2011/11/15

食べる


バリで、バリ人の友人が生きてる鶏を絞めて作ってくれたチキン料理。


鶏を絞めるのを見るのは、
日本生まれ東京育ちのマエダには、かなり、新鮮な体験・・・。


脚を縛られて、逆さ吊りで買われて来た一羽の鶏。


料理の下準備をしている間、庭の隅でちぢこまって怯えたように固まってました。
自分がこれから殺されるんだって、解ってるんですよねえ・・。
動物って、思考力とか記憶力は人間には劣るけど、認識力と判断力は多分人間以上にある気がする。


下準備が終わって、いざ鶏の調理に取りかかろうと、友人が腰をあげた途端、


急に懇願するようにキュウキュウ鳴き声をあげて羽をばたつかせる、鶏。


そりゃ〜 怖いよなあ・・・。


こんなに弱腰な鶏って初めて見た。
鶏って、私、昔から大好きなんですが、大体普段は往々にして強気ですよね。


一人が鶏の脚を掴んで、もう一人が羽をバタつかないよう束ねて持って、
友人エディが鶏の首をギュンって掴んでナイフで頸動脈をギリギリ・・って切ってすぐ、
ずっと震えてた鶏の筋肉がいきなり弛緩して、鳴き声もやみました。


血を受けるために鶏の首の下に置いた透明のタッパーにダダダと落ちる、赤い血。


ああ


そうだよなあ。


「肉」って、生き物なんだよなあ・・・。


・・・と、なんだか、胸にギュンってきてしまいました。


勿論、これは日本人の私だったからちょっとびっくりしただけで、
バリ人のみんなからすれば、それこそ日本人が魚をおろすのと同じような感じかと推測するのですが。


私は超雑食な人間なので、野菜はもちろん、
牛も豚も鳥も羊も、機会があれば鹿でも猪でも兎でも、
できることなら犬でも虫でもアザラシでも何でも食べてみたいと思っているクチなので、
動物を殺して食べるということには特に抵抗感は無い方だと思うのですが、


ただ、かつて、どこかの国の食肉処理場の映像を見た時に、
なんだか・・・ものすごいショックだったことがあるんですよ。


単純に、逆さ吊りにされた解体前の食肉用の牛が次々とベルトコンベアで運ばれていくという、
ただそれだけの映像なんですが、
別に血が流れているわけでも牛が苦しんでいるわけでもないただその映像が、
なんだかひどくショックだったんですよ。


すごく、「もの」っぽい感じが、したんですよ。


「生き物」ではなくて、「もの」っぽく見えちゃったんです。


その画面を横切る、大量の牛たちが。




なんかさー




当たり前のことですけど、
人間って、やっぱり動物の世界では食物連鎖のトップに君臨しているんですよね。


捕食される心配もなく、
大体の場合、まあこの日本においては食べようと思えば好きな動物が食べれるわけですよ。


人間は、動物界を支配する一番の支配者ですよね。


「動物を、殺して食べてるんだなあ」という実感とともにしみじみ私が感じたのは、
「人間って、やっぱり動物界のトップなんだな」という、
人間である自分の力を肯定する意味でのしみじみ素直な嬉しさと、


あとはね、


「果たして、人間には動物界のトップに君臨しているという自覚があるのだろうか?」


という、唐突な、疑問。


「正しい支配」というものを


仮に、絶対的な愛と責任を持って行うものだと考えて、


動物界の頂きに君臨する支配者である人間は、その支配者たる自覚があるのだろうか?


てゆうか 無いよねえ。


少なくとも私には無いよ。


だって、実感がなかったんだから、自覚なんてあるわけが無い。


てゆうかそれ自体が必要かどうかと言われたらそれだってよくわかんないけど、
私は、あったほうがいいと思う。


行使できる力を持つ者は、その責任を自覚しないとダメだと思う。


私は肉が大好きなので、


多分 死ぬまで肉を食べ続けると思うけど、


理想としては、
自分で食べる分くらいは、自分の手で殺せるようになりたいなあと思ったよ。


まちがいなく、たしかにそこに生きていたひとつの命の 血と肉が、
いまここにいる自分の身体を作っていると、そう思えるだけで、


人はもっと 自分のことを好きになれると、そんなふうに思うから。
















メヘンディのブログも久々に更新!!