2011/05/26

癒しとは。


先日、久々にぐったり疲れて 仕事場から帰宅しました。


投げ出すように靴を脱ぎ捨てて
バッグも床に投げ捨てて


ソファに沈殿。


最近特にテレビをあまり見ていなかったのですが
なんだか疲れているときほど
無意味なテレビ番組を見たくなるもので
身体はソファにぐったり横たえたまま、手だけでリモコンを探し出し
最近ようやく地デジ対応にしたテレビをつけました。


その画面に映ったのは


大体15秒くらいの短い映像だったのですが


ハイヒールの美脚で踊る、9人の美少女!


そう、「少女時代」です。


いやもちろん「少女時代」は前から知っていたんですけど。


なんか・・・


あの18本の美脚を目にしたとたん
信じられないくらい私の疲れが、吹っ飛んだんですよ!!


なんか急にピンク色の優しい空気にフワっ包まれたような感じで
私の身体にじっとり淀んでた「疲労感」という名の汚染物質が


一気に浄化されました!!


・・・みたいな かんじで、


なんか 一瞬にして癒されちゃったんですよ。


いや〜


すごい。「少女時代」。


たった15秒の動く太腿の映像で、私の一日の疲れを取り去ってしまいました。


やっぱ女の人の身体って、視覚的にも癒し効果があるんですかね?
「女性の身体の視覚的癒し効果」について、興味が有る方議論しませんか?


ただ、AKBじゃあ こうはいかないと思うんですよ。


やはり韓流の成せる技なのか・・・















2011/05/24

ヨーグルッ・・


「ペ」って なに?(笑)


国分寺駅南口のファミリーマートで売ってました。


見た瞬間、これが一体なんだかわからないのに買うことを決意させられてしまいました。


別に ヨーグルト飲料なんて飲みたくなかったのに!


でも ・・・買わずにはいられなかったの!


ウチに持ってかえって、じっくり見てみたかったの!




こういう一瞬で人の心をワシづかむ威力って、一体なんなんでしょうね?




ちなみに 味はいたって普通の乳酸菌飲料でした。






















2011/05/22

5月の庭



今、ウチの庭がバラ真っ盛りです。


もちろん私じゃなくて母が育てているバラですが
「写真をとって!」
と せがまれたので、この間 早朝からパシャパシャ撮ってみました。


意外と花を撮るのって、難しい・・・。


角度とか距離感とか光とか


それにしてもウチのバラ、
母いわくこれからもっと咲くそうです。
5月って、ホントにバラの季節なんですね!




すごいな〜。色とりどり。




私、昔、黄色のバラってスキでした。


今は やっぱりピンクのクラシカルな感じのががいいですねえ。
あと一番下のやつみたいのもワイルドで可愛い。





           




いやーホントよく咲いてます。






母、すごいよ(笑)




  













2011/05/20

手から生まれるもの


前回に引き続き、マイケル・カークのリング。


ね?


すごいでしょ?


この手彫り感。


マイケル・カークとそのファミリーが朝から晩まで
ハンドメイドで作り続けているそうです・・


って ゆうか インディアンジュエリーって主に素材で値段が決まってる感じが
するのですが、小振りで石とかゴールドとか入ってなかったりすると
結構値段も手頃だったりするんですよね。


でも それにしても このくらいの価格で職人さんたちちゃんと儲かってるのかな?
と なんか不思議な気も・・。




買い物するたびに思うのですが


『物欲』が湧いて、満たされた時の喜びって、一番 健康的な気がしませんか?


『物欲』って所有欲とか獲得欲求とか 向上心とか そういう
生きることに前向きな、素直で直接的な欲求と 関わりが深い気がして。


なんか、ひねくれようが無いというか 単純でいいんですよねえ。








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2011/05/18

太陽の近くに


癒される・・・。


やっぱ好きなものを手にしてる時が一番しあわせですねえ。


イーグルフェザーのピアスを手に入れた!
わーい。


ここ数ヶ月、ずっとイーグルフェザーのピアスを探してて
インディアンジュエリーのネットとか実店舗巡って どれにしようか
さんざん悩んだんですが


結局 このMichael kirkマイケルカーク作のピアスに落ち着きました。


なんか、こういうちっちゃな買い物でもしつこく悩んじゃうんですよねえ。


このインディアンジュエリー作家のマイケルカークのデザインって
最初はなんかまるっこくて好きになれなかったんですけど、


なんか・・見れば見るほどクセになる!


フェザーの一本一本を手彫りしてる繊細さもすごいけど


他のフェザーモチーフにありがちな「動き」も出さずに
スパンとまっすぐ立ってる感じもかっこいい。


どんだけ眼を近づけてもアラが見えないとこなんか、やっぱ職人だねえ。


どっしり いかつい顔したおっちゃんなのにねえ・・
マイケルカーク・・・作品はどれもどこか女性的。


女性的とは言っても、この作家の同じくフェザーモチーフの
リングとかは 男の人の指に着けるとすっごいかっこいいんですけどね。


ほんと、すっごいかっこいいんですよ。


なんか、この人の作るフェザーって、私には雲に見える。


恵みの雨を降らす、雲。




は〜。 癒された〜。




















 

2011/05/17

片足



「オヤシラズ撲滅月間」ってことで・・・


早速 今年二本目のオヤシラズを昨日、抜いてきました。


一本目が想像以上に簡単に抜けたせいもあり、
まあ 二本目も大したことないだろうとタカをくくっていたのですが。


その、昨日の二本目のオヤシラズがね、


二本ある根っ子のうち 一本の根っ子が、骨と繋がってたみたいで


もー いくらぐいぐいやっても抜けないの!


終いには 片方の根っ子がバキンって砕けて
採り出されたのは 片足が無い状態の血まみれのオヤシラズ・・


これで 大丈夫なんですかね?











2011/05/15

美容院にて



「歯痛」が治まらぬ今日この頃。
「歯痛」でも楽しくできることってなんだろう?
と 考えた結果・・・。


なぜか美容院に行ってきました。髪伸びてたしね。


最近お世話になっている国分寺の美容師さんに
歯痛のうっとうしさと抜歯を控えた恐怖感を訴えたあと、
仕事柄いつもは「話を聞く」側でいる反動なのか
つらつら自分勝手にしゃべり出す私。


「先月、私 会う人会う人に『国分太一』に似てる!って言われたんですよ。
 言われたのが時期的に集中してるのって髪型のせいですかね?」


「あ〜 そうかもしれませんね。大体そういう「似てる!」って髪型のせいだったりしますよ。」


「たしかに、髪が長かったころはよく『井上真央』に似てるっていわれた。」


「井上真央ですか?いやなんかもうマエダさん、国分太一にしか見えないですよ。」


「てゆーか 昔は『ピノキオ』に出てくる金魚に似てるってすごい言われましたよ。」


「え?なんですかソレ」






・・・ですよね。
まあ 知らなくて普通ですけど(笑)


「似てる」で 思ったのですが


「印象が似てる」というのと「顔の造作が似てる」っていうのは少し違いますよね。
「顔の造作」は単純に骨格とかパーツの大きさとかバランスで決まると思うんですが
「印象」はその人の化粧の仕方とかファッションとか性格とか、
 その人独自の内側から出てくる何かが源にある気がしますよね。


だから、「顔の造作」は似てても「印象」がまるで違うと全くの別人に見えたり、
逆に同じような雰囲気やファッションだと全く違う顔でも似て見えたり。


結局 その人の「顔」というのは、
その生まれながらに持っている「造作」と自分の精神性を基盤とした「印象」の
完全な複合体なんだと思ったりします。


だから、人の顔をじーーっと見てて、


生まれながらの「造作」がどこまでなのかを精確に見極めたあと、


では それ以外の「印象」の部分を構成する「この人」はどんな人?


と いう目線でしつこく観察して考えていくと、


結構、その人のことがわかる気がする。


あと、ちょっと精神世界よりの考え方かもしれませんが


もしこの人が、この身体を選んで(もしくは与えられて)生まれて来たのだとしたら
その顔である必要性ってなんだろね?


とか そんな角度から考えても おもしろい。


そんなことばっか考えながら、昔っから人の顔 じろじろ見てます。


もうクセですね。フェチですかね。


ちなみに昔、前田がよく似てるといわれつづけた「ピノキオ」の金魚はこちら。


 
                 ・・・似てますか(笑)















2011/05/12

はあ。


今 歯痛です。


はあ〜〜〜。痛い。


下のオヤシラズが生えようと歯茎を持ち上げているところに


その 持ち上げられた歯茎を上のオヤシラズが噛んでる状態・・。


なんか、じっとしてらんない感じのムズムズする痛さなんですよ。


ああ〜〜〜〜(言葉がでてこない。)




たのむから はやく抜いてくれ!!




ところで バニラアイスクリームにプレーンヨーグルトかけて食べると




すっごい 美味しいんですよ。




ほんとに すっっごい おいしいんですよ!




なんか  そればっか食べたくなります。









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2011/05/07

ぬるい水と死のにおい



「辺見 庸」の小説 大好きなんです
「辺見 庸」の、エロさがすき。


どっちかってゆうとルポライターとしての著書よりも
ちょっとモノガタリよりの方が好きです。


「赤い橋の下のぬるい水」とか
「ゆで卵」の短編集とか。


この人の文章って別にセックスシーンを描いてるわけじゃないのに
なんかエロティックですよね。


昨日、小説ではないのですが「辺見庸コレクション/美と破局」の中の
チェット・ベイカーについてのエッセイを読みました。


チェット・ベイカーって、あのジャズトランペット奏者、兼ボーカリストの
チェット・ベイカーです。


私、昔 初めてチェットベイカーの「マイ・ファニー・バレンタイン」を聞いた時に、
あの男か女かもわからない、なんてゆーか 井戸の底を覗くような
冷たい深さを感じる声に、なんかぞっとしたんですよ。


だから、辺見 庸がチェット・ベイカーのことをどういう風に描いてるのか、
ちょっと楽しみだったんですが


かつて、「うたう屍体」とまで酷評されたことのある麻薬中毒者、チェットベイカー。


彼が生涯で費やした麻薬代金は、ざっと六百万ドル。
辺見 庸いわく この金額、
「比較対象の妥当性と正確さを問わずにイメージだけでいうとすれば
イラクで人を殺しまくった巡航ミサイルBGM109十基分、プラス劣化ウラン弾数十トンに匹敵する金額」なのだとか。


そんなチェットのことを 辺見 庸はこんな風に書いてました。


『彼のすごみは、恩寵のゆえではなくして、神をもあきれさせ、ふるえあがらせた底なしの 無反省とほぼ完璧な無為をみなもととしていることにあるのだ。』


『闇の底からわきあがってくるその声は、
 うたがいもなく腐りきった肉体の芯をみなもととし、
 ただれた臓器をふるわせ、無為の心と重奏してうねり、
 錆びた血管をへめぐり、安物の入れ歯のすき間をぬけて、よろよろと私の耳にたっした。
 
 ここに疲れや苦汁があっても、感傷はない。更正の意欲も生きなおす気もない。
 ・・・教訓などない。
 
 学ぶべき点がもしもあるとしたら、徹底した落伍者の眼の色と声質は、
 たいがいほとんど は下卑ているけれど、
 しかし、成功者や更正者たちのそれにくらべて、はるかに深い奥ゆきがあり、
 ときに神性さえおびるということなのだ。』




私、チェット・ベイカーの演奏ってそんなにたくさん知らないんですが
なんか妙に納得。


そして、私が なんで辺見 庸の文章をエロティックに感じるのか、
少しわかった気がしました。


エロさって、突き詰めて行くと、「死」に向かって行く気がするんですよ。


生殖のための欲求なのに不思議なんですが、
男と女が行き着くとこまで行こうとすると、自然な到達点として
そこには望まれるべくして「死」がある気がするんですね。


荒木経惟だったかな、
「イクっていうのはさ、あの世にイクってことなんだよ。」
とかなんとか昔 言ってましたけど、なんかそれもわからなくもない。


辺見 庸は、もともとジャーナリストとしての本来の姿があるせいか、
常に「死」というものをみつめている感じがするんです。


辺見 庸の書く、なんてことはない男と女の話や
食べ物の話なんかを読んでいても


言葉のひとつひとつに「死」が滲む、なまなましい臭いがあって


なま臭く生きる肉体の、その表面にいつも薄い「死」の膜がひかれている、
そんな感じ。


「死」の海の水面にたゆたう生身のいのちがそこにあるとしたら


その いのちは間違いなく「ゆで卵」の女の身体の一部みたいに


「生」の匂いをエロティックにぷんぷんまき散らしてるんでしょう。


特に意味はないんですが、
今回読んだ「美と破局」の中から、一部抜粋。


『水の涸れた井戸のある角を右に、もとは白だったのか黒だったのか、色褪せたフラフープ の転がる角を左にまがり、へめぐり、手探りしても、でるにでられず、戻るに戻れず、
私はただ自身の原籍や現住所の記憶をぽろぽろぽろぽろと宵の路地裏に落として歩くばかりなのである。』





2011/05/05

ひねくれものだから


低気圧で頭痛がしちゃうんですよ。
だからせめて写真は青空で。


震災後の四月初めくらいの朝日新聞で、
なんかグッとくる記事があったんで
ずっと忘れてたんですが、今日ふと思い出したんでのせてみます。


こういうことが常日頃 気になってる人ってどれくらいいるんでしょう?


私、ひねくれ者なせいか、昔からこういうことすごく考えちゃうんですよ。
だから、朝日新聞でこの記事を読んだときはなんかとても嬉しかった。






以下、4月5日朝日新聞より☟














『歴史的な災厄に直面する日本社会に今、「正しさ」を錦の御旗に掲げた同調圧力が働き始めてはいないか。識者たちから、そのような懸念が聞こえ始めている。オールジャパン的な体制が必要視される状況にあって、「団結」の内実を問おうとする視点だ。
「私は『自粛』『不謹慎』反対運動を立ち上げることにしよう」。ジャーナリストの佐々木俊尚は週刊ポスト4月1日号に、そう記した。
ある音楽公演に「不謹慎だ」「節電しろ」と批判が相次いだことを紹介。「節電は必要だが、我々は普通に経済活動をし、日常生活を送ればいいのだ」と述べたうえで、こう警鐘を鳴らした。「『人がつながって一致団結する』ということと、『圧力をかける空気をつくりだす』という行為は表裏一体で、容易にダークサイドに転ぶ」
フランス現代思想が専門の内田樹も同誌で、「『この非常時に、そんなふるまいが許されるか』という恫喝(どうかつ)から『非国民』という名指しまではわずかの距離しかない」と述べた。


作家の高橋源一郎は3月下旬、ツイッターで「祝辞 『正しさ』について」と題する連続ツイートをした。
震災を前に「なにかをしなければならないのだけれど、なにをしていいのかわからない」と訴える学生に、「『正しさ』への同調圧力」に押しつぶされないように、と助言する。
悲劇を前に連帯や希望を語ることは「正しい」。しかし「社会の全員が同じ感情を共有しているわけでは」ないのだよ、と。
「自分にとって大きな負担となる金額」を寄付する意思を明かしつつ、それも「正しいから」ではなく「ただ『時期』が来たから」するのだと、正月に還暦を迎えた作家は記した。
「気をつけて」と、高橋はツイートで次世代に呼びかけている。「『不正』への抵抗は、じつは簡単です。けれど、『正しさ』に抵抗することは、ひどく難しいのです」(塩倉裕)

***

私の場合 震災の話はまあ別として
私、八方美人なんであんまり苦手な人とか嫌いな人ってできない方なんですが
昔からどーしてもあまり関わり合いたくないと思ってしまうのが


「正しい」人。なんです。


どちらかというと、偽善者よりも「本当に正しい人」の方が苦手です。


だって、「正しい人」に対抗するのって 超 大変だからね。


もしその「正しさ」に自分が傷つけられたとしたら
その「正しい人」が真に正しければ正しいほど
傷つけられた自分は、結局自分を責めるしかなくなると思うんですよ。


そうやって自分を責めることにはなんの意味もないと思うんですが
意味ないんだけど、まじめな人ほどそういう
「自分を責める」状態に陥りやすかったりするんですよね。
そうやって「正しさ」が知らず他人に悪気の無い圧力のようなものを与えてること自体が
一種の暴力になり得ると思ったりもするんですが。


だから「正しい」ことを言う人は
そこらへんの他人に対する思いやりを持って欲しいと思ったりするんですけど
どうなんでしょう?(笑)


「正しい」ことって、正しいがゆえに 強さも重さも後ろ盾もあるからね。
場合によっては理不尽な圧力として機能するってこともあるとおもうんですよ。


逆に言えば、他人に責められるポイントや弱点をあえて持っている人
の方が、他人に対して優しい人だと思ったりもするのですが。


むしろ自分の中にダメな部分をあえて持つことって一種の人に対する愛かも?(笑)


極端ですかね?


まあ場合と度合いによりけりってことで。





2011/05/04

心はあなたのもとに


不意に撮った写真に、思いがけなく「鳥」が写ってると
なんか嬉しくなります。


昨日 一日、村上龍 の新刊、「心はあなたのもとに」を読んでました。


なんかタイトルが「村上龍っぽくないな〜」と思って
興味を引かれて、珍しく文庫になる前に購入してみました。


私、村上龍だと「エクスタシー」「メランコリア」「タナトス」「イビサ」
あと「音楽の海岸」あたりの女の人を中心に話が展開していくヤツはもう
死んでも抱えて持って行きたいくらい大好きで、
逆に「愛と幻想のファシズム」「コインロッカーベイビーズ」
・・・あたりはなんかちょっと苦手です。読み切れてません。なんか男くさくて(笑)


だから、今回の「心はあなたのもとに」は読めそうな気がしたんですが


結果、読めたんですが


なんか、


「こんなに『やわらかい』村上龍って、アリ??」


みたいな、不思議な感じがしました。


一般的に、人って 年を重ねるごとにトゲが取れて丸くなっていくような
気はするんですけど、なんか、村上龍も、やっぱり歳とったな〜〜みたいな(笑)


今までの作品のような、
今、その瞬間に目の前にある肉とか果物とか女とかを
撫でて愛でて舐め回してるような
そんな生なましさが全く無かった・・・


「肉」感が無いって感じですかね。
例えるなら、この本の表紙のような午後の黄色くなった陽に照らされた
「今」ではない「いつか」の小さな公園のベンチ、みたいな、重さの無い感じ。


なんか、そういう質量を伴った生なましいところはもう、越えちゃったんですかね。


「心」なんて言葉、村上龍が使うってこと自体がちょっとびっくり。


この小説のテーマは


「どんなに大切な人でも、ずっといっしょにいることはできない」。


だって、まずは自分が満足に仕事して生活して生きているってことが最優先事項だから
たとえ自分の彼女が持病で死にそうになって実際死んじゃってたとしても
自分という人間の生活や仕事を犠牲にしてまでそばにいることはできない。
それは、愛していない、ということではない。
他者との関与は、「自分」がいなければ成立しない。




なんかここらへんはいかにも村上節なんですが
さらにそのあとに


だから、「心はあなたのもとに」。




・・って続くあたりが なんか新鮮。


正直、元気になる小説でもないし村上龍独特の綺麗さもないし
もう一度読みたいとは思わないんですが
なんだか不思議と今までに無い、あいまいな「やわらかさ」が残るのは確か。


だけど、あくまで「あいまいな」なんです。


そこが、好き。







2011/05/02

いっしん


だって 「利休にたずねよ」が 超 おもしろかったから!!


今度は同じく 山本兼一 著 の「いっしん虎徹」を一気読みしました。


「いっしん虎徹」は刀鍛冶(刀つくる人)の話ですが
山本兼一って、こういう「職人としての誇りのために働く男」の話ばっか書いてますよね。


ていうか きっと 山本兼一自体がそういう男なんでしょうね。


なんか、「仕事にしか意識がいかなくて周りの女を悲しませる男」
・・の話に読めなくもない気がするんですが、
「利休にたずねよ」ではそこらへんの自覚がでてきたのか、
ある程度まともに女の人の葛藤とかを描写しだして、
利休自体もちょっと屈折した感じに描かれていて、
意外とどの登場人物にも感情移入して読めた気がするのですが、


この「いっしん虎徹」の女の人の描き方の浅さと言ったら!(笑)


もうまるで人格が無いかのように、浅い!!
浅すぎて感情移入 全く できない・・。


そんな、男にとって都合がいい女いるか!って感じです。
一歩譲っていたとしても、こんなに薄っぺらい女じゃないと思うんですよ。
こんな「鉄」一本の普通じゃない男を支えてついていこうってんだから、
それこそものすごい一本筋が通った強い女性だと思うんですよ。


もしくは 病的に芯が弱くて男に依存することで自分の自我が保たれてるような
共倒れができるタイプの困った女・・


どっちにしたって、普通の女じゃないんだから、
もうちょっと深く描きこめると思うんですが・・


ていうか、女を描こうという気がまるで無いんでしょうねえ。


もう本当に山本兼一自身が、周りにいる女の人に興味が無いとしか思えない。(笑)
そう まるで 彼の小説にでてくる仕事にしか興味が無い男たちみたいに。


なんか笑っちゃいましたよ。
虎徹と妻、ゆき のやり取りを読むたびに・・・


そして、そんな超浅い「女性の描写」とのコントラストを楽しむべくして
あるのは、やっぱりこの男の「仕事」に対する描写の鮮やかさ。


なんか ちょっと 圧倒されちゃうくらいすごい。


もう ページ折っちゃうくらいかっこいい。


ちょっと引用。




『鍛冶は、天地の玄妙にたずさわる仕事である。


 木から火を生む。土から鉄を取り出す。火で鉄を沸かし、鍛える。
 水に浸けて硬く焼き締める。


 木、火、土、金、水(もくかどごんすい)の五行が互いに相生、相克しあって、
 はじめて強く美しい刀が鍛えられるのだ。


 その変化の作用は天地の摂理にほかならない。


 鍛冶が胸を張ってはおこがましい。


 鍛冶は、天地の玄妙な摂理を借り、それを一振りの刀に凝縮させるにすぎない。


 人の力など、乾坤の悠久に比して微々たるもの。


 しかし、そう思った刹那、いつでも興里の腹の底から強い意志の力が怒濤となって
 湧き上がってくる。


 天地に屹立する刀をつくるのは微力な鍛冶だ。


 天地の無窮に、とまどうばかりが人ではない。


 そこにしっかり足を踏ん張って立つのもまた人である。


 人は天にむかって咆哮することができる。大地に爪痕を残すことができる。
 大地から採り出した鋼がわずかにひと塊あれば、鍛冶は、刀が造れる。


 その刀は、千年を経てもなお、手にする人のこころに、破邪顕正の勇気と永劫不変の
 慈悲を芽生えさせる。』










・・・ね!?


すごいですよね!?


なんかもう、女性の描き方がいかに浅くても、
そんなことどうでもよくなっちゃいますよね。


しょーがないよ!こんなにすごい男なんだから。ハハ。


しかし山本兼一の小説は覚悟決めて一気読みしないと
どうにも途中で挫折しますねえ。
力が入ってる文章だから、読むのにもちょっと気合いがいるんですかねえ・・。


恋愛とかにつまずいて、


「イイ男って・・・一体どんな男なんだ!!?」


みたいな 疑問が湧いた時に、おすすめの一冊です。


余計、疑問が深まるかもしれませんが。