2012/01/04

sky high


「死ぬとき、自分はどんな死に方がしたいか?」


二年前、当時勤めていたマッサージ屋の新年会で、そんな話になりました。

正月早々、語り合う話題じゃないような気もするのですが
これが、なかなかおもしろかったんです。

まず、セラピスト仲間の中で一番年上の、モモコさん。
話題の口火を切りました。



「私はね、 絶対、老衰で死ぬって決めてるの!
 死ぬ直前までできるだけ元気でいて、少しづつ弱っていって静かに死ぬのが夢なの。
 だから、今から日々健康には気を使って、不摂生からくる大きな病気にはかからないように、
 こうやってできるだけ健康的に生きようとしているわけよ。」




・・・なるほど。


実はこのモモコさん、もともと健康療法マニアが多いセラピストの中でも、
群を抜いて健康志向の人なんですよ。
日々、自分の身体と徹底的に向き合うその胸にはそんな野望が秘められていたんですね。さすがです。




「そういうナツコちゃんは、どういう死に方がしたいの?」




ここで、モモコさんから話題をきり返されました。


実は私、昔から、こういう死に方がしたい!!っていう、ビジョンがあるんですよ。
ただ、これはあくまで私が理想とするビジョンなので、
実際に可能かどうかとか、背景が非現実的過ぎるとか、そういうのはまあ多めに見て頂くということで。




「えっと 私はね、自分でもう死んでもいいかなって思った時に、
 グランドキャニオンみたいな崖っぷちから飛びおりて死にたいの。
 できれば雲ひとつない青空の中でね、すっごいいい気持ちでね。
 で、できれば焼かれて灰になるんじゃなくて、死体も見つからずにそのまま分解されて
 土に返って終われれば最高だな、と。」




「てゆーか ナツコちゃんそれって自殺?」




「いやー、自殺といえばそうかもしれないけど、なんかさー、
 死にたく無い時に死ぬんじゃなくて、よし、もう充分生きたから、もう死ぬぞ、
 みたいな自覚を持って死にたいという願望はあるよね、で、できれば土に返ってね。」




モモコさんは、なんだか私の死に方にはどうにも腑に落ちない様子・・・。




「え〜〜??なんかさー、私、みんな当たり前に老衰で死にたいのかと思ってたよ。」




ああ、なるほど。
たしかに、一番 老衰が静かに穏やかに死ねそうな感じはしますよね。


ちなみに、「老衰」の定義はというと、外傷や病気が原因ではなくて、
身体の細胞や組織の機能が加齢と共に低下し、恒常性の維持が不可能になる事が原因の死、
ということだそうです。




「でもさ〜〜、モモコさん、こう言っちゃあ申し訳ないけどさ、 
 おばあちゃんが死んだ時に実感したけど、
 今の日本で老衰ってかなり本人より家族が大変な死に方だと思うよ。
 だってさ、身体の機能が低下する事で色んなとこにガタがでてくるわけじゃん?
 起き上がれなくなって、寝たきりの状態がしばらく続くわけでしょ、
 その寝たきり老人の世話を全部、家族とか周りの人がするわけだよ。
 今の日本では病院に入院させたら治療として身体に栄養も入れなきゃいけないし、
 呼吸器も付けなきゃいけないし、いわゆる治療としての延命措置をしなきゃいけないんだよね。
 だから、結局老衰で死にたいなら自宅で介護をうけながら死ぬしかないわけで、
 家族が結構大変な思いをするってことは心に留めておいても差し支えないかと・・。」




「・・・ええ!! そうなの! 知らなかった・・・私、ちょっと考え直すわ。」




いや、別に考え直さなくてもいいんですけどね。
この「どういう死に方がしたいか?」という問いのおもしろさというのは、
実際にそういう死に方をするかどうかということが問題なのではなくて、
その「死に方」が実はその人の「生き方」を象徴しているようにもとれるとこだと思うんです。


だから、「どういう死に方をしたいか?」というのは、
当然のことながら、裏を返せば「どういう風に生きていきたいと思っているのか?」
という問いと同義だと思うんですよ。


私はなぜか昔から、「人生の時間」を「死ぬまでの時間」というふうに考えないと
生きる事に意欲が湧かない人間だったので、
自分が死ぬ時のビジョンは結構しっかり持っていたんですよね。
「死ぬ」時が自分の人生の最高到達点だという感覚があるのかもしれません。
死ぬ直前に、「よくやった」と自分を最大限に褒めて最高に気持ちよく死にたい、
というのが、私の生きるモチベーションでもあるんです。これってなんかヘンですかね?


ちなみに、私の友人の齢78歳のおじいちゃん、
三神さんにも同じ質問をしてみたところ、


「荒野で野垂れ死にたい。」


と、なんとも酔狂な回答を頂きました。


「なんで荒野なんですか?海じゃダメなんですかね?」
と、尋ねてみたところ、


「海じゃ、よし、死ぬぞ、って自分で覚悟して入水して死ななきゃいけねえだろ。
 俺は野垂れ死にたいんだよ。
 死ぬ直前までフラフラほっつき歩いて、足が立たなくなったところで野タレ死にたいんだ。」




・・・ああ〜〜〜。




さすが唯我独尊野郎の自由人、三神さん。らしいなあ。
自由人たる浮遊感の中にも一種のしぶとさのようなものが垣間見えますね。


ちなみに、他にも数人にこの質問をしてみたのですが、
「たくさんの家族や友達に囲まれて死にたい。一人で死ぬのは寂しいから絶対イヤ。」
という36歳の飲食店経営の男友達なんかもいましたね。
私、男の人はみんな一人で死にたがるもんなんだと思っていたんでちょっと意外でした。


男が死ぬ時に寂しいも何も無い気がするのですが、
男なら独り、大自然の中で朽ち果てて死にたい、とか言えよ・・・
病院のまっさらな白いシーツの上で死にたいとか言うなよ!
・・・なんてのは、私の勝手な「男」という生き物に対する理想像?
スミマセン。
まあ、人生観の個人差ということで。




そして、モモコさんの他にもうひとり、
この死に方談義に参加した23歳の猫みたいな美少女タラちゃん。


「わたしはですね、なんかおもしろいもの見て、笑いながら死にたいです。
 しかも、とにかく大笑いしてる時に死にたいんです。
 笑いすぎて気が遠くなる事ってあるじゃないですか、
 そんな訳わかんなくなっちゃう感じで、死にたいな〜〜なんて・・・。」






・・・へえ〜?


なんかわかるようで・・・


いや


やっぱりよくわからない・・・。




まあ、ホントに人生の数ほど、それぞれの果て方があるってことで。