2013/05/26

配分



今日のマエダ家の晩御飯はカツオのタタキに麻婆豆腐でした。

いつも思うんですけど

カツオのタタキって、白御飯に合いますよね、
だって生魚に醤油味っていう鮨に代表される日本食ならではの味覚の黄金ペアですから。

そして麻婆豆腐も、白御飯に合うんですよね。
肉とやや癖のある香辛料の香り、
そして中華ならではの濃いめのはっきりした味付けは
甘みのある白御飯が隣にあってこそのおかずではないかと。


だからこそいつも思うんですけど


ねえ、白い御飯の配分って、こういうとき、どうしたらいいの?


白御飯がお茶碗一杯では、おかずが余っちゃうんですよ。
カツオと麻婆豆腐を白い御飯と共に思う存分味わうには、
明らかに御飯一杯では気持ち的に足らないんです。
両おかずとも、それのみでは無く白米とともに食してこそという種類のおかずなんです。

じゃあ白御飯を二杯食べればいいじゃん、なんてそんな簡単な話じゃないんですよ。
私にだって一度に食べたいと思う適切な米の量っていうのがあるんですから。
それこそその御飯に合うおかずがカツオと麻婆豆腐ではなく
漬け物と明太子くらいの組み合わせであればそれも可能かもしれませんけど
カツオのタタキと麻婆豆腐なんていう片方でも余裕で主役クラスのおかずが二つ並んだ日には
一杯の御飯でどうこの二つのおかずに失礼の無いよう立ち向かうかってハナシなんですよ。

おかずのどちらかが野菜の煮物とかサラダとか
御飯に合わないものならなんの問題もないのにね・・・。


よく、民宿の朝御飯なんかでもありますよね。

塩鮭と納豆と生卵と海苔、みたいなやつ。

ねえ、これって、みんなどうやって一杯の御飯で制覇してるの?

納豆と卵、みたいな感じで組み合わせてるの?

じゃあ海苔はどこで食べればいいのだろうか・・・


豚肉の生姜焼きに、焼き茄子なんてのも同じ理由で組み合わせ的に、困る。

鯵の干物に、キムチも困る。

青椒肉絲と餃子なんてもってのほか。


生卵を食卓に出した際には、
お願いだから刺身とかアジフライなんて出さないで頂きたい・・。


どちらか片方だけなら、白い飯も、その飯に合うおかずも、
気持ち的に無駄無く存分に味わえるというのに。


なんだろう、このもったいない感・・・。


自分という女ひとりに対してカッコいい男がふたりいる感じっていうか。

一見 御馳走なのに、実際はちょっと持て余すってそんな感じ。
ああ、身体がふたつあればいいのに!

男ふたりに茶碗一杯程度のちっちゃな女では無理でしょう。

思いきって器をどんぶりくらいに格上げしてみるか

身の程を知って男はひとりにしておくか・・・



結局、味わうべきところは妥協無きところで
少しの無理くらいはいとわずの精神で
カツオのタタキと麻婆豆腐は御飯二杯で完食しました。










2013/05/02

闇への供物


本当は、村上春樹の新刊の多崎つくるさんについて書きたかったのですが

読んでないので、最近、知人に勧められて読んだ官能小説の話を書きます。

別にえろい話ばかり書きたいわけじゃないのですが
てゆーかむしろできるだけ話がそちら側にばかり傾かないように
いつも気を使っているのですが

とにかくその読んだ官能小説がとってもおもしろかったからさ。

いや、正直、いままでそっち系は全然興味無かったんですけどね。
その小説は知人が編集して今月、書店に並んだということなので
この機会に官能小説デビューしてみた次第です。

実は私、意外と小説の中の文章によるエロ描写とかって苦手なんですよ。
あまりに詩的に美しく書かれてもなんか笑っちゃうし、
感情的に陶酔して描写されても引くし、
てゆーか、そんなの真剣に美しく描写しなくてもいいと思うんだけど・・。
だって美しいか?・・・あのような行為が。
いやしかし、見る人がみたら美しいのかもしれないが。

あとさ、小説のそういうシーンにありがちな局部の正式名称表記もなんかアレじゃない?
例えどんなに真剣で感動的な場面でも、局部の正式名称はマヌケなのよ。
正式で真剣でも、それはいつでも、滑稽なのよ。
そんなの、わざわざそんな中学生の保健の教科書に載ってるような単語で描写しなくったっていいじゃん・・・。
って思うのって、私だけ?
あの単語はその真面目さゆえに滑稽なのよ。
だったらむしろ、俗語の方がいっそ清々しい気がするというものを。

そういえば村上春樹のあの情緒的なセックス描写もちょっと気持ち悪くてイヤなんだよね。
村上春樹の小説は好きなのでよく読むんだけど、
前回の1Q84はそこらへんが、なんか気持ち悪くてイヤだったんだよな。
田口ランディのカラっとした情景描写的な書き方は結構好きなんだけど。

まあ、そんな感じなもので、
今まであまりその官能小説というジャンルには手を伸ばしたことが無かったのですが。

いやしかしコレは大変おもしろかった。


千草忠夫の「闇への供物」。


なんてゆーかね、
文章がすごく綺麗なのよ。

だけど綺麗って言ったって、
比喩とかの表現が美しいとかそーゆうんじゃなくてさ
なんつーか、言葉というツールを使いこなしているというか
言葉を使うことの必要性をちゃんと感じられる文章というか
難しい言葉を使ってるわけじゃないのに
使われてる言葉のひとつひとつにちゃんと作家の意図や美意識が生きてるというか
まあ、そんなかんじ?


なんかさ、小説を読む時って、
内容は勿論重要だけど、文章の綺麗さって超大事だよね。
言葉の選び方とか、リズムの取り方とか、
綺麗な文章は、例えそこに意味なんか無かったとしても、
読んでるだけで気持ちがいいんだよね。

音楽みたいなもんだよね。


・・とは言っても
この小説を音楽に例えたらまあ、
かなりハードなので間違いなく、
休日の朝に聴く軽いボサノバとかではないのですが。

てゆーか、ボサノバどころか舞台が寺とかだから、

・・・般若心経?

そうそう、この「闇への供物」と同時に数冊の官能小説を読んだ私の好みから言わせてもらうと、
官能小説の舞台はやっぱり都会より田舎町がいいね。
そして現代より、やや昔っぽいのがいいね。
で、男はスーツ姿の商社マンより、寺の住職がそそるね。

まあ、官能小説というジャンルに属するわけなので
一冊まるまる文章はほぼエロ描写なわけなんですよ。
そして帯や裏表紙には一切何も書かれてないけど、
コレ、明らかにSM小説だから・・・。

SMに全く興味が無い人には勧められないけど
SMってなに?みたいな人にはお勧めかも。

いや、別に勧めるためにコレ書いてるわけじゃないんだが。
あ、てゆーか、正直おススメはしない。
女、子供は読んじゃいけません。

怖いから。

えろいっていうより、これ、怖い。
後味がね。

しかしコレと同じ時期に読み始めた館淳一という作家の官能小説は、
正直言って、笑っちゃうくらいにおもしろくなかったのよ。
読んでいてこの作家が変態なのはよくわかったけど、
官能小説にもかかわらず興奮できるほどエロくもなければ
小説として読み応えがあるってわけでもなくてさ・・・。
いや、私はこの人のは二冊しか読んでないけどね。
まあ、好きずきだよね。

だからさ、同じ官能小説でも、色々なんなんだなあ・・・
なんて思った次第です。

読んだよ、すごくおもしろかったよ、と
この「闇への供物」を編集した知人に伝えたら、

「だろ? おもしろかっただろう。オナニーできたか?」

と訊かれたけども、

正直、真剣に読みすぎてそれどころじゃなかったよ・・・
なんか内容がハードすぎて必死で読んでたっつーか・・・
どう考えても無理だろう、こんな深く濃い物語でオナニーとか。

え? てゆーかナニ?これ、シリーズものなの?
コレで終わりじゃないの?

あ、そうなの、全5巻、なんだ・・・。

なんか私、もう、お腹いっぱいな感じなんですけど。