2017/01/31


「写真写り、すごく悪いんですよ。」

と、ヌードメヘンディの撮影の帰り道、モデルさんが言ったので

「いや、それは私もです、写真写り、超悪いです。」

と、私も答えた。


だってほら、私たちは

いつも鏡に映るもうひとりの自分を知っている。

そのもうひとりのわたしは、
自分のどこが綺麗かを
自分のどこが、ほかの女たちより少しだけ優れているかを
きっと世界中のだれよりもよく知っている。

たとえ男の人が、
「そんなちょっと背が低いとか太ってるとか気にしなくてもいいのに。
あなたはそのままで充分綺麗だよ。」
って言ってくれたとしても

それとこれとは無関係なの。

わたしは知ってるから。
自分の美しいところも、美しく無いところも。

私は私の眼で、
私を見つめることはできない。

この左右反対の世界が、
私がこの眼で見ることのできる、

唯一で真実のわたし。











photo by  maedanatsuko








2017/01/24


数年前に付き合っていた男と久しぶりに会いました。
ただ酒飲んだだけですけど。

「おまえは、俺とのセックスで一晩で17回イッたこともあったよなあ。」

男が昔懐かしげに言いました。



・・・


え?


そうだっけ?


ごめん、おぼえてない・・・


っていうか、ホント男ってこういうことを自分の勲章のようにしつこく覚えてるよなあ。
正直、こちらとしてはその時は気持ちよかったなあ、ってそこで終わる話なんですけどね・・・。


「ごめん、そんなこともあったっけ?」

「え!?なに、おまえ、忘れちゃったの?!
 あれだけ俺が会う度にお前の欲求に尽くしてやったのに・・・!?」


いや、だってもう過ぎた話だし
男としては「いっぱいイかしてやった」みたいのが自分の自信とか勲章になるのかもしれないけど、
女としては別にソレ覚えてたところで誰に自慢するもんでもないしさ・・。
結局、過ぎれば終わる話なんだよね。


「大体さ、イッた、って言ったって、嘘ってゆーか演技の場合もあるしね、女の場合はさ。
 多分私、そのとき実際には17回もイッてないと思うよ。」

「ハ!?」

「大体、二割くらいの確率で嘘だから、私の場合は。他の人は知らないけど。」

「・・・!!」

「だいたいさ、イクのだって体力使うんだよ。
 気持ちもあるけどさ、何回もイクのに必要なのは体力なんだよね。
 いくら私だってそんだけやれば二回や三回はイクふりくらいしてるよ。
 それに17回のうち、もし3回イクふりをしてたとしても14回は本当にイッてるわけだよ、
 それだってすごいじゃん。」



「・・・いや、フリをしているようには見えなかった!」



「・・・まあ、信じたくない気持ちはわかるけどさ。
 イクふりは私の場合、特別なことではなく
 朝ご飯に納豆を食べるのと同じくらい自然で当たり前のことなので、
 多分あなたと付き合ってた数年間で何百回とイクふりはしてると思うよ。」


「・・・っていうか、なんでイクふりとかするわけ?
 気持ちよく無いなら気持ちよく無いって言えばいいじゃないか。」


「いや、気持ちいいんだよ。
 だけど、体力とか気力の関係で頂点までいける時といけない時があるんだよね。
 ちょっとの差なの。だからイクふりしてもいいかなと思うわけで。
 だいたいさ、男も女がイッたかどうかで興奮するかしないか決まる部分もあるじゃん。
 女がイク瞬間って嬉しいし興奮するでしょ。
 だから、演技してあげてもいいかなって思うんだよね。善意の嘘だよ。
 それで二人の営みが気持ちよく形作られるわけだよ。
 『サンタクロースはいるんだよ。』って親が子につく嘘と同じようなもんだって。」


「・・・たしかにおまえは、イッてるわりには顔がしらけてることがあったな。」


「え?いや、しらけてるようだったなら多分それはホントにイッてるよ。
 それは素の私だから。どっちかってゆーと、
 いかにもみたいな感じですっごい感じてるふうでイッてる時の方が演技の確率が高いね。
 だけどさ、ヘタなAVみたいないかにもな演技じゃないよ。
 こちとら女歴長いからね、自分がイク時どうゆう感じかもわかってるしさ。
 単にその再現だし。超ナチュラルな演技だよ。
 自分でもイッてるって勘違いしちゃうくらいのね。ハハ!

で、勘違いしてホントにそれでイッちゃうこともあるしね。
なんなんでしょうね、いったいコレ。
もう嘘とかホントとかどうでもいいっていうか。


「・・・だけどさ、こういうのもあれだけど、
 俺も今までお前も含めて少なく無い数の女とやってるわけだけど、
 一度もこいつ演技してんな、って思ったことないんだよね・・・。」


「ああ、まあ、そうだろうね。実際、私が演技してんのもわかんなかったわけだし。
 試しに今度別の女に聞いてみなよ。イッたふりしたことある?って。
 あ、でも、自分とヤッたことがある女に聞いちゃダメだよ!
 九割五分で「無い」って言うに決まってるから。
 あとさ、関係あるかわかんないけど、よく
 『男は嘘をつくとき相手から目を逸らすけど、女は相手をじっと見つめて嘘をつく』
 っていうじゃん。
   女の嘘の付き方が巧妙ってことじゃなくてさ、
   男は女の嘘の付き方を実感として、生理的にわからないんじゃないかと思うんだよね。
   だから、女の嘘は見破れないと思うんだよ。」

あと、こういっちゃなんだけど、
女は嘘とホントが時に一緒になっちゃう感じがするんだよね。
嘘なんだけど、それを口にしてる時はホントの気がしちゃってたりとかさ。
私だけかもしれないけど、嘘はホントなんだよ。刹那的にね。



「フェラチオ嫌いなお前にフェラチオ徹底的にしこんでやったのはこの俺だぞ?」

「ハハ!私と付き合った男はみんなそう思ってるよ。」

「・・・!!」

だから、善意の演出なんですってば。
二人の時間を楽しむためのさ。

「別に嘘だっていいじゃん。お互い気持ちよかったんだから。」

もし男が、女をイカせることで支配欲を満たしていて、
それが男の自尊心に大きく関わり根本的にセックスをする目的だったとしても、
それは女にはどうでもいいこと。

もし女が、自分の自己愛を満たすために男に甘え、
愛という名の奉仕を期待していたとしても、
それは実のところきっと男には理解できない。

男も女も、きっとそれぞれ自分勝手な愛を追っかけている。
「愛」という言葉で、しらず無意識に何かを曖昧にしながら。

そうやって、きっとどこかに少しでも嘘がなければ、共有できないものもある。



「言っとくけど俺は、昔からお前にも嘘は何も言っていないぞ。」

「うん、そうかもね。」


ホントに馬鹿みたいに正直だからね、この男。
正直に言われたこの男の言葉に、どれだけ当時傷つけられたかって話だよ。


「私は、嘘はつくけどね。」


自分には絶対、つかないけどね。











 






















2017/01/22

収集癖




私にはわからないけれど、
男の人の頭の中にはきっと、
今まで愛した女たちの姿を留めた
アルバムみたいなものがあって、
きっとお酒を飲んだりしている時に
そのアルバムを眺める幸福というか
感傷みたいなものが、
きっとあなたを幸せにするんでしょうね。
女の私にはそんなこと
さっぱり理解できないけど
ていうか、大体、女は昔の男のことなんか
いちいち覚えてなんかないし、
そもそも今ここに無いものなんかに
興味はないから、
そうやって流れていった女たちの
記憶をとどめるあなたに、
まるで色とりどりの蝶の死骸を
ピンで刺して眺めているみたいな、
悪趣味な虚しさみたいなものすら感じるのよ。
そこにはもう、なにも生きてはいないのに。
だからやっぱり私には
そんなことは理解できないけれど、
だけどね、
まるで女たちを
コレクションするように、
そのアルバムに綴じるあなたの気持ちは、
最近少しだけ、わかるような気もするの。
女のひとは
見ても触っても心地が良くて、
聴いても香っても扇情的。
汚しても飾っても可愛くて、
まるでおもちゃみたい。
ペットとして飼いたいと思う男の気持ちも
わかるわ。
どんなにいじめても、傷つけても、
相変わらずに美しいものなんて、
ほかにある?
可愛がれば幸福を、額ずけば官能を。
ほら、
こうやって並べてみたらわかるでしょう。
綺麗なものはどんなに多くても、
邪魔になんかならないのよ。
たしかにこれは集めはじめると、
やめられなくなるね。






2017/01/10

概念


昔からとてもスキな小話がある。

***


『葉っぱの絵を描いてみて』

と、私は誰かに言われる。

私は手元にあった紙に、自分のボールペンで葉っぱの絵を描く。




それを見て、誰かは言う。

『葉っぱの絵を描いてみてと言ったら、あなたはこの絵を描きました。 
 だけど、実際には、この絵と同じ葉っぱはこの世界のどこにも、無いですよね?
 それなのに、あなたは、なぜ、葉っぱ、といわれて、この絵を描いたのですか?』


***


その話を聞いたとき、
初めて人間というものが世界をどう解釈して日々を生きているのかが、解った気がした。

それは別に良いことでも悪いことでもなく当たり前のことだから
この話を聞いた時に何かが心に引っかかりピンとくる人もいれば
だからなに?とその当たり前さに不思議に思う人もいるだろう。

この葉っぱの絵のように

世界はきっと自分自身で、作り上げてしまっている。

自分で創ることもできれば、自分で壊すこともできる世界を
きっと誰もが持っている。

作り上げた世界で自分を縛るのも、自分。

絶えず変わり続ける世界を見つめながら、
自分を壊し、新たに創り続ける、それも、自分。


たとえば自分が疲れたとき

せめて自分の曇った眼で、
葉っぱの碧さを、見失わないために。







2017/01/03

宙から見たら




「昔、女の子とヤッたことがあるんだけどね。」

と友人のヨーコちゃんにそんな話をした。

「おお!それは素敵だね。どんな子だったの?私も常々一度くらい女の子としてみたいって思ってるんだけどね。なかなか機会に恵まれなくてね。」

何だか知らんが私はヨーコちゃんとはそんな話ばかりしている。
LGBTではないものの自分のセクシャリティに違和感があるというヨーコちゃんとは、興味の向く話題が近いせいもあって、なんというかいろいろ話しやすいんだ。


「私はほら、生粋のレズビアンじゃないからさ、やっぱり相手も本当のレズビアンじゃダメなんだよね。私はいいんだけどね、相手が私を選ばないの。ビアンじゃないけど興味本位でやりたがってるストレートの子くらいが、ちょうどいいんだよ。その時の子も、そういう子だったんだけど。」

その子は当時23歳の、チカという女の子だった。

「チカもそうだったんだと思うんだけど、なんでその子とセックスしたかって言われても実は答に困るんだよね。数年に一回かそこら、私はなんでか女の子が恋しくなる時期があってさ、その時にちょうど出会っちゃったというか、そういう感じなんだけど。」

チカとはじめて二人だけで食事をしたとき、
彼女は向かいの席で、真黒な大きな眼でまっすぐに私を見つめてこう言った。

「ねえ、いま、私のこと、いいなって思ったでしょ。」

そういってチカは満足げに笑った。
チカは一般的にいう、いかにも男の人が好みそうなタイプの可愛い女だったので私はもちろん、いいなと思っていたけども、その彼女の言葉は少し、私の癇に障った。
女の嫌な部分を垣間見た気がしたのは、私にも昔、チカのような少しそういう高慢な部分があったからかもしれない。


食事のあと、
テーブル越しだとわからなかったけれども、近づくとチカの胸元からは女特有の乳くさい匂いがした。

おそらく当時の自分も持っていたであろう匂いなのに強烈に違和感を感じたのは、私が普段男の体臭に親しみすぎていたからだろうか。

興奮してくると、女が干し草のような、日向くさい匂いを発することも初めて知った。

「正直な話、私はレズビアンじゃないから、女の子とそういうことをしていても、性的に興奮はしないんだよね。だけどセックスの相手としての女の子の身体が目の前にあるってことはすごく新鮮だし、楽しいし、そういう意味では興奮するんだよ。自分が指を突っ込んでる部分が、自分以外の女の局部だっていうのは、やっぱりすごく新鮮なんだよ。ほら、ちょっと次元はちがうけどさ、自分がいつも生きて暮らして接しているこの地球っていう球体も、普段は何とも思わないけど、宇宙に出て宙から見たら絶対新鮮で感動するでしょ。見る角度がかわるっていうのはさ、そういうなかなかに感動的な局面もあったりするわけよ。」


見慣れているような、そうでもないような、自分の指を突っ込んだ肉の狭間を見て思う。

これは、誰の身体なのだろうか。
自分でないことはわかっている。
だけどこれは、自分でもある。

結局、私たちの身体には同じようなものがついていて
その使い道もおんなじで

貴方が何をしたいのかも大体わかる。
どういうつもりなのかも察しが付く。

だって身体が同じっていうことは、生きる目的が同じってこと。

だいたいわかる。
誘っているようで、試してる。
どうやったら私が掌で転がるか
どうやったら自分の自己愛とプライドを満たせるか
楽しそうに試している。

こういう声を出せば、断れないと知っている。
した手を装いながら、支配することを狙ってる。
相手がそれを望んでいるとわかっているから。


ほら、
同じ身体を持ってるってことは、それだけ同じようなことを知っているってこと。
同じようなことを、求めてるってこと。

同じ女である以上、本来、身体に組み込まれている生きる目的に、
そんな大差なんてないじゃない。



興奮してせり出してきた女の性器を見て、まるでイソギンチャクやウツボのような海の生物みたいだと思った。咥えられた指が、飲み込まれていく生餌のように見えた。

不思議なことに、私はそのチカを眺めている時、まるで幽体離脱をして自分を外から眺めているような、奇妙で清々しい気分だった。

どこか曖昧だった自分自身に対する認識が固まっていくようなそんな気分だった。
「ほら、お前もこういう、女っていう生き物なんだよ」と誰かがはっきり言いきってくれたようで、なんというか不思議と、納得した。



「なにをもって、女を女と言うんだろうと思うんだよね。ヨーコちゃんは、それは例えば文化や刷り込まれてきた社会的な価値観とかのせいが大きいと言ったりもするけれど、私はあまりそうは思わないんだ。もちろん世の中には男と女の二つの性に分類できないタイプの人たちもいて、そういう人たちに対して男だの女だのの二元論的な話を押し付けるのは全く間違っていると思うのだけど、それはまた別の話でね。仮に基本の性が男と女だとして、その変化形や異形や進化系がLGBTだとした場合の、女の話になるんだけどね、女は個体差はあれ同じ女の身体をしているから女であって、そういう同じ身体っていうのは、結局は同じ目的を持っているんだって思うんだよね。もちろん個人差や程度の差はあるけれど、同じ目的を有する身体を持っているってことはさ、その目的に対してのいろんな情報の求め方や選別の仕方、ものの見方、感じ方、捉え方、発信の仕方も自ずと似て然るべきだと思うんだ。勿論、結果はそれぞれだけど。精神は肉体の一部だから、そういう女の肉体を持っているってことは、物事の求め方や感じ方も女特有のものになっていくわけで。勿論、文化や社会的なものもあるだろうけど、人の精神って、そういう肉体に支配されてる部分が大きいんじゃないかと思うんだ。」

私は私として生きているようで、
だけど実は女としての肉体に支配されて、私自身が決められることなんて実はそんなに多くないのかもしれない。


自分で決めているようで、ほとんどのことを決めているのはきっと女である私の身体なんだ。

 ヨーコちゃんのような、セクシャルマイノリティの人たちが持つ肉体が何を思うか、それはまた別の話だ。
だけど、まったく見当違いな話でもないように思う。
例えばLGBTの人たちの方がもっと肉体の声は複雑なのではないかと、私は思う。
だからこそ、悩んだり苦しんだりすることも多いのかもしれない。

それはまあ、私の想像でしかないのだけれど。

私には私のことしかわからない。
私はいわゆるふつーの女だから、いわゆるふつーの女のことしかわからない。
だけど、そんな私だって、自分の身体に対する認識は意外と曖昧なんだ。
自分と同じようなふつーの女を触ってみて初めて、自分の身体に納得したのと同じように。




「そのチカちゃんとは、その後はどうしたの?」

すこしだけ久しぶりに会ったヨーコちゃんは、以前よりもすこし健康的に見えた。
きっと大好きな彼氏といいセックスしてんだろうな。
ヨーコちゃんは自分のことを、セクシャリティに違和感があるがLGBTではない、と考えているようだが、例えばLGBTのようなセクシャルマイノリティを単なる精神機能を含む肉体の機能的な個性だけではなく、文化や家庭や社会的な外的要因からのものも含むのであるとすれば、その幅はもっと大幅に増すのではないのかと思う。

ヨーコちゃんがそのどこに属すのかはわからないが、それがどこであれ、ヨーコちゃんの身体が有する目的というものもあるのだと思う。それが例えば、とても複雑で矛盾を孕むものであったとしても。


「いや、その後も何回かは会って、演劇鑑賞とか好きな子だったから色々観に行ったりふつーにご飯食べたり、何度かヤッたりもしたけどね、だけど結局さ、癇に障るんだよ。私も女だからさ、その子の手練手管がわかるわけ。ヤッパリそのへんは、ふたりともノンケなんだよね。甘えるふりして優位に立とうとしてんな、とか挑発するようなこと言って私からこういう言葉を引き出したいんだな、とか、あ、こいつ、いま、感じてるふりしたな、とかね。笑 私も女だからさ、その辺はなんとなくわかるんだよ。そういうのは男相手にやれよ・・・なんて思ったね。」

気がある男に対しての女の媚のしぐさを、同性である女が疎ましく思うのと、もしかしたら似たようなものかもしれないね。女の下心にあるしたたかさを、感じ取ってしまうから不快なんだ。


偶然にもそんな話をした数日後、数年ぶりにチカからメールが来た。
実は一年前から、結婚して私の仕事場の近くに住んでいるのだという。


メールをやり取りし、ちょうどお互いの予定が折り合わないことを理由に再会は見送った。

数年間、音信不通だったくせに、自分の都合がいい時にだけかまって欲しがる性格は以前のままだ。
自分勝手な、めんどくせえ女だな。

とは思うけど、きっと顔が可愛いから会ったらまた、いいな、とか思っちゃうんだろうな。

だけど、以前はチカのそういうめんどくさい部分を女として魅力的だと感じていたりもしたけど、なんだか今ではそうも思わなくなってしまった。

いろんな意味で、私も大人になったってことなんだろうな。

つーか単に、年取ったってことなのかもしれないけれど。
(来年は年女です。)