2013/04/10

イヌ


どーしても腑に落ちないことがあった。

お世話になっていたSMサロンでのことである。


そのSMサロンでは、Mの女の子が裸で縛られたり、
拘束された状態で男に触られたり何かを身体に突っ込まれたり、
時に鞭で打たれたりして弄ばれるのが常だった。

その行為が好きかキライかというのは勿論、個人の趣味の問題で、
しかもその場所は当然そういう行為が好きな人たちが集まる場所なわけだから
その行為自体が特に腑に落ちないわけではない。

私がどうにも腑に落ちなかったことというのは、
M女とS男がふたりっきりの状態でそういうプレイが行われるわけではなく、
数人の観客の前で行われるということである。
生粋のSM愛好者でない私にはどーしてもその情緒が理解できなかった。

なんというか、その場所にいる男たちが弄ばれてるM女を見て楽しむのは理解ができる。
私が不思議なのは、Mの女の子がその状況をどういう風に感じているのかということである。
勿論、他人に見られる方が興奮するっていう女の子は別である。
それはそれで女の子が自発的に楽しんでるわけだからね。
だけど、なんか、みんながみんなそういうわけじゃ無い感じがしたんだよね。
ホントはイヤだけど、パートナーの男がそれを望むからやる、みたいな。
勿論、Sの男にやれって命令されて従うことがM女としては楽しいわけで、
そこはそういうものを楽しむ場所だからそれはそれでいいんだけれども。

本当は他の男の前でそんなことするのはいやなんだけど、
御主人様のS男にそう命令されてそれに従う自分が好きだしそれが快感、
っていうのがM女の思考回路ではないかととりあえずは私も推測できる。
で、女を服従させて自分の思うようにコントロールして、
他の男たちにそれを披露することが、S男の快感なんだと思うのだけど。
だとは思うんだけど、私にはそれがイマイチ腹の底から納得できない。
たとえば私は服を脱ぐこと自体には抵抗が無い方なのでそういう場所で脱ぐのは別に構わないだけど、
さすがに好きでもない男たちに触られたり何かを突っ込まれたり
それこそ感じている自分を見られるなんて絶対にイヤなんだよね。
それって、やっぱりノーマルな女とM女の差なんだろうか。

私が思うに、この「絶対にイヤ」という感覚は、
女としては結構フツーの感覚であると感じている。
きっと、Mの女もノーマルな女もそんなに違いは無いと思う。
ただ、Mの女というのはそういうイヤなことを男に命令されてやる自分というのが好きだったりするので、
イヤだけど、快感、というのが実際のところなんだろう。
他の男に見られたり触られるのはイヤ、だけど、
自分がある意味で自己犠牲的に身を削って男に奉仕することで自分の男が喜ぶということが、
M女にとっては快感なのかもしれない。

とは言ってもこの快感、というのも、
結局は自分の唯一無二の御主人様の支配下に自分が置かれるということの快感であり、
決して複数の男に弄ばれること自体が快感ということでは無いと、私は思う。

勿論、中にはそういう特殊な性癖を持つ女性もいるわけだけど、
それはそれでまた別の話である。

私には、M女はS男に、
何やらとても旨そうな餌を目の前にチラつかせられているように見えた。

M女はその餌が欲しくて、S男の言うがままに観客の前で裸体を晒しているように見えた。

ちょうど、主人の手の中の餌欲しさに犬が芸をするみたいに。

犬が上手に芸をして観客を楽しませれば、
御主人様の株もあがる。

株が上がれば御主人様もご機嫌で、
犬もいっぱい褒めてもらえて、
きっといつもよりたくさんの餌がもらえるんだろう。


実は以前、そのサロンの主催者である緊縛師の加賀さんに観客の目前で
おもむろに縄でしばられいつもM女がされるように弄ばれそうになった。
加賀さんとはとても仲良しなのでふたりっきりの時なら別に何をされても構わないが、
私は生粋のM女でもなく、そんなことを他人のいる場所でされても嬉しくも楽しく無い。
やめてくれと言いたかったが、
主催者である加賀さんの顔をたててとりあえずは何も言わず、
無表情、無反応で決め込んだ。
無表情、無反応は男のその気を削ぐ一番の方法である。
結局、私の冷めた表情に気付いて、加賀さんも途中で縄を解いた。


「例えばな、ギターを練習して弾けるようになったとするだろ、
 そしたらきっと、誰かに聴いてもらいたいと思うだろう。それと一緒だよ。
 自分が手なずけて調教した女を、他のやつらに披露したいんだよ、
 どうだ、すごいだろってな。それと一緒だ。」

後でそう、加賀さんは言っていた。
きっと、それがSの男の欲なんだろう。
男の欲望は、結局は社会的だ。
男の欲望は、そこにいる一人の女に向いているわけじゃない。
女を通して社会の中の自分の立ち位置を妄想している。
きっと、支配欲っていうのはそういうものだ。

私にはそのSMサロンが、男が、男の欲望のために作り上げた世界のように見えた。
男の欲望の中の女が、必要とされている場所のように思えた。

男の欲望と女の欲望が、
もし同じ方向に向かっているとするならば、
各々の欲求を晒し合うそんな場所では皆が楽しく、幸せになれるのかもしれない。

もし女が求めるものと、男が欲望するものが
本当に、同じものであるとするならば。


SMの世界に足を突っ込んで一年以上になるが、
私はいまだに犬にはなれない。




そういえば、SMの世界ではよくM女を「犬」と形容している。
裸で首輪をつけて、四つん這いにさせて遊んでいる。
そんな犬プレイを散々見て来ているにも関わらず、
犬になる醍醐味がイマイチ理解できないこの私。



・・・犬か。


と 考えて思い至った。


他の動物じゃダメだろうか。


論点が少しずれるが、この私、犬でなければなんだろう。
理想としては気高い鷹とか鷲とか猛禽類をあげたいところだが
さしずめ、陸ガメとかペンギンとかせいぜいウサギくらいがいいとこだろう。
見ようによってはなかなか可愛くて、
だけども芸などは特に要求されないという、
そんな感じが私的にはちょうどいい。
餌をやったらついては来るが、褒めたところで芸はできない。
だけど、カワイイからとりあえず可愛がられて愛される。
フツーに自分を生きてるだけで、愛される。
ウチのリビングのソファを占拠する、愛すべきバカ犬みたいに。

いや、勿論それではSM趣向者のお眼鏡にはかなわないだろうが・・・。

多分、愛というのは、
求めることで貰えるようなものじゃない。

欲求を満たすためのものでもない。

だけど不思議なことに、SMの世界で男に犬として躾けられていくと、
徐々に何かの見返りのように男に愛を求め出す自分に気付く。
餌をくれと、愛を与えてと、口を開けて待つ自分を知る。

そんな餌を与えられたところで、更に喉が渇くと知りながら。

そんな自分に気付きながら、私はそんな愛ならいらないと思った。
そんな餌では、私はきっと満足できない。

男の欲望の形に応えられなくても、

私はただ、自分という人間を生きてるそれだけで、愛される。

S男がM女の前に餌のようにぶらさげる愛よりも、

私は、そんな形の愛が欲しい。