2013/08/17
時間
人の話を聞くのは楽しい。
とてもたのしい。
今まで自分が漠然と信じていたことが
ある友人の一言でいきなりくつがえされたり
自分が眼にも留めてなかったことのおもしろさに
不意に気付くきっかけになったり
逆に自分が命をかけて大事にしていることを
親しい人に冷たく「くだらないね」とぶった切られる驚きも、
自分ひとりの世界に閉じこもっていたら決して味わうことはできない。
価値観がひっくりかえされたり広がったりするたびに、
自分という域を少しずつ、超えて行ける気がする。
自由になれる、そんな気がする。
「僕はさ、過去っていうものをすごく大事にする人間だから、
例えばその過去を否定しなければならないような価値観の転換とかには少し躊躇することもあるんだよね。
基本的には、あまり固定観念とかで自分を縛るタイプの人間ではないんだけども。」
下北沢のカフェで、
最近仲良くなった祥くんはお茶を飲みながらそんなこと喋っていた。
祥くんは私と同い年の33歳。
6月の吉祥寺のグループ展にきてくれたのが初対面で、
なんとなく喋って仲良くなった。
「お茶でも飲みましょう」との彼の誘いに応じたのは、
芳名帳に書かれた彼の住所の部屋番号が私のと同じ「208」だったからである。
208は好きな数字なので、なんとなく親近感が湧いてしまった。
まあなんというか、人との出会いなんてのは得てしてそんなもんである。
「ちっちゃな過去の積み重ねでさ、今の自分という人間ができあがるわけでしょう。
僕にとっては、それがとても大事なことなんだよね。
たとえばさ、今日、僕がこのカフェに入ってお茶を飲んだとするでしょう。
そしたら、今日、このカフェに来るために通らなければならなかった道を通って、
このカフェに入らなければ見れなかったものを見て、
今日このカフェに来なければ出会えなかった人に会ったりするわけなんだよね。
そういうちっちゃななんてことない選択が、自分のこれからの時間を作っているんだと思うんだ。
このカフェに入った時から、僕には今、このカフェに入らなかった人生、っていうのは存在しなくなるんだよね。」
そう言って、祥くんは眼の前に置かれた冷たい蓮茶を飲んだ。
店に入った時、彼はオレンジジュースが飲みたいなあと言っていたのだが、
私が蓮茶が美味しいから蓮茶にすると言ったら、
じゃあ僕も蓮茶にする、といって蓮茶を注文した。
「なんか、蓮茶が飲みたくなったから。」
どうやら彼は、そのとき蓮茶を飲む人生を選択したようである。
たとえそれが意識的でも、無意識であっても、それは彼の選択だ。
彼の時間は、彼が紡ぎ出していく。
「もし、今日、家を出る時に右足から出たとしたら、
もう僕には、今日右足から出なかった人生は存在しないんだ。」
そうやって、彼の時間は積み重ねられる。
流れるのではなく、自分の手で、創られて築かれていく。
意識して自分で右足を踏み出せば、
それはその人にとっての世界の創造の一歩だろう。
だけど無意識に踏み出した右足も、確実にその人の道をつくる。
それはどちらも、他でもない自分の足跡だ。
そして踏み出した足跡の数は、その人の時間そのものになる。
「だからさ、たまに電車とかに乗ってて電車が大きく遅れたり止まったりすると、なんだかちょっと嬉しくなっちゃうの。周りの人たちはみんなイライラしたり怒ったりしてるけどさ、僕はなんかちょっとワクワクしちゃうんだよね。だって、これから、電車が止まったことでしか会えなかった人や、出会えなかった出来事に出会えるわけじゃない。」
そう言って祥くんは、
空になったグラスを持って笑った。
過去が大事だと話す祥くんは、
きっとそんな自分の足跡を、自分の手で重ねた時間を、
きっととても愛しているんだろう。
彼にはきっと、退屈な時間なんて、無いのかもしれないね。