2014/06/28

拘束


7月24日からの「玩具館・三隣亡」という初台での展示イベントで
メヘンディで参加させてもらう予定だったのですが、
有り難い事に最近作っている拘束具も展示販売させて頂くことになりました。

ちょっと不思議な雰囲気の場所での展示なので
なかなかテイスト的にはハズしてはいないのでは、と個人的には思っています。

まあ、基本、拘束具ってよりもアクセサリーって感じになるとは思うんですけどね。

そういえば先日、友人のMさん(50代男性)に言われたんですよ。

「最近、マエダさんが作ってる首輪とか手枷とかあるじゃん?
 アレってどうやって遊ぶの」

「・・・どうやってっていうか・・・どうやってって言う以前に、
 ああいう道具を見て興奮できるかどうかって事だと思うんですけどね。
 女の人はああいうのを付けてるだけで楽しいって言う人も結構いるし、
 必ずしもセックスの興奮に結びつかない人もいるし。
 だけど、どっちかっていうと、男の人の方がアレを女の人に装着してどうやって遊ぼうか、
 想像できるんじゃないかと思うんですけどね。
 結局、女の人を拘束するってことは男性が主導権を握るってことだから。」

「おもしろそうだよね。」

「でしょう。」

「うん、欲しいね。一式 つくって。」


意外にも初めての、本来の目的でのオーダーが入りました。
コレ 意外と嬉しいもんです。
まあ勿論、どんな目的だって頼まれれば嬉しいもんなんですが。
ちなみにこのMさんからは使用後、
「手綱部分を鎖じゃなくて革にできないかな?手にもって、軽くお尻とか叩ける感じのさ。」
なんて画期的な提案までして頂きました。
やはり一度使ってみると想像力も刺激される様子。

まあ、とはいっても基本こういう拘束具って、
女の人が付けたがる場合はナルシズム的な要素が強い気がするんですよね。
後からMさんに聞いた話によると、
Mさんの彼女もなかなかこの拘束具一式がお気に召したようで、
装着した時に写真を撮ってとせがんだそうです。
肉体的な拘束感がどうこうという以前に、
そういうものを装着している、普段とは違う自分がどんな風に見えるのかという、
結局は女性にとってはアクセサリーの一種なんですよね。

勿論、拘束される感覚が好きだという女性もいますけどね、
私もそうですが。

女性の場合はホントに理由や目的も様々なんですよ。

「彼の欲求に応えたいから。」とか

「美しいから」とか

「何も考えずにいられるから。清らかな人形みたいに。」とか

「何もしなくていいし考えなくていいからすげーリラックスできる」(私)とか


まあ 勿論、SMの世界にありがちな男に拘束されているという状況に興奮する、
という理由も人によってはあるんでしょうけど、
それはどちらかというと男の妄想によくあるパターンじゃないですかね。
女性の側からすると、必ずしもそれだけではないように私は感じますが。

拘束されているっていうのは一時的にも自分以外のものに従属しているってことで、
意志決定の権利も義務も拘束されている側には無いわけです。
それを、心地いいと思うかどうかなんですよね。

従属しているとある意味、楽なんですよ。
自分で考えなくていいわけですから。

「てゆーかさ、そもそも何故、誰かに従属したがるのかが私には理解不能なんだけど。」

超健全な女友達のひとりがそう言ってきたのですが


・・・ま、まあ、
そりゃそうだよね・・・。

自分で何かを決めたり自分の好きなように動ける権利をたとえ一時でも
放棄することを楽しんでるなんて、およそ人間らしからぬ行為といいますか。

「うーん、そうだね。きっとさ、従属するのが好きな人って、
 自分に自信が無いか、相手に合わせるのを愛だと勘違いしてるか、
 主体的に生きるのがめんどくさいのか、そのどれかなんじゃないですかね。」

「そうか・・・たしかに、自分で全部決めて生きるのって大変だよね。」


そうそう。

まあ、少なくとも私はそんな感じですよ。
通常、自我が強過ぎるんで、たまには主体性を捨てたりしたいんです。

なんかあんまり色っぽく無い理由ですみませんね。

まあ、「美しいから」と答えたとあるSMショーの彼女のように、
拘束や従属を官能とか官能美に見立てて陶酔して行く色っぽい方々も勿論いますが
そういうエロティシズムは最終的に死に向かっていくからね。
そういうものに捕われるのは、私はあまり好みじゃないんだよな。
「生きる」ということを生の側から見るか、死の側から見るか、
そのどちらから見てるかってただそれだけの違いだとは思うんですけどね。


ちなみに、来月の展示の案内はこちらです。



最近はこんな拘束感強めなヤツも作ってみました。
こんなのを含めて何点か出しますのでどうぞよろしく。




また、追って詳細は告知しますね。