2013/01/14



癒し産業のど真ん中で働いてるくせに
昔から「癒し」という言葉がキライである。

大体、「人を癒したい」なんて言うヤツにろくなヤツいないと思うんだよ・・。
だって、「自分には人を癒す力がある」と思えるなんて、
傲慢以外の何ものでもないじゃない。

私はそういうものに、
人間の傲慢な支配欲が内在してる感じがして気持ちが悪くなるんだ。
最近流行ってた「メンタリスト」とそれに群がる女達がどうにも好きになれないのも、
もしかしたら同じ理由かもしれない。

そんなに支配したりされたりしたいんなら、SMでもやればいいのに・・・。
自分の傲慢な欲求を自覚してる分、そっちの方が幾分ましかと思うんだよなあ。

例えばマッサージならマッサージで、
マッサージという技術を提供するということが私たちの役目であって、
それによって癒されるかどうかはお客さんの勝手だと思うんだ。
「さあ、癒されてください」なんて気持ちで施術されたって、
そんなの大きなお世話っつーか・・「癒し」の押し売りっつーか・・・。
もっと言い方変えれば「愛の押し売り」?

なぜ、自分が金払って担当マッサージ師のエゴを満足させてやらなきゃならんのだ。

と、私が客ならそう思うね・・・。

しかし かくいう私もマッサージを始めた頃は「癒し」についてマジメに考えていた。

大体マッサージセラピストというものは
「癒し、リラクゼーション系」と矯正などの「治療系」に大きく分けられ、
「癒し、リラクゼーション系」は「治療系」より幾分、
格下扱いされているような気がしていた。

事実、「癒し、リラクゼーション系」から「治療系」に転身する人も多かったし、
そういう人の多くは「もっと多くの技術を学びたいから」と口にしていた。
癒し系にいたら、多くの技術を獲得できないのだろうか?というよりも、
癒しやリラクゼーションという分野を、もっと追求していきたいという人が、
私の周りには少なかったという、ただそれだけのことなのかもしれないけれど。

私は当時、究極の癒しは「恋愛」だと思っていた。

だって好きな人と会えるだけで、
ちょっとの風邪くらいなら治っちゃったりするじゃない。

好きな異性を目の前にした時って、興奮もするけど、
不思議とリラックスもするんだよね。
交感神経も副交感神経もいつもより活発に働く気がする。
しかも、いつもよりも良いバランスで。

だったら、それこそ綺麗でセクシーな女がマッサージを施してくれたなら
男にとってそれに勝る癒しはなかろうと、私は普通のマッサージより幾分、
施術者と受け手の距離感が近いタイマッサージを学んだ。
マッサージ屋には女性客も来るだろうに、その時の私は女性客なんて全く眼中に無かった。
自分は女だし、私が癒すべき相手は男だと当然のように思っていた。
マッサージ屋ではセラピストにしては濃いめの化粧と自慢の身体のラインが出る施術着で仕事をしていた。
「ちょっと落ち着いた感じの、マッサージが受けられるキャバクラ」
みたいな感じを目指したんである。

得意技はタイマッサージ独特の海老ぞりストレッチでもなければセン押しでもなく、
やや膝枕調の頭マッサージと、それに伴うおしゃべりであった。

いま思い出しても、あの頃は楽しかったなあ。
別に今も楽しいけど。

胸元がすこし広く開いているシャツを着ていたので
「胸の谷間とか見えちゃいますよ」と同僚に忠告されたこともあったけれど
私はデコルテにも胸の谷間にも自信があるので
別にたまに偶然お客さんに見えちゃうくらいなら全然、気にしなかった。
勿論、あえて見せているわけではないし、
見せていると思われると変な客がついて面倒なことになるので
見せている、と思われないように注意はしていたけども。
しあわせな不意の偶然で相手が少しでも癒されてくれるなら、
それにこしたことはない、と当時癒しセラピストだった私は思っていたのだ。

そんな風に4年間、私は勤め先で楽しみながら癒しを提供するために働いてきたのだが、
それで本当にお客さんたちが癒されていたどうかはわからない。

というか、実際お客さんが癒されていたかどうかなんて
本当はどうでもいいことなのかもしれない。

癒しなんてモノはただ他人から提供されるものではないし、
「癒してあげたい」なんて思ってしまう事自体がそもそもおカド違いなのだ。


神経の緊張状態が続く事の多い今の世の中では、
単に「ホッ」と精神や身体の力が抜けること自体を「癒し」と
呼ぶことが多い気がするけども

私はそれよりもさらに、
その安らぎの中に喜びがあり、その喜びを通じて、
本当はとても強い、自分の精神や肉体の在り方を知るということが
本当の癒しということではないかと、そんなふうに思っている。

それは多分、「自己肯定」の感覚にとても近い。

頑張っている自分を認めてくれる、自分の身体に触れる手。
自分の好きな人が、近くにいるという喜び。

私は「癒し」という言葉が嫌いなくせに、
「癒し」にずっとこだわり続けてきた。

多分それは、
ここ十数年で社会現象にまでなった「癒し」とはまた全く別の「癒し」のようなものを、
私は今までに何度も色々な人から受け取り続けてきたという実感があったからだと思う。

友人や恋人や家族から、

そして自分の好きな仕事や音楽や色彩や食べ物から。

だけどそれは多分、媒介にすぎない。

自分の尊さと強さに何かを通じて出会えたとき、
他でもない自分自身が、自身の癒しの担い手となれるのだと思う。

自分自身と向き合いながらも疲れた自分の、
血や肉になれるのだと思う。