2013/01/05

馬鹿


年末にひとり香川のおばあちゃんちから送られてきた讃岐うどんを食べている最中に、
ものすごいことを確信してしまった。

確信というのはいつも何の根拠も前触れも無く、
いきなりすとんと自分の胸の底におちてきて、
まるであたかもそこが以前からの定位置であったかのように
居座ってしまうから不思議だ。

「一体、なにを確信したの。」

例によって親友の三神おじいちゃんにその話をした。

「なにって、恥ずかしくて決して人には言えないようなことですよ。」

実際、私が確信したことというのは、
とても馬鹿というか他人が聞いたら「は?なに言ってんだこいつ」と
呆れられても仕方が無いような、そんなことだ。
しかも、確信して納得しているのはあくまで私だけであり、
他人からみればその確信には客観的に根拠も無ければ理屈も通らない。
だからどうせ馬鹿にされるだけだからあまり人には話さない方がいいと思っていたのだけれど、
この根っから常識や一般の範囲外に生きている三神おじいちゃんになら話してもいいような、
そのときはそんな気がしたのだ。


「本当にお恥ずかしい話で恐縮ですが。」


「うん。」


「・・・私は今現在も美人だし、これから先も死ぬまでずっと美人で綺麗な女だという確信を、
 先日、得てしまいました。」



・・・よく考えたら
こんなに前向きで幸せな確信になぜ恐縮せねばならないのかが不思議である。
だけど、こんなに自信家で、ある意味無神経な私でさえこの変わり者の三神氏以外に
この確信を伝えるのは気が引けるのも、ある意味では事実。

「綺麗って言っても、勿論今までだって自分が綺麗だっていう自信はあったんですよ。
だけど世の中の大多数の女性がそうであるように、その自信はあくまで『たとえ世間から見て全ての人がそう思ってはくれなかったとしても、自分は自分を綺麗だと思っている。』という範疇の自信なんです。自分という人間を肯定することで持てる自信のようなものですよね。それはそれでいいんですよ。だけど、今回の私の確信は『自分でも綺麗だという自信があるし、他人から見たって綺麗に見えないわけが無い。』という、なんともずうずうしい確信のことなんですよ。」

多分、女は自分の美醜に関しては、常に100%は自分自身を肯定できずにいる。

だってたとえ自分では「私は綺麗」と自信を持っていても、
もし誰かから「え?ブスじゃん」と言われたら、
やっぱりその人は100%美人とは言えないからである。

美醜の問題が永遠に女のテーマになるのはそのためだと思う。
主観にも客観にもどちらにも偏ることができない。
美しさの価値観は本当に多様で人に寄って異なり、
単純に顔のパーツのバランスから美的センス、
精神性に至るまで美しさの基準は多岐にわたる。
そして美しさというのはその完全な複合体であるから本当は比べることすらも難しい。
だから比べることをやめられない人たちは死ぬまで自分の綺麗さを認められず、
また比べる事をやめてしまった人たちは「自分だけの綺麗」という自己満足に落ち着く。
どちらが良い悪いということじゃない。
みんな、自分が納得いく「綺麗」を探しているだけなのだと思う。

そうかんがえると、私の今回の確信は徹底的な自己満足とも言えるのかもね。

「なんてゆーんですかね。まあ確信ってゆーのは理屈じゃ説明できない部分もあるとは思うんですけど、簡単に言えば、私は昔から自分が綺麗だと思うものは他人が見ても綺麗に違いないという傲慢なまでの自信があるんですよ。そして私は今まで自分が好きだ、綺麗だと思うものはたとえそれが自分を傷つけるものであっても全て肯定して生きてきたし、醜い、嫌いだと思うものはその嫌いだと思う自分を受け入れて生きてきた、自分の尊い価値観を自分の汚い部分や弱い部分でねじ曲げることのないように生きてきた、そしてこれからもそうやって生きて行こうと思っている、そんな心の底から、身体の芯から綺麗な私が、今もこれからも綺麗でないわけがない、という確固たる自信のようなものなんですけどね。」

三神氏に話してみて思ったが、
意外とこの確信には根拠も理由もあるのかもしれない。
ただ、それを人が理解してくれるかどうかは、わからないけれど。

わかってくれるかなあ、なんて思いながらしゃべってたら、
三神さんがおもむろに頷いた。



「・・・わっかるなあ〜〜〜!! 俺もさ、自分のことかっこいいな〜〜!!って、
 よく思うもん!」


・・・え!!

そうなの・・・!?


「俺なんかさ、七十過ぎても金もあるし、彼女もいるし、この歳になっても若い綺麗な女とこうやって会ったりできてるわけじゃん。体力あるからゴルフも人並み以上に成績だせて楽しいし、こんな風に生きてきた俺って、かっこいいっていつも思ってるよ。」

た、たしかに三神さんは自身で築きあげてきた大きな財力を持ち、
その歳で私より若い可愛い彼女もいるし、女友達も数人いて、
しかも私も含めその女たちにおもしろがられて慕われている。
年に数回ゴルフ旅行で国内外に飛び、時に現地の女たちと戯れゴルフを楽しんでいる。
そんな満足いく今の自分自身を作ってきたのが他でもない自分が決めた生き方だったからこそ、
彼は今の自分を誇るんだろう。

そんな彼の自信を否定する理由なんて、どこにもない。

「・・・三神さん、私たちって、性格とか多分全然違うけど、
 根本的なところでどこか共通するところがあるよね・・・。」

「うん、そうかもな〜〜〜。だけどさ、こんなこと、ゼッタイ人になんか言えないよな!
 人に言ったら『なーに馬鹿な事言ってんだこいつ!』って馬鹿にされちゃうよ。」


そうだよね・・・。

でもさ、話せたら楽しいのにね。
自分を信じていて、自分を愛してる人間は他人の馬鹿な確信を慕いこそすれ笑いはしない。
そんな友人が近くにいることも、私の自信のひとつだ。

年末に馬鹿ふたり、馬鹿話に花を咲かせるしあわせ。

どうせ馬鹿だと思われるんなら、こんな馬鹿だと思われたい。

こんな自分を否定する理由なんて、
だってひとつも無いじゃないね?