2013/02/28

十年ぶり


「なっちゃんらしいことやってんね!」

十年ぶりに会った美術学校時代の友人に、
今、自分がメヘンディというヘナのボディペイントみたいなのをやってる旨を伝えたら
そんなふうに言われました。

・・・なっちゃんらしい?

そういえば、私、美術学校の版画科時代、どんなもん、作ってたっけ?
なんだか気になって、昔の版画作品をクロゼットから引っ張り出してみました。

あっ あった あった。

なんじゃコリャ。

なんかすごいなコレ。

十数年ぶりに見てみると、意外と衝撃的ですな。


確かはじめての木版作品で、ひたすら楽しく彫った記憶が・・・。
しかしまるで胸を掻きむしられるように楽しく彫ったというのに、
この絵の怖さったらナニ?
しかも当時の自分はコレを怖いなんて微塵も思ってなかったような。
お面のほっぺたにあるホクロって、これワザと彫ったんかな・・。
それとも偶然かな・・・。
タイトルは当時マイブームだった鍾乳洞巡りの名所にちなんだ「胎内くぐり」。
初めての彫刻刀とシナベニヤの感触に嬉々としてあっという間に彫り上げました。

・・・衝撃的です。

上のトップに貼った画像は銅版のちっちゃな葉書大の作品ですが
コレはたしかまだ十代の頃かなあ。
コレも、気持ち悪いなあ。

女体から植物が芽吹いて、花が咲いちゃってますね。
巻き付いちゃってます。
乳首からキノコみたいの生えてるし。
アンダーバストにはイソギンチャク状の生物が。
女体を女体とも思わぬ扱いようです。
どっちも片腕ないし、顔もあるんだか無いんだか。

ある作家さんによると思春期の時期というのはグロテスクなものに興味を抱きやすいらしく、
そのグロテスクな物に対する興味の根っこには
丁度同じ時期に芽吹いた性欲が関係しているとかいないとか。

まあ、思春期っつったって私のこの作品はハタチ前後のものですけどね・・・。


そんな感じで見てみると、

・・・ああ、たしかに。

メヘンディも私の場合、同じような系統かもね・・・。

カラダに色んなものを巻き付かせたいのです。

何故か不思議と最近、通過点と認識していた過去の自分と、
もう一度手を繋げるような、そんな気持ちになってきています。

この時、十年ぶりに会った友人たちと数人で、
6月に吉祥寺でグループ展をやることになりました。

マエダはメヘンディの写真と実技で参加予定です。






2013/02/21

渋谷にて


先週末、バイブレーターにまつわる女性限定のトークイベントに参加した。

この場合のバイブレーターはいわゆる「大人のおもちゃ」のソレである。

女性が選び女性が売る、女性による女性のためのアダルトグッズの
輸入販売を手がける会社の社長が企画した、
参加者20人ほどのアットホームなイベントだった。

渋谷の道玄坂を登りきったあたりに位置する、
こじんまりとした女性限定のバーで行われたそのイベントは、
数々のお洒落な高性能バイブを囲みながらの女性だらけの座談会といった感じ。

当然のことながら、話題はセックスやオナニーの話に終始した。
本当はこれだけではなく、
ジェンダーや女性論の話が一貫してこのイベントの基盤になってはいるのだが、
基本的にエロの話は小難しく考えなくて済む事ならば考えない方がいいとも思うので、
あえてここには書かない事にする。
バイブレーターはお洒落で気持ち良くよく働き、
壊れにくければもうそれだけで充分なのだ。

このイベントで、主催者の女性が何気なく口にした話が大変おもしろかった。

「高校生の時にさ、女友達とふたりで中央線に乗ってたんだよね。
 ふたりで電車のつり革につかまっててさ、フツーにおしゃべりとかしてたんだけど、
 不意になんの前触れもなく、友達が言ったんだよね。
 『あんたはさ、どうやってオナニーしてんの?』って。」


・・・


「フツーにさ、車内に乗客とかいるんだよ。
 びっくりして一瞬、どうしようか迷ったんだけど、なんかフツーに堂々と答えたくてさ、
 フツーに答えたんだよね。
 『え? シャワー。』って。」


・・・


「国分寺から電車に乗ってたんだけど、そのあと友達はひとりで三鷹でおりやがってさ、
 私は新宿まで乗らなきゃいけなかったから、さすがに人の視線が痛くて車両は変えたけどね〜。あはは!」


あはは! と いうか、
私はこの話を聞いてあることを思い出してしまった。

以前、ちょっと仲良くなった顔見知り程度の男に、こんなことを聞かれたことがあった。

「ねえ、ナツコちゃんってさ、オナニーとかするの?」

私は相手が男でも女でもエロの話はいつでも歓迎するが、
大して好きでもない男にあからさまにエロ話を持ちかけられるのは、
実はあまり好きではない。
この日も目の前の男と楽しいエロ話を掛け合う気はさらさら無く、
冷たくぶった切ってやることにした。

「はい、毎日、朝晩しますけど? 日課みたいなもんですから。」

だからなに?みたいな感じで無表情で返してやったら、
男は、へえ〜そうなんだ、すごいね・・・みたいな感じで
それ以上は私に話を振る気を無くしたみたいで、急に無口になった。

実は当時、私はそこまで精力的にオナニーをしていたわけでは無かったのだが、
そんなことを馬鹿正直に目の前の男に申告したところで、その私の申告を肴に、
男は勝手に頭の中で自分もオナニーを始めるだけなのである。

何故、大して好きでもない男にオナニーの餌を提供してやらなきゃならんのだ。

きっと、「ねえ、なつこちゃんってさ、オナニーとかするの?」
と聞いて来た男が欲しがっていた餌というのは、多分、
女の恥じらいのようなものなんだろう。

男は、女が自分の欲求に恥らって、それを隠そうとするところをみたいのである。
弱みのように恥を隠した女の、隠されたそれを暴きたいという欲求が、
きっと男にはあるんだろう。

なので過少申告どころか過大申告してきた私に対して男がその後興味を失うのも、
当然といえば当然である。
望んだ餌を与えてくれないと解れば、誰だってその人間には興味を失うのだ。

しかしそれを解っていながらも、そして解っているからこそ、
私はそういう男の欲求を露呈されると大変しらけて、
つい、冷たい態度をとりたくなってしまう。


「・・・え!・・・オナニーですか? 
 え、そんな・・・。しませんよ、そんなこと・・。」

なんて感じで、ちょっと恥ずかしそうに、
されど普段はそんな恥ずかしい事はしないけど、
たまに我慢できなくてちょっとしちゃう時があるんです、
みたいな雰囲気を漂わせて話を繋げれば
きっとその男は喜んで私のオナニー話を自分のオナニーの餌にしてくれたことであろう。
だけど、私は別に好きでもない男にそんな恥という最高級の餌を蒔いてやるような、
そんなやさしい女じゃないんだ。ごめんな。

てゆーかその前に、本来、男女間のエロ話というのは余程お互い気を許せているか、
興味を持っている間柄でないと難しいと思うんだよ。
ちゃんとした男はそこらへんの加減がよくわかってるから、
時期的に女がそういう話を楽しんで受け入れるようにならない限り、
そういう不躾な話は振ってきたりはしないんだ。

そういう不躾さに、なんかその時はきっと、負けたく無かったんだよな。

バイブレーターのイベントで、
主催者の女性が披露した「シャワー」の話は、
この私の話とは大分違うものではあるのだけれどなんだか妙に心に残る話だった。

店内で紹介され賞賛を浴びる数々のカラフルな高機能バイブレーターはすべて、
女が、女の欲望のために作り上げた世界のように見えた。
それを男のためと妄想するのは、浅はかな男たちの驕りだろう。

女の恥も欲望も、
それはすべて女が自分たちのために求め消費するためのもの。

女が持っているものはすべて、
死ぬまで女のものなんだ。










2013/02/14

おもしろい話


「そろそろブログを更新したいんですけど、なんかおもしろい話、無い?」

と、友人のMさんに聞いてみた。
Mさんは不動産関係の会社を経営する56歳の男性である。

おもしろい話、無い?なんて聞いてみたところで
別にどうしてもおもしろい話を期待していた訳ではなく、
私としてはただそんなちょっと無茶な振りにMさんがどう反応するかが見たかっただけである。
大体、おもしろい話を人に要求するという事自体が失礼な話であって、
しかもおもしろい話をいつもストックしている人間なんてそうそういるもんじゃないし、
それにもしいたところでそんなふうに他人が「これ、おもしろいだろ!」って提供してくれたものを素直にそのままおもしろがれるような、私はそんなかわいい人間じゃ無いんである。

付き合いの長いMさんは私のそういうところをよく知っている。
一回ワハハと大きく笑った。

「この間、おもしろい夢を見たんだよ。」

夢の話かあ。と一瞬思った。
夢の話は、おもしろさを人に伝えにくい。
夢というのは本当にその人個人のものであって、
しかもとても精神的なものなので、肌身の実感として共有しにくいのだ。
余程、その話す本人に対しての興味が無い限り。


「夢の中でさ、俺は蝶チョを捕まえるんだよ。
 ひらひら飛んでるのを、綺麗だな、と思って捕まえるんだ。
 そしたら、手の中で蝶チョが色んな動物にどんどん姿を変えていくんだよな。
 最初は蝶チョだったのが、鳥になって俺のまわりを飛び回ったり、
 猿になって屋根の上に駆け上がっていったり、あと、女の人にも変身してたな。
 俺の手の中で急に女の服がはだけて、おっぱいがぽろっと出ちゃったりしたから、 
 ほらほら、だめだろ、って俺が服を直してやったりしてさ。」


・・・


この夢の話で私が気になった事はただひとつ、
蝶だの猿だのというのは特にどーでもよく、
ぽろっと出た女のおっぱいを、
なぜMさん自身が服を直して隠してやったのかということである。

女のおっぱいがそこにあったとするならば、
愛でるか触るかするのが筋だろう。
ぽろっと出たおっぱいを隠してあげることがあるとするならば、
それは娘のおっぱいか、もしくは他人の目を意識しての道徳的な精神からか。
そうでなければそれが自分のおっぱいである場合かだと思うのだ。

ねえ、なんで女のおっぱいを隠してあげたの?とMさんに聞いてみたら、

「え?だって、やっぱり、それはダメでしょ。ダメなところは、ダメなのよ。」

と、なんというか理屈にならないそんなことを言っていた。

いや、その、なんでそれがMさん的にダメなのかが、
私的にはその夢の話のおもしろいとこなんですけどね。

しかしMさん的には別にそこらへんはどうでもいいことらしく、
その夢は自分の変身願望の現れなのかなあ、なんてそんなことを呟いていた。

もしMさんが言う通りその夢が変身願望の現れであるとするならば、
そのおっぱいはMさんのものということになり、
さらにおもしろい話になっていく気がするのだが。
だけどその日、吉祥寺の和食屋で気持ち良さそうに日本酒を頬張るMさんを見ていたら、
なんだか自分のおもしろさの追求はどーでもいいような、そんな気がしてきてしまった。
人と話している時は、とりあえず相手が楽しそうならそれでいいのだ。

勝手に私の中に想像した白々とした小振りのおっぱいを肴に、
その日は私も少し、日本酒を呑んだ。










2013/02/06

トンカツ屋にて



ちょっと前の話になるけども、お客さんからおもしろい話を聞いた。

「国分寺の駅ビルにさ、トンカツ屋の和幸ってあるじゃない。
 この間トンカツ食いたくてね、和幸の店先のショーケースの前で
 メニュー眺めながら何食おうか考えてたんだけど。」

このお客さんは有さんという60代の男性で、マエダの古くからのお客さんである。
職業柄か話し方が上手いのでどんな話でもこの人が話すとおもしろいのだが
この話は格別におもしろくかなり印象に残った。

「でね、国分寺の和幸の店先で、
 今日はヒレカツでも食おうかなとか俺が考えてるとこにさ、
 不意に30がらみの女が近づいてきてね、
 一緒にメシを食ってもいいかって、聞くんだよ。


・・・


「別に断る理由もないからあいまいにうなずいたら席までついて来てさ。
 俺がヒレカツ定食かなんか注文したらその女はなにも注文しないで、
 なんだか勝手に話しはじめて」


・・・


「どこまで帰るの?とか私はまだ西武線に乗り換えなきゃいけない、通勤が大変、とか
 その女が勝手に話し出してね。『御馳走になっていいかな』って聞いてきたから」


・・・


「なんで俺が貴方におごらなきゃならないの?ってはっきり言ったら、
 『どうも話が合わないみたい』って言って、席立って去っていったんだよ。」


・・・


有さんの話によると、その30がらみの女はハッカのような不思議な匂いを残し
その場を去っていったという。
「ハッカみたいな匂い」に彼は話の中で妙にこだわり、
あれはなんの匂いだったんだろうなあと首をかしげていたので
彼の中ではその匂いが妙に強い印象として残ったんだろう。

それにしても、「大体年頃が30歳くらいの女」を「30がらみの女」と表現するのはやめて頂きたい、
なんというかちょっと必要以上に歳を重ねた女のすえたニオイみたいなモノまで漂ってきちゃうじゃないですか、その言葉だと。

・・・と、一応、30がらみの女である私は有さんに意見したのであるが、
それに関して有さんは特に関心が無いらしく、どーでもいい感じであった。

有さんに声をかけたこの30がらみの彼女は
おそらく話が上手く合えば、お金を頂いて数時間床を共にするつもりだったのだろう。

「もうちょっといい女だったら、御馳走しないでもなかったんだけどね。
 残念ながら、あの店は照明が明るいのだ。」

と、いつでも美女には不自由しない有さんは言っていた。

この話をきいてから、妙に国分寺のトンカツ屋の和幸が気になり、
今年の初めにトンカツを食べにこの店に寄った。
私はヒレカツではなくいつでもロースカツ派なので
お正月ということもありちょっと高価ななんとか豚のロースカツ定食というのを食べた。

勿論、私がひとりでトンカツを食べてても声をかけてくる女はいなかったけどね。

世界のいたるところで春を売りたがる女たちは客を探しているのだろうけど
それがこの国分寺のトンカツ屋であったということが、
私的にはなんともほほえましく、うららかであったのだ。


ちなみに、以前私はこの彼に「美人で力持ちのタイ式マッサージ師」と形容されたことがあり、
そのちょっと小粋な呼び方は今でもとても気にいっている。