然発生する、そう、そのまま考える方が正しいと思うんだ。」

ちなみに妹は京大の大学院の哲学科に在籍する23歳。
哲学とは言っても「いきるとはなにか」というような系統ではなく、
古代哲学の研究をやっているらしいです。
私には説明不可能な難しいことをやっているらしいので、くわしく説明はできませんが。


言葉の、文様の、自然発生?


そういえば、ちえこさんも似たような事を言ってたな。

「結局、人それぞれの好みなんて言っても、
 所詮 人間は同じものをみて綺麗だとか気持ちいいとか思うと思うし、
 同じものを見て、同じような事を感じるんだと思うんですよ。」

違う地域に、同じような文様が自然発生したとしたら、
そこには共通する、人間の何かがあるってことなんだろな。

まあ、どう考えたって、伝来したとしか思えないものもありますけどね。

私も、そういうの大好きなんですよ。

なんかもっと色々話聞きたかったなあ。

そんな感じでその夜は、
この春から京都に移り住んだ友人のもとへ。

一緒に鴨川近くのカフェで遅い晩ご飯。


ここのゴハンはカフェゴハンにありがちな味のチープさが無くて、
とても美味しかったです。
efish? だったかな?
すみません。忘れました(笑)



ちえこさんのアフリカ雑貨屋で買った、
友人におみやげのキーホルダー。

この気の抜けまくったハンドメイドっぽさに最初友人は呆れ顔でしたが
見てくださいよ、
どうみてもすごくお洒落なキーホルダーですよね?
素敵ですよね?

ちなみにこの晩はこの友人とも
ここでは書けないようなディープな話をしたのですが
いやーもう ディープすぎて恥ずかしくて書けないので
また、今度。








2012/04/23

依存



別に辛くも悲しくも無い話なんですが、
昔、付き合っていた男に車で拉致られて山中で殴られた事があります。


殴られたって言っても、お腹と頭2発ずつくらいですけど。
意外と、痛さは覚えてないんですけど、あれって怖いんですよねえ。


なぜ殴られたかというと、その男との別れ際に私に新しい男ができて、
それに開き直った私に男が逆上したという、まあ簡単な理由ではあるのですけど。


その男とは5年近く付き合っていましたが、
その間にその男は私を犬のように扱っていたんですよ。
犬って言ってもかわいがってくれてたってことじゃないですよ。
人間の扱いをされてなかったってことです。
同時に複数の女と浮気はするは、
機嫌が悪ければ真っ先に当たられ、そのくせ私を自宅に住まわせて行動を監視して、
自分が他の女と会う時以外は常に私を自分の監視下に置いておく感じですかね。
まるで首に縄でも付けているかのように犬のように私を扱っていたんですよ。
今 考えれば、DVっぽいですよね。
実際、その男と付き合ってた期間は常にストレスで身体を壊していました。
小さな手術もしましたし、常に病院のどこかしらの科にお世話になっていた気がします。
実際の暴力は数えるほどでしたが、精神的な暴力と言えなくも無い気がします。
別に、今も昔もその男を恨んではいませんけどね。
今 考えると、なんか不思議なんですよ。


まるでただひとつの取り柄のようにギリシャ彫刻のように綺麗な身体をした男でしたが、
一体なぜに私はそんな男と5年間も付き合っていたのだろうか?


別に、その男が好きで好きで別れられなかった訳じゃないと思うんですよ。
だって、自分にそんなことする男、好きでいられるわけないですよね。


今になって思う事ですけど、
多分 私は、その男に徹底的に依存していたんだと思うんです。


自分のどこかに自分では埋められない大きな隙間があって、
その隙間をその男に埋めてもらおうとしていたんでしょう。


本当は、その隙間は、男ではなく自分自身で埋めなければならないものだったのに。


埋めてもらうようになっちゃうと、
その男が自分の構成要素のようになってしまって、
その男無しでは自分という人間が一人では歩けないような気になってきちゃうんですよ。
だから、つらくても別れられなくなっちゃうんです。
依存の定義は人によって違うと思いますが、私にとってはそんな感じ。


そんな依存心に満ち満ちた私と付き合っているということは、
多分男の方も、依存を受け入れる人間でないとそんなに長くは付き合っていられないですよね。


依存の需要と供給が上手く噛み合って、
そんな関係が5年も続いてしまったのではないかと。


人との関係ってそんなもんですよね。
相互にひかれあってるんですよ。
たとえ、傷つけ合う関係だったとしても。


今になったから言える事ですけど、
「人間関係」って、決してお互いの性格だけでできあがるものじゃないと思うんです。


自分が相手を触発して、相手も自分に触発されるんだと思うんです。


自分が求めて、相手がこたえる。


相手が求めて、自分がこたえる。


それが上手くいかなくなったら、関係の継続が不可能になる。


関係を続けたかったら、自分が何を求めているのかを、相手に伝えなければならない。
相手に、応えなければならない。


だけど、ただ関係が続けばいいのではなく、
「いい関係」を築いていくためにはどうすればいいか、
「いい関係」を仮にお互いが自尊心を失わずにお互いを幸せにできる関係と考えて、
もしその「いい関係」をお互いが築けないとわかったら、
その関係を断ち切る勇気すらも持たなければならない。


「いい関係」とは何かを考えること。
そして、それが叶わなかった時に、関係を断ち切る覚悟を持つということ。


多分、それが一番 大切。
断ち切らなければ、お互いが傷つけ合うようになるから。


多分、昔の私にはそれが、できなかった。
ひとりになったら、自分で立っていられなくなると思ったから。


若さゆえですけどね。


自分のこともろくに見えていなくて、
「いい関係」が何かも想像すらできなかった。


「関係」はそこにいるふたりが、ふたりで作り上げて行くもの。
うまくいかなかったとしても、それはどちらかひとりの責任じゃないと思う。


人ひとりでは「関係」はつくれない。
「関係」を存在させるには、そこに最低限でも自分と相手が必要になる。
間違いなくその関係を作っているのは、自分でもある。


相手が暴力を振るうのは、それを受け入れる自分がいるからだ。


私のその時の依存心が、彼の良く無い部分を引き出してしまったのかもしれない。
関係を断ち切れなかった自分が、彼をそんな形にしてまで繋ぎ止めてしまったのかもしれない。




真夜中に車に引きずり込まれて、殴られて、


意外と殴られる事自体は痛くはないんだけど、
殴られる瞬間までがすごく怖いんだなあ、とそんなことを考えてたんですよ。


彼の怒りが収まるまでじっとしていようと思っていたのですが
彼に携帯電話を奪われそうになったので、
携帯には新しい男の連絡先も入っていたし、
さすがに黙ってじっともしていられなくなって、
勢いで携帯電話をぶっ壊したんですよ。自分で、まっぷたつに折ったんです。


まっぷたつになった携帯電話を思い切り投げつけたら、
意外にも男が目が覚めたように冷静になって、
気がついたらそこでその男との関係は終わっていました。




ああ なんだ 




そういうことか




もっと早く、




「いや」って言ってあげれば良かった。




いい関係を築く力が自分に無いのなら
せめて、早く 断ち切ってあげればよかった。




そうしたなら、彼もこんなに傷つかずにすんだかもしれないのに。




いまだからこそ思うこと。




もしかしたら彼も、私の依存心の餌食になって辛かったんじゃないかな。


だからって勿論 どちらが悪いとも思わないし、


後悔も、してないけどね。











2012/04/20


最近、SM愛好者たちのサロンに遊びに行かせて頂くようになりました。
都内某所、高層マンションの一室で毎週ひっそり開かれるSMサロン。

もともとSでもMでもない私ですが、
興味は昔からあったので意外とこれがまた楽しいんですよ。

最初はあまり興味がなかった縄での縛りも、最近はなんかおもしろいんです。

サロンで使われるのは、緊縛用の赤いロープ。

意外と拘束されるのって楽というか、安らかな気分になるもんなんですよ。
まあ、あくまで私の場合はですけどね。
拘束されてる間は、もう自分で何もしようとしなくていいじゃないですか。
だってなにもできないし。
相手に全て委ねるしかないわけですよね。
それって、意外と気持ちが穏やかでいいもんだなあ、と
十年前に初めて手錠で拘束された時に思ったんですよ。


「Sさんて、すごくサクッと簡潔に女の人を縛るよね。
 逆にすごくねちねちとしつこく縄を絡めて縛る人もいるじゃないですか。
 ホントに人によって縛り方も違うんもんなんですねえ。」


そのSMサロンの主催者の加賀さんは元SM雑誌の編集者の63歳。
その加賀さんとお客さんたちが帰ったあと、こんな話をしました。

この加賀さんの縛り方って、拘束されてるのにおかしな話なんですけど全然苦しくないんですよ。
拘束感はあるんですけどね、過度な負担がかからないというか、
きっちり拘束されてるわりには身体は痛くならないんです。
縛るのにも必要以上に余分な時間はかけず、そして縄を解くのもサクッと解く。
縄を解くのって、意外と時間がかかるものなんですよ。
だけど、加賀さんの場合はここさえ解けば残りも解ける、
という一カ所を起点にして縛っているらしく、縄を解くのもさらりと楽なもんです。

「俺の場合はな、縛りそのものがどうっていうのもあるけど、
 縛ったあとに女をどう責めようか、どう遊ぼうか、そっちの方を目的に考えてるから、
 縛り自体はああいう形になるんだよ。」

既に吸い殻でいっぱいの灰皿に更に煙草を押し潰して、加賀さんが言いました。

ああ〜。そうか。

縄で縛るってことが最終的な目的じゃないってことかな。
縄は目的に至るひとつの手段だから、それによって余計な不都合が生じないように
ああいう拘束感が有りつつも簡潔な縛り方を追求してきたってことなんですかね。

「逆に、今日、お前、トモに縛られたろ。
 あいつは縄フェチだからな、俺とはまた違うんだよ。」

「ああ、私、今日すごくそれがよくわかったんですよ。
 トモさんって、縛り方がすごくネチネチしてるよね。
 トモさん自身が縄と戯れてるような感じっていうか、妙な感じでしたよ。」

トモさんはそのサロンに関わっているおそらく50歳前後の長身のいかにも男前な男性ですが、

まあ それはもうねちねちと縄と戯れる方なんですよ。

女の身体に縄を沿わせることがとにかく楽しいんでしょうね。
執拗な縛り方をするんです。
加賀さんのようにあらかじめ自ら設定した完成形に向かってサクッと縛り上げる形というよりも、
その縛る過程を味わっているというか、
味わっているゆえにか、
手の沿わせ方とか立ち位置とかそういうのもなんか独特のイヤラシさがあるんです。
同じような縛られフェチの女の子だったら堪んないでしょうね。

「トモさんって、たまに喋りながら自分の手とか何重にも縛ったりしてるしね。
 ホントに縄フェチって感じがする・・。」

「・・あいつはな〜。なんか最近、首に絡ませて縛るのに凝ってるだろ。
 あれを端で見てると、ヒヤヒヤするんだよ。
 首でもな、もう少し余裕持たせて縛るならまだいいんだけど、
 あきらかに鎖骨の上まで縄入れて腕あげさせたりするだろ、あれ、下手したら本当に危ないんだよ。
 女の子の方は軽く首絞められて気持ちよくなっちゃってるから気が付かないだろうけど
 うっかり変なとこに入ったらと思うと気が抜けなくて見ててもすごく疲れるんだよ。」


ああ

なるほど・・・


加賀さん、主催者ですからね。
問題も起こしたく無いだろうし、そりゃそういうことは気になるよね。


たしかに、あんな風に縄に陶酔してたらそんな事故も起こらなくも無いのかもね。
私だって、以前普通に縛られてただけなのに、
縄を解いた途端に全身にぶわーと寒気がして、びっくりした事があるんですよ。
ああ、意外と血行が阻害されてるものなんだな、と。
本人も気づかない程度に、意外と身体には負担がくるもんなんだな、と。

縄を解く、といえば

トモさんに縛られた時に、彼がこんなことを言っていました。


「俺、縛るのよりも解くのが、好きなんだよね。」


なんでですか?
と私が聞いたら、彼はにやりと笑って


「エロいから。」


と 答えました。



・・・てゆーか


・・・えろいのはお前だよ・・・。


と 思いながら、嬉々として縄を解くトモさんを眺めながら
Sや緊縛と一言では言っても、色んなSや縛りがあるんだなあと

そりゃみんな人間なんだから色々あって当たり前なんですけどね。

結局はその向かい合ったひとりの人間と、遊んでるってことなんだよな。





2012/04/13

梅おにぎり


おにぎりでは梅おにぎりが好きです。


国分寺駅南口付近にはファミリーマートしかないので、
梅おにぎりが食べたくなった時には西国分寺駅で電車を降りて
セブンイレブンで梅おにぎりを買います。


だってファミリーマートのおにぎり、あんまり美味しく無いんだもん。


自分でつくればいいんでしょうけど、なぜかおにぎりって自分で作っても美味しく無いんですよね。
母に作ってもらうのが一番美味しい気がするのですが、
出勤中に不意に食べたくなる事が多いので結局コンビニで買う事が多いです。


私にとっては食事っていうより、おやつの感じです。
おにぎりではほぼ梅おにぎりしか買わないのですが、あえて他のものも買うとしたら、明太子ですかね。
鮭やタラコには全く興味がありません。
シーチキンおにぎりは日本の誇るべき開発商品だと思いますが、私はあまり味的に好きではないなあ。
セブンイレブンの不意に登場するスジコは結構好きです。
ファミリーマートの、今はまだ存在するのか知りませんがダシ巻きおにぎりも美味しいですよね。




昨日、西国分寺のセブンイレブンでいつものように梅おにぎりを買おうとしたら、
ひとつ下の段に、見慣れないパッケージのおにぎりが。






紀州南高梅種抜き一粒梅。115円。(海苔無し)






・・・!!!




一粒梅!!




久しぶりに見ました、一粒梅。




最近、コンビニでは全然ないですよね。


十年くらい前までは結構あった気がするんですが、
最近のコンビニ梅おにぎりときたら、全部梅ペーストですよ。
正直、辟易してたんですよ。
だって、梅ペーストって、時間がたつと水分がゴハンに吸収されてかさかさになっちゃうし。


まあペーストにしちゃった方が梅の質も問わないし、
二個分の梅で2、5個分のおにぎりが作れちゃったりするわけでしょ。知らないけどさ。
結局コストの問題なんですかね?
でもさ、今 梅おにぎりってどこでも大体110円前後な気がするんですが、
私、130円くらいまでなら一粒梅おにぎり、喜んで買いますけどね。


それとも他の130円前後のタラコとか明太子との価格のバランスを考えてのことなんですかね?


梅おにぎりで価格を上げると売れないと思われているのでしょうか?


そんなことないよ!!


おにぎりの主役はやっぱり梅おにぎりだよ!


しかし今回、セブンイレブンが一粒梅おにぎりを出したって事は、
やはりそれだけ普段から梅おにぎりに需要があるってことですよね。
まあちょっとだけ言わせてもらえば梅の調味はもう少し控えめがいいなと思うけど、
海苔無しなんで、意外とあんな甘い梅でもちょうどよく美味しかったです。


コンビニの梅ペーストおにぎりに辟易していた数年前、
職場の近くのお弁当屋さんで「おにぎり握ります」とメニューにあったので、
やったーと思って梅おにぎりを握ってもらって、うきうきしながら職場に持ち帰って食べたところ、
中からカリカリ梅が出てきて本当にショックだったことがありました。


あれはさすがに腹がたちましたねえ。


単純に予想外のものが出てきた驚きもあったのですが、
なんか「梅おにぎり」というものが軽視されてる気がしてショックだったんですよ・・・。


ああー


まあ、梅って言えば梅だけどさー


それにしてもカリカリ梅は反則ですよね?