2012/03/27

後悔


「馬鹿、俺が知る限り、タトゥーいれて後悔しなかった女なんか、一人もいないぞ。」

最近仲良くさせて頂いているSMの緊縛師の加賀さんに、
私が先月 腰にタトゥーをいれた旨を伝えたらこんな風に返されました。

「後悔」かあ。

てゆーか、後悔って、どういう時にするんですかね?

「あのとき、ああしとけばよかった。」とか
「あんなことしなきゃよかった。」とか
「こっちじゃなくてあっちにしとけばよかった。」とか

結局はかつて自分が下した判断や選択が間違っていたことだと認めて、
後になって悔いるってことですよね。

ってゆーことは、後悔しないための最善策というのは、後々の自分の考え方の変化や
状況の変化をできる限り考えて、想像して、それに不都合になることはしない、
もしくはできることをする、そういうことですよね。
後で考えても、「あの判断は正しかった」と思える判断を常にできるよう、心がけるってことですよね。

だけどさ〜。

そんなこと、ホントにできる?

後悔しないように、と考えれば考えるほど、今の自分が想像する未来なんて、
所詮は今の自分が考える未来に過ぎないと思ってしまうだけなんですよね。
まあこれは、あくまでタトゥーくらいのちっちゃな後悔の話ですよ。
世の中には私には想像できないくらいのでっかい後悔があるのかもしれないとも思うから。

で、「後悔」というのは文字通り後で悔いるということで、
時間の流れという要素が「後悔」においては不可欠だと思うのですが、
だけど、時間と共に流れ変わって行くのは自分自身だって同じだと思うんです。
今の自分の感性を信じられずに、なにゆえにまだ見ぬ未来の自分をそれほど信頼できるのですか?

一年後に、十年後に、自分が何を考えてるのかなんて、わからない。

二十年後に、自分がどんな風に生きているのかなんて、結局はわからない。

わからないこそ、今は控えめに、というのもありますが、
今の自分との兼ね合いが結局は問題なんですよね。

その行動に、誰かの命がかかってたり、
大きなお金が動くものだったとしたらまた話は違う気もするのですが、
タトゥーとか自分の身体ひとつ程度のことで、後悔も何もあるんですかね?

まあ、日本の刺青文化の中での話でもありますし、
特に女性の身体というのはその身ひとつで食べて生きていく糧になり得るものでもあり、
女性本人にとってもその肌ひとつがその命と同等の価値を持っていたりするものでもありますから、
その緊縛師Sさんの言葉にも一理あるといえばあるんですけどね。

正直、私も、タトゥーを入れた時は、
もうこれで自分の身体は売り物にはならないなと思いましたよ。
勿論、売った事ないですけどね。
そういう価値は無くなるな、とは思ったんですよ。
でもそれはあくまで不特定多数の男に対する自分の女としての価値という話であって、
自分が自分として関わって行く男たちとの関係性とはまた別の話ですよね。

ちょっと話が飛びましたが、
結局、私が思う後悔しない最善策、というのは、当たり前のことですが
自分がその時その時をその時の精一杯で生きている、ということを自分でちゃんと認める、
それに尽きる気がするんです。

その時に自分が何を感じたか、どうしたかったか、それゆえにどう、行動したか。

本気で考えたことなら、その時の気持ちはずっと身体が覚えてる。
それを、大事にしてあげるということ。

自分の人生を、手を抜いて生きてる人なんていないと思うんですよね。

自分がその時の精一杯で生きた記憶は、時間が経っても、身体が絶対に否定しない。
他人がそれを認めてくれるかどうかという事ではなくて
自分がそういう自分を否定しないと思うんです。

考え方や感じ方が、生涯変わらない人の方が、珍しいと思うんですよ。
「昔はあんな風に思ってたな〜。」の、連続ですよね。
それでいいじゃないですか。

その時々の選択の正しさがその人の人生を作るわけじゃないと思うんです。
その選択をしたその人の生き様が、その人間をつくるんですよね。


まあ だから、精一杯で生きてるってことをちゃんと自分で認めてあげないと、
後悔ってそこらへんを苗床にして成長するんじゃないでしょうか。


後悔しないように、その時その時の自分の気持ちに最大限の敬意を示そうと。

たとえば、タトゥーを入れたら、やっとこの身体が他のどの男のためのものでもなく、
自分のものだと思えるようになったということ。

消費され続ける女としての自分の身体に、
男の愛情ではなく自分自身の愛を注げるような気がしてきているということ。

ホント、こんなちっちゃなことで後悔なんかしてるほど、
人生って長く無いと思うよ。










2012/03/25


物欲の春!!

財布を新調しました。

いつもお洒落な友人が、学生時代から「印伝」の小物を持っていたので気になってはいたのですが・・・。

印伝の財布、このたび買ってしまいました。
鹿革に漆!・・・かっこいい。
この皮、使ってくほどに、マシュマロみたいにふわふわになるんですよ。
ぜひそこまで使い続けてみたいものです。

この菊の柄、こんなに現代アート風なのに、古典柄なんですって。
いいデザインに、古典もモダンも無いですよね。ホントに。

ホントは格子柄や波の文様とかの、
もっといかにも古典柄の、サイズも小さな財布をさがしていたのですが
図らずともこの菊柄の長財布に一目惚れしてしまいました。

しかも、この長財布で一万五千円ですよ。
最近じゃ長財布なんてどこのブランドか、材料に何使ってんのかもわからないようなものが、
平気で三、四万くらいするじゃないですか。
あれ、どうにも腑に落ちないんですよね。

てゆーか、この財布に関しては一万五千円で利益がちゃんとでてるってことですよね。
印伝って日本の伝統工芸品というカテゴリーにいれて差し支えないと思うんですが、
ですよね?)そのカテゴリーで商売がちゃんと成り立ってるってすごくないですか?

「INDEN-YA」のHPもすごくお洒落でかっこいいんですよ。

なんかいいなあ、こういうの。

壊れたら修理もしてくれるっていうしさ。
友人いわく、かなりの安価で直してくれるそうですよ。
「修理に出すより新しいもの買った方が安いし・・・。」って考え方で成り立っている商売が
はびこる今の時代で、かっこいいですよね。
きっとちゃんとした職人さんがいるんだろうなあ。

やっぱ、なんでも国産が一番ですよ。

最近、そんなことを思います。







2012/03/21

こぶた


ちょっと生意気な子供だったので
小さい頃からキャラクターものの服やモノがキライでした。


当時流行っていたアニメやディズニーやサンリオのキャラクターも
それ自体は好きでも、身につけるのは絶対イヤでしたね。
今でも、キャラクターとまではいかなくても、例えばネコとか鳥とかの動物のモチーフとか
そういうのは身につけるのはなんか苦手です。かわいいんですけどね。
着るのはいやなんです。


幾何学模様とか文様みたいに抽象的なデザインはいいんですけど、
具体的な例えば鳥のシルエットがプリントされてる服とか、なんか恥ずかしいんですよ。


鳥のモチーフ自体は大好きなんですけどね。
一目見て「鳥だ」って認識できないくらい抽象的にデザインされてたらいいなと思うんですが、
一目見て、あ、鳥だ、って思っちゃうくらいのものだとなんかイヤなんですよね。


自分よりも着ている服が先に主張しちゃう気がするんです。
服って、単純に自分が楽しめればいいというのも一理ありますが、
私としては自分が他人から見て綺麗に見えなければ意味が無いようにも思うんですよね。
そう考えると、具体的なモチーフって身につけるものとしては難しくないですか。
大体の場合、具体的な魅力的なモチーフは自分よりも目立っちゃうと思うんですよ。


小さい頃のキャラクターものって、その最たるものな気がするんです。
着ている本人だけが楽しい、みたいな。
別に、キャラクターはかわいいけど、着ている本人がかわいく見えるわけじゃない、みたいな。
だからまあ、子供はそれでいいと思うんですが。


大人になってもその感覚だとどうなんですかね。


先日、引っ越しを控えた友人の家に掃除と片付けを手伝いに行ってきました。


寒空の続く三月、窓を開けっ放しでの作業の合間に友人がハイ、と靴下を貸してくれました。


「足が冷えないように。」と。




ありがとう。


・・・小学生の頃からのマエダの美的ポリシーを嘲笑うがごとく、
つぶらな瞳のコブタ二匹が足元から私を見上げます。




なんたる屈辱・・・。


こんな靴下、初めて履きましたよ。


しかも、コブタ。


シマウマ柄の、コブタ!!


しかも、その日私が着ていたモノトーンの幾何学模様ワンピースにしっくり似合ってしまう事が、
さらなる屈辱!




「なっちゃん、その靴下すごく似合うよ!! あげようか?」




履いた直後は「いらねーよ!!」とか思っていたのですが、
数時間、履いていたらなんだか急に欲しくなってきてしまいました。


作業中にふと足元に眼をやると、
この二匹のブタと眼が合っちゃうんですよ。


「げんき?」


って 言われてる気がする。


無垢さは愚かさと同義語だと信じているこの私が、
このコブタの瞳に漂う純粋の色に心を一瞬、癒されているという、事実。




なんだか ひとりでいるのに


・・・ひとりじゃない気分。




え?!




なんだこれ!!




これがキャラクターの威力?!




だからいやなんですよ。
眼と鼻と口があるだけで感情移入しちゃう自分のこの無垢さ。
免疫ができてない分、簡単に騙されちゃうんです。


足元の温かさも相まって、
その日の作業を終える頃には別れるのが惜しいほどにはスキになっちゃってました。

















2012/03/18

かたちあるもの


少し、自分の部屋の模様替えをしました。


仕事部屋とは違って自分の部屋というのは、
とにかくまず合理的に使いやすくなければというのがあるので、意外と作り込みにくいんです。


だって、化粧水とかハサミとかエアコンのリモコンとか充電器とか、
ホントは視覚的に邪魔だけど出しておかないと不便だし。
そこらへんの兼ね合いがいつも悩むところ。




でもまあ、いつも思うのですが、
基本的に部屋のどこか一部分でもきちんと空間を作って好きなものを飾ると、
それだけで気持ちがいいですよね。
自分が作業するためにものを色々置くスペースと、飾るスペースをきちっとわけると、
それだけで空間が気持ちが良くなる気がします。




この椅子は昔付き合っていた男の人に作ってもらったものですが、
見た目が綺麗というだけじゃなく、ものを飾ったり、座ったり、作業台にしたり、
何かと使い勝手が良くて、今更感動してます。
継ぎ目も飾りも一切無いシンプルな椅子ですが、
綺麗、というのは単純に装飾や飾ることじゃないんですよね。
そのものがそこに存在する意味を形として彫り起こそうと思ったらこんなシンプルな、綺麗な形だった、
それだけの事なんだと思います。






昔、拾ってきたマツボックリ。
ベネチアングラス。京都の骨董品屋さんで買った花のかんざし。
学生時代の木版の版木(笑)




これも頂いたお椀。すっごいかっこいいですよね。
赤と銀色!! 痺れます。
しかしどこに飾るべきかいつも迷うんです・・・。
なんとなくで枕元の飾り棚に置いちゃったりすると、なんか神棚っぽくなっちゃったりね・・。
まあ、それこそホントは使えばいいんですけどね。


部屋を作りながら思ったのですが、
私の部屋にある大事にしているものは全部、歴代の愛した男たちとの思い出の品!!
石ころひとつから木の実から、ウズベキスタンの布一枚、貴金属、
大事に磨いて使ってる死ぬほどカッコいいちゃぶ台まで、
いままでの自分が愛してきた人生に囲まれてるんだなあ、と、しみじみ。


しあわせだなあ、私。


「もの」の大事さって、こういうときに身に染みるよね。


形の無いものに手を触れたくなる、そんなときに。



2012/03/04

買いました。


眼鏡を新調しました。


今回は眼鏡フェチの友人に同伴してもらっての眼鏡選びという事で、
徹底的に「似合う眼鏡」というものを探してみる事にしました。


マエダはそんなに濃い顔、というわけではないのですが、
眉毛は濃いし目元の化粧もしっかりするので、
基本的に派手な眼鏡は似合わないんですよ。


少し色のはいったフレームとか憧れるんですけどね、
私の顔だとなんかやりすぎ感がでちゃって変なんですよね。


というわけで、今回は思いっきりシンプルに地味に、黒フチ眼鏡。


基本、目尻耳元のラインも幅があると派手なので、今回はぎゅっと絞った細めのラインで。


こういう地味な買い物は買う時にはつまんないけど。
それで自分が美人に見えるんなら使用中はずっと満足ってことで。


しかしそうは言っても一緒に眼鏡を買いにいったもうひとりの友人は、
紫色のフチのめがねを選んでいて、それがなんだかとても羨ましかったのも事実・・・。
紫色って、日本人の肌にすごく合う色なんですね、ちょっとした驚きでした。
でもそんな紫色でも私がかけたらなんか勘違いした感じになっちゃうんですけどね。
多分、私の顔も紫色も主張が強いからでしょうか。
ひとつの場所に主張や方向性は複数あっちゃいけないってことですかね。
そう考えると納得はできるんですが。


それにしてもこの地味眼鏡、私のジャスト眼鏡といわず、ベスト眼鏡かもしれません。
とても気に入りました。


眼鏡フェチの友人に感謝です。