2011/05/05

ひねくれものだから


低気圧で頭痛がしちゃうんですよ。
だからせめて写真は青空で。


震災後の四月初めくらいの朝日新聞で、
なんかグッとくる記事があったんで
ずっと忘れてたんですが、今日ふと思い出したんでのせてみます。


こういうことが常日頃 気になってる人ってどれくらいいるんでしょう?


私、ひねくれ者なせいか、昔からこういうことすごく考えちゃうんですよ。
だから、朝日新聞でこの記事を読んだときはなんかとても嬉しかった。






以下、4月5日朝日新聞より☟














『歴史的な災厄に直面する日本社会に今、「正しさ」を錦の御旗に掲げた同調圧力が働き始めてはいないか。識者たちから、そのような懸念が聞こえ始めている。オールジャパン的な体制が必要視される状況にあって、「団結」の内実を問おうとする視点だ。
「私は『自粛』『不謹慎』反対運動を立ち上げることにしよう」。ジャーナリストの佐々木俊尚は週刊ポスト4月1日号に、そう記した。
ある音楽公演に「不謹慎だ」「節電しろ」と批判が相次いだことを紹介。「節電は必要だが、我々は普通に経済活動をし、日常生活を送ればいいのだ」と述べたうえで、こう警鐘を鳴らした。「『人がつながって一致団結する』ということと、『圧力をかける空気をつくりだす』という行為は表裏一体で、容易にダークサイドに転ぶ」
フランス現代思想が専門の内田樹も同誌で、「『この非常時に、そんなふるまいが許されるか』という恫喝(どうかつ)から『非国民』という名指しまではわずかの距離しかない」と述べた。


作家の高橋源一郎は3月下旬、ツイッターで「祝辞 『正しさ』について」と題する連続ツイートをした。
震災を前に「なにかをしなければならないのだけれど、なにをしていいのかわからない」と訴える学生に、「『正しさ』への同調圧力」に押しつぶされないように、と助言する。
悲劇を前に連帯や希望を語ることは「正しい」。しかし「社会の全員が同じ感情を共有しているわけでは」ないのだよ、と。
「自分にとって大きな負担となる金額」を寄付する意思を明かしつつ、それも「正しいから」ではなく「ただ『時期』が来たから」するのだと、正月に還暦を迎えた作家は記した。
「気をつけて」と、高橋はツイートで次世代に呼びかけている。「『不正』への抵抗は、じつは簡単です。けれど、『正しさ』に抵抗することは、ひどく難しいのです」(塩倉裕)

***

私の場合 震災の話はまあ別として
私、八方美人なんであんまり苦手な人とか嫌いな人ってできない方なんですが
昔からどーしてもあまり関わり合いたくないと思ってしまうのが


「正しい」人。なんです。


どちらかというと、偽善者よりも「本当に正しい人」の方が苦手です。


だって、「正しい人」に対抗するのって 超 大変だからね。


もしその「正しさ」に自分が傷つけられたとしたら
その「正しい人」が真に正しければ正しいほど
傷つけられた自分は、結局自分を責めるしかなくなると思うんですよ。


そうやって自分を責めることにはなんの意味もないと思うんですが
意味ないんだけど、まじめな人ほどそういう
「自分を責める」状態に陥りやすかったりするんですよね。
そうやって「正しさ」が知らず他人に悪気の無い圧力のようなものを与えてること自体が
一種の暴力になり得ると思ったりもするんですが。


だから「正しい」ことを言う人は
そこらへんの他人に対する思いやりを持って欲しいと思ったりするんですけど
どうなんでしょう?(笑)


「正しい」ことって、正しいがゆえに 強さも重さも後ろ盾もあるからね。
場合によっては理不尽な圧力として機能するってこともあるとおもうんですよ。


逆に言えば、他人に責められるポイントや弱点をあえて持っている人
の方が、他人に対して優しい人だと思ったりもするのですが。


むしろ自分の中にダメな部分をあえて持つことって一種の人に対する愛かも?(笑)


極端ですかね?


まあ場合と度合いによりけりってことで。