2014/01/15

貰う

To-huku-ji in Kyoto

先週頭に、人には言えないような大きな頂き物を受け取ってしまったので
今年半分くらいの貰いモン運は使い切ってしまったような気分でいたのですが。

そんなことはなく
先週は貰いモンの多い週でした。

先週遊びにいった京都で予想外の氷水のような寒さに驚愕し
寒くて寒くて行脚もままならないと友人に嘆いたら

友人は自分のバッグから手袋を取り出して

「ホラ、これあげるから使いな?」

と、フカフカの縞縞てぶくろを私に・・・

・・・貰って、いいの!?

「いいよ、三百円の手袋だから」

三百円とは思えぬ温かさにちょっと感動。
そしてなんでかわからないけどモノを貰うのって嬉しいから、
次の日同じく京都で会った陶芸家に弟子入り中の我が妹に
「コレ、貰ったんだ!」と
その友人に貰った手袋を見せた。


そしたら


「・・・私も、下宿先のおかあさんにそれと同じ手袋、貰った・・・」


と、妹は私が貰ったのと色違いの手袋をコートのポケットから取り出して
自分の手に付けてみせた。

なにやら、いつも素手で寒そうにしている我が妹を見て、
下宿先の陶芸家の母上さまが「使いなさい」ってくれたそうな・・。


・・・


姉妹で「貰い手袋」


有り難い限りです。


「貰う」といえば


以前は「貰う」ということにちょっとだけ
抵抗があった時期もあったのですが


だってさ、貰ってばっかじゃ、なんかダメな人間みたいじゃん!

「貰う」より「与える」方がなんかちゃんとした人間っぽいじゃん・・


って、思ってたんだけど

ホステスみたいなマッサージ師として働いた数年間で
そんな思いは消し飛んだ(笑)

ホステスみたいなマッサージ師として働いていた頃は
本当にたくさんのものを貰った。

貴金属や服や香水や花やバッグ、
ケーキやお菓子はまあよくあるところだけど
おもしろいものだと豪華魚の干物の詰め合わせとか
どこかの国のおもしろい音の鳴る笛のような楽器とか
モンゴルの動物の革に描いた絵とか
神社のお札とか
柔らかい鰹の生節とか
林檎とか
そんなものまで有り難く頂き続けた数年間だった。

で、私にものをくれる人たちは、
なぜか皆とても嬉しそうだった。

私が喜ぶと、もっと嬉しそうだった。

そのとき、なんとなく、
「貰う」のも「与える」のも
実は、同じことなんだなって思った。

だって、私が「貰う」人間じゃなかったら、
この人たちは「与える」喜びを感じられないじゃない。

私が貰えることを喜べなかったら、
喜びの連鎖がここで終わっちゃうじゃないね?

傲慢な言い方に聞こえるかもしれないけどね(笑)

ちなみに先週はほかにも
誕生日でもないのに「コレ、素敵でしょう。あげる」と
友人に金色のピアスをプレゼントされたり

「これ、美味しいから」と
変わり種の明太子とか蟹が入ったカマボコをもらったり

アロマキャンドルのお裾分けを頂いたり

なんだか色々、貰いモンに恵まれた週でした。

昔からの常連のお客さんが
「競馬に勝ったから」と小さな花束をお土産に来店してくれたのも
先週の話。




粋だよねえ。

競馬はなかなかの勝ち具合だった様子。


貰ってばかりの33歳です。