2014/01/21

御祝儀


「人生初の『ご祝儀を渡す』という行為にとまどっているの。
 昨年、結婚式に出たときは会費制で御祝儀不要だったから。
 ねえ、2万円じゃダメなの?ダメなの?って、何度も心の中でリフレイン。
 ・・・3万円包みますけど。
 みんな、御祝儀ヤメて会費にしてくれたらいいのに。」


知人の結婚式を控えた友人がツイッターでぼやいていた。

 
わかるわかる。


なんか「御祝儀」ってさ、存在自体がイヤラシいのよ・・・。

「贈る」ものでありながら、
送り側の好意に全てまかせてくれない感じってゆーか。
贈り物だけど、義務なんでしょ。
任意だけど、金額まで決まってるんでしょ。
だったら「御祝儀」なんて名前で呼ばなきゃいいのに・・。

どうせなら、「3万円ちょーだいね!」って、
はじめから言ってよ!!

それなら気持ちよく「ハイ、3万円!」って払えるのに!

「贈る」という名目の義務の3万円ではなく、
義務であるならば「会費」という名の会場必要経費として払いたい。
もしくは完全に送り手まかせの好意のプレゼントとして贈らせて頂きたい。

まあ、いいんだけどさ。
世間の良識のある方々の間で培われきた日本の文化の一端だと思えば
そのようなものにいちいち文句付けるのも大人げないですからね。


結婚式と言えば、思い出した。

昔、手元にお金が無い時に友人の結婚式に行かなければならず、
引き出しの奥に眠らせてあった二枚の聖徳太子の旧一万円札を包んで
結婚式に出向いたことがあった。

相場が三枚、ということは当時若くて常識知らずだった私でも
うっすら知ってはいたのだが、まあいいやと思って渡した。
(ここらへんが常識知らずなんだね・・)

式の後もちょっとだけ三枚ではなく二枚しか渡していないことを気にしてはいたのだが、
その時その祝儀の受取手だった友人がその聖徳太子の一万円札をいたく喜んでくれ、
それはもう大変に喜んでくれ、
それが二枚だろうと三枚だろうとまったく気にしていない様子だったので、
それはそれでヨシとした。

聖徳太子は一万円分の働きをしてくれたということである。


「・・・なんだか、それを聞いたら諭吉ではなく聖徳太子を包みたくなってきたよ。」


そうでしょう、そうでしょう。

だけど、そうそうお目にかかれるもんじゃないからね。
聖徳太子はそこらへんのスーパーとかでフツーに使えるかどうかもわからないし。
だからこそ、私の引き出しの奥底に眠っていたわけだけど。

そんな聖徳太子の話は私の脳みその隅にこびり付いてた
ちいさな思い出みたいなものだったのだが、
友人はどうにもその聖徳太子が気になったらしい。

聖徳太子の一万円札の存在を確認するためか、
ネットで検索をかけていた。

ていうか、もしや聖徳太子を手に入れて、
今回の御祝儀に包もうとしているのか・・・!?

ありえる。

御祝儀袋に「三万円」ではなく「三億円」「諭吉三兄弟」と表記するという
ある意味子供のような非常識さを持つこの友人なら、
己の自慰的な喜びのために、多少の労力は惜しまないであろう。



「・・・今さ、ネットで聖徳太子の一万円札探したらさ、一万五千円で売られてたよ!」



・・・!!


「つまり、聖徳太子×2名=3万円だったわけだよ!
 結果的に三万円だよ! よかったね!」






そ、そうなの・・・!?


そりゃよかった・・・!!


と 言っていいのかなんなのかわからないけど、

まあハナシ的にうまくまとまってよかったんでしょうかね。

ていうか、なんなの、友人よ。
あなた買う気なの?

なにやら楽天市場で売っているらしいが。

しかし、以前、聖徳太子の一万円札を新しいお札に換金しようと
銀行窓口に持って行ったところ、
「鑑定が必要なので二週間ほど時間がいる」と言われたので
即、現金が必要な人への贈りものとしては向かないかもね・・・。

まあ、旧札を包むこと自体、世間では非常識なんだろうが。

スミマセン・・・。

でもまたやっちゃうかも。
喜んでくれそうなひとにね。


「ていうか、銀行でもその場で換えてくれないんだ・・・!!
 でら面倒!!
 ・・・で、結局、その時は鑑定して換金したの?」


「いや、二週間だよ?
 めんどくさくてさ、そのままそれを御祝儀にしたという流れで」



個人的には最善の使い道だったと感じておりますが、
色々めんどくさくてどうもすみませんでしたと
数年経った今更ながらちょっとだけ反省しております。