2016/12/12

愛の説明

photo by maeda natsuko

私は、自分が産まれてくる前の気持ちを少しだけ覚えている。

肉体を持ち産まれてくることを、
肉体を持つことで味わえる様々な感覚や感情を経験することを、
私は産まれて来る前から、多分母の身体に宿る前から、
心から楽しみにして、わくわくしていた。

早く産まれてきたかった。
肉体という重さを味わうことが、楽しみでしかたなかった。

私はその感覚を、今でもたまに思い出す。

肉体を持つことに対する、憧れの感覚。


*****

先日の、二度目の大阪でのヌードメヘンディの撮影で、
ふいにまたそんな感情を思い出した。

この撮影は私と友人のメヘンディ描きのTARAちゃん、
そして写真家の高田一樹さんの三人で行われたので、
きっとそれぞれに三様の思うところがあったと思うが、
私はまあ、そんなことを考えていた。

肉体という「重さ」に対する愛おしさ。

重さのある世界に生きることの幸福。

肉体は重くて、立ち上がるのにすら重力に逆らうだけの筋力がいる。
肉体は、損なえば痛く苦しい。
食べなければ保ち続けることもできないし
死ねば醜く腐るし臭いし汚い。

肉体があるからどんなに焦がれても他人とはひとつにはなれないし
だけど肉体がなかったら初めから境界線もなかったわけだから
出会うこともヤルことも別れることもなかったわけだ。
境界と摩擦の熱を楽しめる幸福。

舌があるから隣で寝てる男の汗の味もわかる。
眼があるから光の色も見える。

皮膚があるから抱きあうと気持ちがよくて
たまに破けば血が流れる。
生暖かいのは血ではなく自分の身体そのものだと気付く。
痛いのは自分の身体が生きているからだと。

さすがに覚えてはいないが、最初にこどもが母の子宮から出てきて
初めての呼吸をする時って、肺や気道が刺すように痛いのではないかと想像する。
初めての、空気の刺激なわけだから。
私はきっとそんな痛みにすら憧れていたのではないか、と。

身体に絵を描いたり描かれたりするのが好きなのは、
自分の身体の輪郭を確認したいから。
肉体の輪郭は、そのままその人の命の輪郭になる。
肉体に命が宿るわけではなく、肉体そのものが命なのだと思う。

私が人の身体に描くのが好きなのは、
別にそれを通して何か表現したいことがあるわけではなく、
単に肉体を、命の艶を愛でるその作業を楽しんでいるだけのことなのだと思った。
大好きな白御飯を昨日も食べたが、それは美味しいから食べたくて食べただけのこと。
私にとってはメヘンディも、ただそれだけのこと。

SでもMでもないのに鞭で打たれるのが好きなのは、
肉体の痛みが、精神を支配するということを感じられるから。
精神は、決して肉体には勝てない。
肉体の痛みの前では、精神の尊厳なんか意味をなさない。
生きていることのほとんど全ては肉体に支配されているということを、
感じるだけの時間。

私は肉体が持つ感情という波に振り回されることを楽しむために、恋をする。
人を憎んだり、求めたり、他者とは決してひとつにはなれないと、
悲しむことを楽しむために、人を愛する。

自分の肉体をたしかめ、愛おしむためにたまに病気になり、
ほかの生き物たちの生命力を自分の肉体の糧にするために、今日も私は食べる。
食べたものでしか、自分の肉体は作られていないことに気付く。
生き物を殺すことでさらに生きる、自分の身体の強さと尊さを知る。

肉体と戯れているようで、実は肉体を忘れるためにセックスをする。
同化する錯覚を味わうために。
快感が増すほどに死にたくなるのは産まれてくる前の世界に戻りたいから。
自分の存在なんかどうでもよくなるくらいの同化願望。
同化するためではなく、同化を渇望するための、肉体の欲求。

私は肉体を持ちながら、重さのない産まれてくる前の世界に焦がれることを、楽しむ。
私が産まれて来る前に、この肉体に焦がれたように。

いまここに無いものに焦がれる。
自分ではないもの全てを手に入れたいと求める。
有ることが幸福なのではなく、求めることが幸福なのだと、
未だ解りきれない私はいつも、すこし辛くて不安で悲しい。