2015/09/03

猥褻


「猥褻」という言葉をwikiってみたら、
「社会通念に照らして性的に逸脱した状態のことをさす。」と冒頭にあり笑ってしまいました。

なるほど、むやみに人を興奮させちゃうと社会的な秩序に支障をきたすからなのね。

強い快感も不快も結局はどちらも欲望を刺激されてるってことだから
人間が生きていくのに不可欠な要素であるわけだけど
過剰になると秩序が乱れるってことなんだよね。

秩序の規範となる理性は、結局は欲望には勝てないってことなのかしら。

***

先日、春画にまつわるあれこれをネット上の記事で読んでいたのだけど
「春画はもはや猥褻物ではなく日本が誇るアートだ!」
なんていう阿呆なコメントをみつけてしまった。

・・・そんなコメントをつける人間に春画の素晴らしさがわかるとは到底思えないんですけど・・・!

阿呆だコイツ。

正しくは「日本が誇る猥褻物であり、また芸術でもある春画」だと思うのです。

欲望を刺激しないものが美しいわけあるか!

綺麗なものが素晴らしくて、汚いものには価値がないなんて、
もしそんな世界があるとしたら
間違いなくそんな世界には人間もアートも存在できない。

中庸が、社会や秩序を形成する要素と成り得るなら
過度に刺激の強いものを敢えて日常に晒す必要はないけれど
だからこそ日常以外の場所で、そういう場所が必要になってくるわけでしょう。
たとえば創作とか妄想とか、アートとか。
人間が、人間そのままでいられる場所。

たしか今の日本での出版物の猥褻の定義って性器が写ってるかどうかってことだったと思うのですが、
私がこの世に誕生した時に通って来たあのぬめぬめとした産道の入り口が猥褻物と定義されてる不思議。

きっといつだって
ひとが畏れるものと崇拝するものは同じ。
キライなのは、実はそれに支配されていると気付いているから。
スキなのは、すでにその力に魂を委ねているから。

人が生きることの、根幹に関わるものほどタブーになる。

その本質を忘れて、「猥褻」や「アート」を語るのも不毛だと思うの。